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  • おれが住むアパートの、ドア前ジャングルの話。

    ドアの前ジャングル おれは安普請の狭いアパートに住んでいる。 いや、安普請かどうかは知らない。雨漏りはしない。 それでも、築何年だろうか、そんなに新しいアパートではない。部屋は狭い。 そんなアパートのドアを開くと、植物の葉が生い茂っている。 本来なら雨水が流れるであろう部分に土がつもり、いつの間にか草が、木が生えている。 おれにわかるのは、レモンバーム。 葉をちぎって揉めばレモンの香りがする。 レモンバームだろう。 そして、ムラサキシキブ的ななにか。 コムラサキかもしれないが、おれには見分けがつかない。 これにさらに絡んでいるのが、多分ツルドクダミ、だろう。 これが他の植物やアパートの柱に絡みついている。 人一人歩いておれの部屋のドアの前に来るには、これら植物と触れないで入ることはできない。 おれは毎月一回だけ、自分へのご褒美として宅配ピザを頼んでいる。 宅配ピザを運んでくれる人もガサゴソ

      おれが住むアパートの、ドア前ジャングルの話。
    • もし人生が「野球」なら。

      試合の終わりと人生の終わり この間、ある映画を観ていたら、こんなシーンがあった。 ある村で、因習によって、村人はある年齢を迎えると、次の魂に生まれ変わるため、自死しなくてはならないというものであった。 おれはなかなかにショッキングなそのシーンを見て、同時にまったく関係なさそうなことを思い浮かべた。 「これ、今年の日本プロ野球みてえだな」と。 今年の日本プロ野球は、試合のイニング数が決まっている。 9回までで終わりなのだ。 9回で同点なら同点で終わり。延長戦はなし、だ。 まあ、延長があるにしても12回までという決まりはあるんだけれど。 そしておれは、その9回打ち切り制度に、一野球ファンとして「延長戦無いほうが面白いんじゃ」と思ったりしているのだが、まあその話はまたべつの話。 ともかく、寿命が定められた人生というものに、終わりが定められた野球。なにか似ているな、と思ったわけだ。 野球は人生の比

        もし人生が「野球」なら。
      • 偽史や陰謀論のような「オカルト」が、魅力的過ぎる。どうすりゃいいんだ。

        オカルトの時代 「オカルト」と呼ばれるものがある。 超能力、超常現象、偽史、陰謀論、宇宙人……挙げていけばきりがない。 いま四十代のおれが思い出すに、小学校にだれかが心霊写真の本を持ってきては、皆でもりあがったものだ。 まだデジカメもインターネットもなかった時代、テレビでもそんな番組はたくさんあった。 転機になったのはオウム真理教が引き起こしたテロであろう。 それ以後、テレビから心霊番組や超常現象ものが減ったように思える。 今ではほとんどなくなったような気がする。 「思える」、「気がする」というのは、べつに昔と今のテレビ欄をきちんと調査・比較したわけじゃないからだ。 だが、まあ同世代の人なら納得できるんじゃないかな、と思う。 とはいえ、この社会からオカルトが消えたのか? ぜんぜん消えていない。いや、雑誌『ムー』や東スポがある、と言いたいわけじゃない。 インターネットという媒体によって、昔の

          偽史や陰謀論のような「オカルト」が、魅力的過ぎる。どうすりゃいいんだ。
        • 人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある

          持って生まれた行動ポイント 人間には、どうも持って生まれた行動ポイントというようなものがあるように思える。 「行動力」とすると、ちょっと意味が広がりすぎてしまうので、あくまでゲーム的な「ポイント」だ。 1ターンの間に1回行動できます、あるいは2回行動できます、それとも、10回? 自分は、かなり少ない行動ポイントしか持たずに生まれてきた人間のように思える。 なにかにつけ、だるい、面倒くさい、やる気がしない……。 1ターンのうちに1回なにかできればましな方だ。子供の頃から、そうだった。 これがもう、年を取り、さらに精神に障害を抱えてからは、さらに極まってきた。 いや、そこまで極まる前からそうだった。 ニートをしていたら、実家が失われ、一家離散という目に遭って、極貧の一人暮らしをしはじめたときからそうだった。 貧しさと選択肢 貧しいと、なにかをする選択肢が減る。 「貧乏だって、いろいろな楽しみが

            人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある
          • セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。

            国民的衣料品店のセルフレジ 国民的な衣料品店がある。あるだろう。みんな着てるやつだ。 全国津々浦々にあるのかどうか、おれは全国津々浦々を知らないので言えないが、まあ、あんたが思い浮かべた大チェーン店だ。 そこが導入したのがセルフレジだ。 おれにはなんの略かしらないが、RFIDタグというものを用いている。 ごそっと商品を置くと、瞬時に品物の点数と価格が表示される。 決済方法をタッチパネルで選ぶ。 クレジットカードならクレジットカードを突っ込んで決済される。現金を選べば、現金をぶちこんでもいい。 やけに長いレシートが出てくる。 商品を袋に入れるのも自分の仕事だ。 このごろじゃ袋も有料だ。袋がなければ、バッグに突っ込む。 きれいにたたむもたたまないもあんたの勝手だ。 そしてあんたは、なんかこれでいいのかしらん?と思って店を出る。 なれてしまえば、これでいい、と思って店を出る。 国民的コンビニエン

              セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。
            • 暴力によって成立してる世界であっても、自虐の刃を突きつけろ

              自分に向ける刃が他人に向かう 佐藤優と斎藤環の対談本である『なぜ人に会うのはつらいのか』にこんなやりとりがあった。 斎藤 ……で、そんな彼らも、実は優生思想を自ら振りまいている部分があるんですよ。自分が疎外されたと感じた時に、彼らが必ずと言っていいほど口にするのが、「俺なんか生きていてもしようがない」というひと言なのです。なぜなら、金も稼げない、生産性もない、何の役にも立っていないのだから……。しかし、そうやって並べていくロジックの全てが、「役に立たない人間は生きているな」という優生思想に、見事に収斂されてしまう。 佐藤 往々にして、そうやって自分に向ける刃は、他人にも向くことになります。 おれは、これについて思い当たるところがあった。 おれは常々、自虐を振りまいている。振りまいている自虐の「自」からはみ出ないように気をつけてはいる。 しかし、気をつけたところで受け取り手が「これは自分のこ

                暴力によって成立してる世界であっても、自虐の刃を突きつけろ
              • 人間が人間であることを出せ。表現しろ。それ以外は的確にプロンプトを書け。

                画像生成AIとおれ 知らないあいだに画像生成AIというものができて、ひとびとが使うようになって、いろいろな問題を引き起こしていた。 AIの学習に使われた人の著作権的な問題とか、AIを使ったイラストに対する道義的(?)な問題だ。後者についてはちょっとよくわからない過熱が見られるようなので、触れるのは避けたい。 いずれにせよ、文章(プロンプト)によって、絵が生成されるのだ。おれは、とりあえずおもしろいと思った。おもしろいな、というだけだ。 おれは自分で絵を描きたいと思うが、下手くそなので描く気がおこらない。AIを使えば自分の理想である✕✕な絵だって生成できるんじゃないかと思った。 が、プロンプトにもコツがある。いや、コツなんてものじゃない、プログラミング的な技術、技法だ。おれはそういう感覚的でないものは苦手だ。 というか、そもそもおれのPCは画像生成AIを使うスペックに達していなかった。なので

                  人間が人間であることを出せ。表現しろ。それ以外は的確にプロンプトを書け。
                • おれは、手をつないで徒競走をゴールしたい人間だ。

                  このごろ短歌に関する本を読んでいるのだが このごろ短歌に関する本を読んでいる。 短歌には本となったもの以外に、いや、それ以前の発生の場所として歌会などがあるらしい。 お題が出されて、それについて匿名で歌を提出する。歌人たちがお互いに点をつけ合う。題詠形式というらしい。 そんなことを読んで、おれは歌人でもないし、歌人になりたいわけでもない。 短歌を書いているわけでもないし、書いたとしてもそれを発表する気もないのに、「おいやめろ」と思ってしまう。 それはきついなーと思ってしまう。 なにせ、だれかと同じお題で競って、点数がつけられてしまうのだぜ。 それって、すごくきつくないか。苦しくないか。悲しくないか。怖くはないか。 おれは怖い。枕に顔を突っ伏して、足をばたばたしてしまうくらい怖い。 もちろん、歌会に誘われたわけでもない、参加しようとしたわけでもない。 ただ、そんなことを読んだだけで、そうなっ

                    おれは、手をつないで徒競走をゴールしたい人間だ。
                  • 「反出生主義者」とは何か。

                    反出生主義者は考える おれは反出生主義者を自称している。 べつに「反出生主義検定試験」があって、「あなたは2級に合格しました」という話もないのだから、自称も他称もないのだろうが。 そんな反出生主義者のおれではあるが、日々、「反出生主義とはなんだろうか」と考えている。 本当に毎日? と、問われると、「いや、今日は『イジらないで、長瀞さん』のことばかり考えていました」ということもあるかもしれない。 こんなところで自分の趣味を晒すこともない。 それでも、考えている。 とくに、反出生主義に反対する意見を見たりすると、「ああ、そういうことではないのだけれど」と思うときに、よく考える。 もちろん、おれはだれか師匠について反出生主義の流派に属しているわけでもないので、「それは違うのだ」と言い切ることもできない。 どこか歯切れが悪くなることもある。 それでもおれは、その日のおれなりに考えていることを書くこ

                      「反出生主義者」とは何か。
                    • 【お恵み】おれに使いこなせるのか、圧力鍋を【加圧!】 - 関内関外日記

                      お恵みものがまた届く。なんともありがたい話である。箱を開ける。 圧力鍋ー! 圧力鍋ですよ、ねえさん、奥さん、そこのお兄さん。 いや、すごいもんもらいました。ありがとうございます。 ……って、おれに圧力鍋が使えるのか? 使いこなせるのか? というのも、会社の人が以前、結婚式の引出物のカタログで手に入れた圧力鍋を使っていたら、調理中にいきなりボカーンとなって、なんらかの部品がすごい圧力を受けて吹っ飛んで、天井にぶつかったあと跳ね返って戸棚のガラスを割った、という話を聞いたことがあるからである。 不良品だったのか、故障したのか、正しい使い方をしなかったのか(おれの想像では三番目なんだけれども)、ともかく肉や野菜が短時間で柔らかくなるほど圧力をかける器具である。圧力こそパワー! 箱をあけてみると、中には説明書兼レシピブックのほかに、警戒のビラがたくさん。なんかちょっと怖くなってきたぞ。さすがプレッ

                        【お恵み】おれに使いこなせるのか、圧力鍋を【加圧!】 - 関内関外日記
                      • 光回線の遮断を防止するためのたった一つの冴えたやり方 - 関内関外日記

                        goldhead.hatenablog.com goldhead.hatenablog.com 金曜日の夕方、職場のネットが突然使えなくなった。ネットどころか、電話もFAXも沈黙した。光回線が遮断された。社内のネット、電話を任せている代理店に連絡したら、NTTの問題だということで、すぐにNTTとのやりとりとなった。修理は最短でも火曜日になるという。 月曜日は静かだった。メールチェックなどは私物のiPhoneをUSB接続のテザリングでどうにかした。はたして、火曜日の修理で直るものだろうか。おれはなにかビルの問題のように思えて、「明日直らない方に100円賭けます」と言った。 夕方、会社を出ると、入り口を塞ぐように工事車両がなにかをしている。「ん? ひょっとしてビル全体のネット障害が明らかになって、NTTが一日早くなにかしているのか?」と思う。 が、それは東京電力の高所作業車であって、このごろ電

                          光回線の遮断を防止するためのたった一つの冴えたやり方 - 関内関外日記
                        • おれは短距離型ダメ人間だが、結局、生きるってのは長距離走なんだ

                          距離適性とはなにか タイトルに「短距離型」と書いた。距離適性についての話である。 距離適性、というのは一般的な言葉だろうか。おれにはよくわからない。 よくわからないので検索エンジンにかけてみるが、おれがいつも競馬のことばかり調べているせいか、競馬のページばかりひっかかる。 というわけで、距離適性は主に競馬について使われる言葉だ、ということにしよう。 その意味はというと、見ての通り、距離の、適性だ。 競馬を知らない人に少し競馬について教えよう。 馬はいつも同じ距離を走っているわけではない。 ざっくり今の日本の中央競馬の平地競走についていえば、最短の距離は1,000mであり、最長の距離は3,600mだ。 平地競走? コース上に障害の置いていないレースのことだ。 今の? 中央? まあ、そのあたりは気にしなくてよろしい。 一応は競馬ファンとして正確性を期したいだけの自己満足だ。 まあともかく、馬は

                            おれは短距離型ダメ人間だが、結局、生きるってのは長距離走なんだ
                          • 老害のおれ思うに、コンビニが街の文化を支えてるんだぜ

                            活字中毒が申し上げること おれは街なかでコンビニを見るたびに、「ヨシッ、文化がある」と思う。 コンビニの明かりを見るたびにそう思う。 コンビニのなにが文化なのか。 それは、そこで売られているであろう新聞や雑誌についてである。 それが、おれにとっての「文化らしさ」なのだ。 これに気づいたのはずいぶん前だ。 新しい街に引っ越してきて、そう感じた。 もちろん、本そのものを取り扱っている本屋、古書店、そっちの方がより「文化らしい」。 会社からの帰り道、寄れる古本屋があったときは、「文化があっていい」と思ったものだ。 もっとも、その古本屋も潰れてしまった。 街から本屋が消えている。 そんなデータは、ちょっと検索したらすぐに出てくるだろう。たぶん。 でも、コンビニにはスポーツ紙と雑誌が置いてある。文化だ。 活字だけが文化なのか? もちろん、コンビニには本格的な哲学書だとか、古典文学全集だとか、最新のコ

                              老害のおれ思うに、コンビニが街の文化を支えてるんだぜ
                            • 本当の上級国民。そういうものがいるか、いないか。たぶん、いる。いや、いるに違いない。

                              おれはなぜ、この映画を観ようと思ったのか、よくわからない。 おれは社会の底辺を這いずる底辺層である。どういう展開になるかわからないが、「貴族」階級の姿など見たくもない。 おれが見たいのはおれと同じか、おれより下の階層である。ノンフィクション番組で言えば、フジテレビの『ザ・ノンフィクション』である。 松濤に住む箱入り娘を演じる門脇麦が気になったから、かもしれない。 おれにとって門脇麦といえば、白石和彌が監督した『止められるか、俺たちを』であの若松プロダクションの助監督である主演をつとめた門脇麦なのである。 革命的女性闘士から、松濤のお嬢様? それを見たかった? いや、違うな。再生してみて、「あ、門脇麦」と思ったくらいだからだ。 やはりなにか、耳にしたことある山内マリコ原作の、現代的な問題を描いた作品を観たかった、ということになるかもしれない。よく、覚えていない。 貴族の世界とそうでない世界

                                本当の上級国民。そういうものがいるか、いないか。たぶん、いる。いや、いるに違いない。
                              • 友達がつくれない子供には薬を飲ませろ - 関内関外日記

                                寄稿いたしました。 blog.tinect.jp かなりストレートなタイトルになっておりますが、まあ自分が言いたかったことはこれなので、これでいいでしょう。 というわけで、自分の「不安症」とその対処法を書きました。不安症、心配性、奥手、引っ込み思案、内気、消極的な人はちょっと読んでみてください。……って、タイトルに答えが書いてあるんですがね。 しかしまあ、こういう性格の子供というのは、友達がつくれない。つくりにくい。気づいたら一人だ。社交性というものが手に入らず、孤立して、悲惨な人生を送ることになる。 この地獄には要求されるべきものがたくさんある。健康な心身、人に好かれる社交性、算数と数学と化学と物理とプログラミング、部屋を片付けられること、役所の書類を読み書きできること、正しく箸を使えること……。そしてすべては金を稼ぐことができるかどうかにかかっている。 そのなかでも、やはり社交性は重視

                                  友達がつくれない子供には薬を飲ませろ - 関内関外日記
                                • 切った鼻毛の中に白髪を見つけたとき、男は“人生の秋”を知る。

                                  かつて、偉大なる詩人である田村隆一はこう述べた。 鼻毛って言えば、男は鼻毛を切って白髪を見つけたときに、“人生の秋”を知るんだ(笑) おれは二十代前半からライフステージというものがほとんど変わっていない。 同じ零細企業の、同じ一番の下っ端で、同じ低賃金で働いている。 結婚もなければ、子供をもうけることもない。 他人の結婚式に出たこともなければ、親戚の子供にお年玉をあげたこともない。 日本から一歩も出たこともなければ、神奈川県から外に出ることも稀だ。 というわけで、おれはほとんど人間的な成長をしていない。 自分の魂を変えるようなイベントもなければ、自ら魂のあり方を変えて新しい体験をしようということもなかった。 ただ怠惰に、ぼんやりと過ごしてきた。 だから、おれの魂の部分は、同世代の多くの人間に比べてえらく幼いままだ。 悪く言えば幼稚、無理して良く言えば「若い」。 が、肉体というものは老いる。

                                    切った鼻毛の中に白髪を見つけたとき、男は“人生の秋”を知る。
                                  • 気に食わない言葉に、おれは「圧」をかけるぜ。

                                    言葉を一生擦ってる しばらく前に、ネットである言葉の用法が話題になっていた。 それは「一生」である。「一生○○していた」、「一生○○している」のように用いる人たちがいる。 この場合の「一生」は「ずっと」とか「長い間」という意味を誇張したものだろう。 「週末は一生寝ていた」、「この動画で一生笑ってる」、「すばらしいストライクウィッチーズのフィギュアを買うか一生悩んでる」……。 「ずっと」とか「長い間」を「一生」と表現すること自体は、べつに珍しくもない。 「一生愛し続ける」、「一生ものの逸品」、「一生のお願い」、「くだらないことに一生悩んでろ」。 もちろん一生ではない。いや、一生のこともあるかもしれない。 が、どうも、最近の使われ方には違和感がある。 一生には生というはじまりと死という終わりがある、期限の区切られたものだ。 それをある種の過去形や現在進行的に用いると、なんか変だ。うーん。 使っ

                                      気に食わない言葉に、おれは「圧」をかけるぜ。
                                    • 生涯で一度しか、投票の棄権をしたことがない、という話。

                                      おれと選挙権 おれはおそらく、生涯で一度しか投票の棄権をしたことがない。 一家離散でごたごたしているとき、それどころではなかったのだ。 その一回を除いて、たぶんすべての選挙に投票してきた。 市議会選挙、県議会選挙、県知事選挙、市長選挙、国政選挙。 なぜ、投票するのか。 おれはこの国のあり方について、根本的に疑いを抱いている。 選挙行動は、そのあり方について「現状の肯定の一票になりかねない」という思いすらある。 それでも、投票してきた。 一つには、せっかくある権利を行使しないというのはもったいないという感情であり、もう一つは、投票には参加しなくちゃ面白くないぜという思いである。 後者については「馬券を買う」と同じものであると明らかにしておく。 というわけで、おれは今までたくさん票を投じてきた。 なんと、与党側に投じたのは一度きりである。 選挙権を得てすぐ、なんかの選挙に出てきた人が、同じ中高

                                        生涯で一度しか、投票の棄権をしたことがない、という話。
                                      • 記憶も記録も消え去っていく時代に

                                        手袋 もう、春だ。暖かくなってきている。それなのに、手袋の話をする。 冬、ラジオのパーソナリティーがこんなことを言った。 「以前は冬となればみな手袋をしていたのに、今はスマートフォンのせいか、あまり手袋をしていない」。 おれはそれを聞いて、思い当たることがあった。 コロナウィルスがやや低調になった秋だか冬だか、女の人と買い物に行った。 女の人は「手袋を買いたい」と言った。手袋を探した。 が、なんというか、手袋があまり売られていないのだ。 手袋売り場がない、少ない、そんなふうに感じた。そのときも、そんなことを言った。 「あれ、手袋ってこんなに売ってないものだっけ」。「なんか、選べない」。 あくまで、関東、南関東のラジオと、南関東に住むおれたちの話である。 それは明確にしておくべきだろう。だが、少なくとも南関東においては、そんな実感があった。 あれ、みんなスマートフォンの操作を優先して(スマー

                                          記憶も記録も消え去っていく時代に
                                        • 格差は悪なのか、平等よりも大切なものとは?

                                          おれは数字が苦手である。もちろん、その先の数学も苦手である。 となれば、経済が取り扱う数学というものもまったくわからぬ。 わからないが、現代社会を生きるのに、経済というものを少しは解さなければいけないという思いにもかられる。 というわけで、図書館で経済あたりの棚を見ていて目に入ったのがこの本である。 とハリー・G・フランクファートによる著書である。 「格差は悪なのか?」と言われると、なかなか挑発的なような気もする。 ぱらぱらめくってみると、次のような文章が目に入った。 道徳性の観点からすると、万人が同じだけ保有するというのは重要ではない。道徳的に重要なのは、万人が十分に保有することだ。 まあ、そりゃそうだよな。 そう思って、おれはこの薄い本(翻訳部分と解説が拮抗している)を読んでみることにした。 翻訳者の山形浩生いわく、この本はピケティの柳の下のドジョウだが、そのドジョウも自ら訳したのだと

                                            格差は悪なのか、平等よりも大切なものとは?
                                          • 令和四年 年頭所感 - 関内関外日記

                                            やるなら今しかねえ。 と、言ってる時点でだせえんだ。 「やった」なら言ってもいい。 「やる」とか言うのはとんだマンモーニだ。 マンモーニでなにが悪い。 けれど、「やる」というのはだせえ。 「やる」と宣言するのはだせえ。 それでも、おれは言わなければやらないタイプだ。 なんらかの枷がなければ、やすきに流れるタイプだ。 そうわかっているから、おれはここで宣言する。 おれは今年、「やる」。 なにをやるのか。 なにか、作ってみる。 今までおれは、これといって、なにも、作らなかった。 今年は、作る。 作って、公募に応募とかしてみる。 おれは酔っている。 酔っているから言っている。 だからおまえに言っている。 やったならいい。 やるというのは恥ずかしい。 恥をしのんで書いているのだ。 やるといってもやらないということもある。 やらないのもおれだろう。 やらないならやらない。 やらないならできないからだ

                                              令和四年 年頭所感 - 関内関外日記
                                            • 「機会があったらいつかお酒をご一緒しましょう」 - 関内関外日記

                                              2月22日。おれは60歳になった。還暦だ。おれは横浜公園のダンボールの上に横たわっている。ひどく冷える。うめき声がそこかしこから聞こえる。昔はプロ野球興行が行われていたスタジアムも、今は見る影もない。白い猫が、横切った。 おれは下にひいていたダンボールを身体の上にかけた。土は冷える。しかし、風はしのげる。かつては古新聞やゴミ袋のビニール袋というものもあったらしいが、今はそんなものはなくなっている。ひたすらに寒い。おれたちは冷えて死ぬ。中区役所は四方をバリケードで囲い、横浜市庁舎は橋を切断しておれたちの侵入を防いでいる。 「……さん、……頭さん、黄金頭さん」 おれの耳に人間の言葉が届いてきた。幻聴かと思った。おれはもう20年、だれにも話しかけられることはなかった。 「お誕生日おめでとうございます、プレゼントを持ってきましたよ」 その人は言った。その人が差し出したのはインスタント袋ラーメンだっ

                                                「機会があったらいつかお酒をご一緒しましょう」 - 関内関外日記
                                              • 『B面の歌を聞け Vol.1 服の自給を考える』を読む - 関内関外日記

                                                ●ZINEというのだろうか、『B面の歌を聞け Vol.1服の自給を考える』をある方から頂いた。面白かったので一気に読んだ。正式にどこで手に入るのかよくわからないので、それは各自調べてください。 『B面の歌を聞け』イベント出店&販売情報 - 夜学舎 ●Wordで作られたらしいが、なにか味がある。リソグラフだからだろうか。 ●B面とはなにか。高度資本主義社会、大規模経済と大量消費をA面とした場合、DIY精神や自給自足、贈与、などによって回る社会、生き方がB面だという。田舎暮らしのようなものか、ヒッピー的なものか、オルタナティブというかよくわからない。 ●おれがA面的な人間かB面的な人間かというと、紛れもなくA面の人間である。金を稼いで、金という匿名、無記名のものによって、生活に必要なものを買う。 ●ただし、だ。おれはグローバル経済などというものとは無縁もいいところだ。日本から出たこともない。A

                                                  『B面の歌を聞け Vol.1 服の自給を考える』を読む - 関内関外日記
                                                • 令和になってもスターバックス怖いおれ―穂村弘『人魚猛獣説 スターバックスと私』を読む - 関内関外日記

                                                  人魚猛獣説 (スターバックスと私) 作者:穂村 弘 かまくら春秋社 Amazon また穂村弘の本である。「スターバックスと私」ときたもんである。なにやら2008年にスターバックスのウェブサイトのクリスマス企画を単行本化したものらしい。スターバックスのお客さんや店員から送られてきたスターバックス短歌などを紹介している。 おれとスターバックス、スターバックスとおれ。 おれがスターバックスに入ったのは一度か二度である。正直、怖くて入れないのである。なにをどう注文していいのかわからないのである。おれが怖い外食チェーンは二郎、サブウェイ、スターバックスである。え、二郎はチェーンじゃない? まあいいじゃないか。 というか、女と出かけたりしたとき、ちょっとコーヒーでもってときに、スターバックスの席が空いていたためしがほとんどないのだけれど、みんな朝から並んでいるのだろうか。よくわからない。 ともかく、な

                                                    令和になってもスターバックス怖いおれ―穂村弘『人魚猛獣説 スターバックスと私』を読む - 関内関外日記
                                                  • 実録! これが四十路男に流れる赤い血だ - 関内関外日記

                                                    おれは野菜ばかり食べている。客観的に見たらそういうことになる。ただ、それはおれが菜食主義なわけではない。 goldhead.hatenablog.com こちらに書いたとおりである。血糖値が高いと抗精神病薬が飲めなくなる。抗精神病薬が飲めないおれは、抑うつ状態に陥りやすくなり、使い物にならない。元より使い物にならないていどの能力しかないが、それでもまったく動けなくなるというのはつらいものだ。 なので、おれは野菜ばかり食って生きている。健康に気をつけているといっていい。けど、アホみたいに酒は飲むけどな。 というわけで、2019年以来、久々に血液検査をした。 前回はこちら。 goldhead.hatenablog.com で、今回。 はいどーん。 まず気にするのは血糖……すげえ「H」じゃねえか。やばい。と、思ったが、血を取ったのが普通に昼食を取ったあとの午後一の診療だった。A1C(血糖値の平均

                                                      実録! これが四十路男に流れる赤い血だ - 関内関外日記
                                                    • 『ブコウスキー・イン・ピクチャーズ』を読む……? ……見る? - 関内関外日記

                                                      ブコウスキー・イン・ピクチャーズ 作者:ハワード スーンズ 河出書房新社 Amazon ハワード・スーンズによるありきたりでないブコウスキーの伝記を読んだ。 goldhead.hatenablog.com 同じ著者による、ブコウスキー写真集があるというので読んでみた。いや、写真集は「読む」のだろうか。よくわからない。でも、文字は多い。ありきたりでない伝記で集めた写真や手紙がぶちこまれているうえに、解説も多い。そういう本だ。 で、ブコウスキーの写真だが、どれもこれもいい。いいのだが、とくにいいのが「競馬場でのブコウスキー」だ。そこには、おれが知っている競馬場、とくに昭和が残っていた地方競馬場の雰囲気があった。そして、そこにいるじいさんの雰囲気があった。翻訳者の中川五郎はたしか、ブコウスキーにはばんえい競馬に来てほしかったと書いていたが、ばんえいはやりすぎだ。南関東あたりがちょうどいい。勝手に

                                                        『ブコウスキー・イン・ピクチャーズ』を読む……? ……見る? - 関内関外日記