経験者は語るんだが90年代と言うのは「漫画を描いているだけで虐められる」「女子が少年漫画を読んでるとハブられる」と言う風潮があり、みんな隠れて描いていた…。オタクと言う罵声を浴びる事に怯えていた。萌え絵を叩く人を見ると「学生時代もそうやって虐めてきたんやろなあ…」と思うのである
オタクの"界隈"で「萌える」という言葉を見かけなくなって久しい。 かわりに、「推し」という言葉を見かけるようになった。 このことについてtwitterの片隅で幾つかの意見を見かけ、私も何か書き残したくなったので、先週の続きとして書いてみる。 「推し」という言葉は、どちらかといえば実在アイドル方面で用いられてきた言葉だったと記憶している。アニメやギャルゲーのキャラクターに対して「萌える」という言葉が頻繁に使われていた90年代後半~00年代中盤にかけて、「推し」という言葉は"界隈"ではマイナーで、いわゆる二次元の美少女キャラクターは専ら「萌える」対象だった。 「萌える」という言葉は『電車男』が流行した2005年以降はニュアンスが単純化していったけれども、もともとは多義的なニュアンスを含んだ言葉だった。 「萌える」という表現がオタク達のボソボソオタク談義のなかで広がった要因のひとつに、「エロい」
「結婚式場に行って話をしてきました。ミクさんと結婚式を挙げること自体はできそうなので、話を進めたいと思います。無理と言われなくてよかったです」――東京に住む、とある男性がTwitterに投稿した内容だ。 その人は、近藤顕彦さん(35)。お相手は現実世界の人……ではなくバーチャルシンガーの初音ミクさんだ。「少し変わった結婚式なんですけど、本気で愛しているので、やっていただくことはできませんか」。式場と交渉し、11月に前代未聞の結婚式を挙げることが決まった。 近藤さんは本気だ。ミクさんとは今春から“同棲”している。IoTベンチャーのGatebox(東京・秋葉原)が開発した、好きなキャラと一緒に暮らせるという“俺の嫁召喚装置”「Gatebox」(29万8000円、税別)を購入し、使い続けている。全世界に339人しかいないユーザーの1人だ(8月現在)。 Gateboxは、円筒形のケースに投影された
やっぱ「女オタクのメジャー化」だよなあ だからタイトルのような批判を食らわされても、男オタクとしては 「いやいや女オタクのみなさんだって女にとって都合の良い二次元イケメンに夢中ですやん?」 と言う返しが容易になってしまった。 そんで当のオタク女も、「二次元美少女?別にいいんじゃね?あたいらは二次元イケメンを消費するだけだわさ!」 と開き直る手合が増えた。 ここら辺、10年くらい前に猛威を振るわせていたオタク批判界隈レベルで思考が止まってる手合が戸惑いを感じている理由だと思う。 「女オタクのメジャー化」… これを考慮に入れてオタク批判できるかどうかが、時代のアップデートに対応できているかどうかの分水嶺と言えるのではなかろうか。 まあ余談だが、しかしあれだよなあ、日本は「男も女も都合の良い二次元キャラにハマる」と言う 他の先進国とは異なる実にヘンテコなカタチで男女平等を実現しようとしてるのでは
でも萌え系オタクが好むのって、一般人には見分けつかない顔のキャラばっかりだよね? 劇画、デフォルメ、ディズニーライク、少女漫画、リアリズムと 昔は絵柄も多様性に満ちてたのに、 今や老いも若きも萌え系の絵柄一本化で統一されちゃってるよね? どれも判を押したようなストーリー、日常系、シャッフルしても変わらなそうな題材ばかり まどマギ流行ったら雨後の筍のように魔法少女者が流行るし アイマスの後はラブライブ(しかも憎きリア充向け洋ドラからのパクリ多いw)とどれも大差ないじゃん 彼らの言う芸術性って、こんな独創性無い業界を指すんか? 独裁国家や権利無視が当たり前の昔にも 素晴らしい芸術家沢山おったやん?
「本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。 今から10年以上前の2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。 当時、オタクは恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタクは恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタクを卒業して真実の恋愛を見つけよう」と煽った。 本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実の恋愛はオタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。 現実社会の恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的な恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内の恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋な恋愛だと反論し
オタク文化、特に漫画・アニメオタクの人たちによる「萌え絵」の文化は、これまでもしばしばミソジニー(女性憎悪)、特に男性のミソジニーと結び付けて語られてきました。今回取り上げる墨東公安委員会氏の記事も、以前からよくある論旨の一つだと言えます。 そして小生が指摘せずにはおられないのは、ダイクストラが『倒錯の偶像』であまた紹介した、19世紀のミソジニーを表象した絵画のような文化風潮に相当する存在として、現在の日本で比定されるべきは、まさしく「オタク」文化とされる、「萌え」的な表象なのではないかということです。現在のオタクの「フェミ」嫌い、強いものに傾く権威主義などが、それを感じさせるにはおられません。 (中略) まとめて言えば、「萌え」好きな「オタク」の一般化・大衆化は、日本会議的な反動の風潮と軌を一にしているのではないか、というのが、幾つかの書物を読んで小生が考えていることなのであります。 『
故赤塚不二夫さんの漫画「おそ松くん」を原作に、主人公の六つ子の成人後を描いたアニメ「おそ松さん」(テレビ東京、月曜の深夜一時三十五分)が、若い女性を中心に大人気となっている。グッズは爆発的に売れ、表紙に採用したアニメ誌は重版、イベントには行列ができる。カラ松ガール、チョロ松ガールなど、六人の中で特に好きな一人を「推し松」とする“松ガール”も多い。女性たちの心をがっしりとつかむ怪現象の秘密に迫った。 (鈴木学) 東京・池袋のアニメ専門店「アニメイト池袋本店」の店頭に置かれたキッチンカーに女性の行列ができる。車体には六つ子が描かれ、六つ子それぞれをイメージしたドリンクなどが提供される。限定グッズも人気だ。本店隣のビルでも「おそ松さん」とコラボレーションした着席形式の「アニメイトカフェ池袋3号店」が営業中。ともに二月十四日までの期間限定で、利用は予約抽選制だ。
まず抑えておきたいポイントは、「○○豚」という罵倒表現は2ちゃんねる周辺でジャンルを問わず広く使用されている、ということですね。 「萌え」じゃなくて「ブヒる」!? ネット界隈に広がる新しい視点 - エキサイトニュース(1/4) lunaticprophet.org - このウェブサイトは販売用です! - 有村悠 オタク という フリー ライター 作家 同人 扱い リソースおよび情報 近年アニメ実況関係でよく見かけるようになった「ブヒる」という表現についての興味深い歴史考察なのですが、両記事とも若干の短絡を感じたので自分の観測範囲から見えていたものを改めて調べて見ました。念のため、以下の文章もあくまで私の観測範囲内の情報を元にした推測であることに注意してください。 「○○豚」の歴史 冒頭でも触れましたが、「ブヒる」の前駆である「○○豚」という表現は特に萌えオタに対する蔑称として使用されていた
新作アニメが始まると、こんな言葉がネットに飛び交うようになります。 「これブヒれる?」 「ブヒイ」 豚ですね。 そう、豚なのです。 2010年末くらいから今年にかけて、急激に広がったのがこの「ブヒる」という動詞です。 端的に言うと「萌え」を超えた、一つ上の表現です。 ちょーっと「萌え」文化を巡る足跡を言葉からたどってみるとしてみます。 90年代から広がった「萌える」という単語。可愛い子を見て高ぶる気持ちの表現として、ネットスラングになりました。 インターネットのないパソコン通信時代ですね。 最初は動詞でしたが、次第に「萌え」という名詞に変化します。 つまり、ある対象、主に二次元のキャラクターに対して感じた感情表現から、キャラそのものの持つ属性へと変わった、ということです。 注意したいのは、「萌え」=「性衝動」ではないところ。どうしても男性が女性キャラに使うことが圧倒的に多いので「萌えって女
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1294494.html “美しい黒髪”といえば大和撫子。大和撫子といえば清楚で大人しそうなイメージ…といった具合に、女性の黒髪をスタート地点にして、ご都合主義の想像力を膨らませるのはそんなに難しいことではない。控えめな態度の妙齢黒髪女性を見かけた場合などは、とりわけそうだろう。 もちろん、黒髪女性の内実が、大和撫子と呼ぶに相応しいかどうかは分からないし、黒髪女性が大和撫子をやらなければならないというルールはどこにも無い。けれどもある種の男性は、そうやって自分の願望や想像力を黒髪女性に投影して、「よさげだなぁゲヘゲヘ」と想像力を膨らませずにはいられない。眼前の女性の内実とは無関係に「黒髪→大人しそう→おいしそう→俺でもモノにしやすそう」という想像力だけを連鎖させ、妄想的な願望を抱いたり、頭のなかで「架空のデー
これはもうだいぶ以前からなのだが、小説やマンガなどの作品に接するとき、物語世界全体を総体的に楽しむ見方と、そうではなく、ある特定の登場人物(キャラクター)に思い入れる人たちがいて、この二つの立場の人たちはかなり相容れない場合が多かった(このブログ的に言うなら、それこそ「物語文化圏」と「キャラ文化圏」の衝突である)。 さらに、特定の「登場人物」ではなく、「属性萌え」とでもいうべき現象が起こっていることは、東浩紀氏が提唱した話である。 「物語」総体として受け入れるか、「キャラクター」に思い入れを込めるか、それとも特定の「属性」さえ有していればそれでいいのか。この3つの見方について、改めて思うところを書いてみる。
<萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい<1日目>> のつづき。 元スレ<萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい> 「萌え絵根絶委員会」2日目討論と会長の留守中にいろんなキャラが降臨し、場はカオスになっていく。 188:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:30:10 >>185 エロ本買いに朝の早くから(ヘタすれば徹夜で)ギンギン になって走り込んでくるような脂ぎったキモヲタ連中をナメ ずに接する人間がいたら聖人だと思うの。 194:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:37:18 おれ会長に萌えてきた 早く会長の作品が読みてぇ!! 209:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:49:21 昔は米帝や資本家や政治家を相手に出来たが 今は萌えを仮想敵にしなければならないのか ゲンダイの悩めるセイネンは難儀だな。 213:スペースNo.な
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