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中南米に関するrhyaoshのブックマーク (4)

  • メキシコ麻薬戦争 列伝

    31Oct.2010 メキシコ麻薬戦争 列伝 日ではあまり報道されていませんが、メキシコの麻薬戦争はすさまじいものです。毎日人が殺されています。一人、二人の死者では記事にもなりません。殺された人が重要人物でないかぎり、最低でも二桁の死者が出ないとメディアには登場しません。 メキシコ麻薬戦争の犠牲者は2010年3月末現在で22,743人とされています。行方不明者や発見されていない死体のことを考えると、これよりはるかに多くの人が犠牲となっていると思われます。死者数の推移を年毎に見ると、06年62人、07年2,477人、08年6,290人、09年7,724人とうなぎのぼりに増加しており、今年2010年も最初の3ヶ月間だけで3,365人と1万人を超える勢いです。毎日30人が麻薬がらみの犯罪で殺されている計算です。 武器がすごい。ナイフやピストルといった古典的な凶器ではありません。最低でもAK47

  • メキシコ麻薬戦争 - Wikipedia

    2006年 62人が殺害された[16] 2007年 2,837人が殺害された[16] 2008年 6,844人が殺害された[16] 2009年 9,635人が殺害された[16] 2010年 15,273人が殺害された[17][18] 2011年 24,068人が殺害された[19] 2012年 18,061人が殺害された[19] 合計76,780人(2006年12月から2012年10月まで) メキシコ麻薬戦争(メキシコまやくせんそう)は、麻薬組織(カルテル)同士の縄張り争い、および麻薬密売の取締を推進するメキシコ政府と麻薬カルテルとの間で2024年も進行中の武力紛争のことを指す。 概要[編集] -1970年代[編集] 20世紀の初めから、メキシコの麻薬カルテルや麻薬密売組織は、アメリカを最大の消費国として存在し続けている。20世紀よりメキシコは麻薬の主要な生産国、中継国であり、現在もアメリカ

    メキシコ麻薬戦争 - Wikipedia
  • メディア・パブ: 独裁大統領もソーシャルメディアをフル活用

    独裁者はマスメディアを支配しようとするが、一方でソーシャルメディアを嫌う。新聞やテレビ放送、ラジオ放送などのマスメディアはコントロールできるのに対して、SNSやツイッターのような市民主導のソーシャルメディアはコントロールが難しいからだ。その上、ソーシャルメディアを介して盛り上がった民主化運動で、北アフリカ諸国の長期独裁体制の転覆が続いたからなおさらである。 ところがベネズエラのチェべス(Hugo Chávez)大統領は違う。反米主義者であることもあって、米国などの西欧諸国から独裁者のレッテルを貼られることが多い同大統領だったが、ソーシャルメディアを嫌うどころかフルに使いこなしている。同大統領のFacebookアカウントには15万人以上のファンが付いており、またTwiterアカウントには約184万人の国民がフォローしている。 Facebookのページには、以下のスクリーンショットの例のように

  • ホンジュラス、セラヤ元大統領が帰国 支持者の大歓迎を受ける

    ホンジュラスの首都テグシガルパ(Tegucigalpa)に戻ったホセ・マヌエル・セラヤ(Jose Manuel Zelaya)元大統領(2011年5月28日撮影)。(c)AFP/Rodrigo ARANGUA 【5月29日 AFP】2009年6月のクーデターで大統領の座を追われたホンジュラスのホセ・マヌエル・セラヤ(Jose Manuel Zelaya)氏(58)が28日、ほぼ2年ぶりにホンジュラスの首都テグシガルパ(Tegucigalpa)に戻り、大勢の支持者から熱烈な歓迎を受けた。 と側近を伴ってベネズエラの飛行機でニカラグアの首都マナグア(Managua)からテグシガルパの空港に到着したセラヤ氏は、トレードマークの白いカウボーイハット姿で飛行機を降りると、その足で大勢の支持者が待つ空港近くの広場に向かった。 クーデターによってホンジュラスは外交的に孤立していたが、前週、ポルフィリオ

    ホンジュラス、セラヤ元大統領が帰国 支持者の大歓迎を受ける
    rhyaosh
    rhyaosh 2011/06/05
    今年ベネズエラで開かれるラテンアメリカ・カリブ首脳会議のためにも大事な合意かと。
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