お笑いコンビ「ロッチ」のコカドケンタロウが、ミシン歴約1年ながらも、シャツやスカート、パンツを作るなど本格っぷりを見せている。話を聞こうと伺った自宅には、職業用ミシン、ロックミシン、トルソー、アイロンが完備されており、さながら服飾学生の部屋のようだった。「きっかけは40歳をすぎてからの趣味探しだった」というコカドの、本気だけど商売にはしないピュアで楽しいミシンの話。
4月、世界最大級の音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」に宇多田ヒカルが現れた。アジアのカルチャーシーンを世界に発信するメディアプラットフォーム「88rising」が主催するステージへの参加アーティストとして。その数日後、宇多田自らが対談相手に指名したジェーン・スーとのロングインタビューが行われた。 プルオーバー ¥49,500/SACAI(サカイ) 「TRINITY FORCHITOSE ABE of sacai」限定コレクション シングルイヤリング ¥594,000 ネックレス ¥2,217,600(ともに予定価格・限定店舗にて展開・6月中旬発売予定)/ともにCARTIER(カルティエ カスタマー サービスセンター) 宇多田ヒカル(以下・宇多田) タイミングと、「コーチェラだから」の二つですね。キャラ的にも歌唱法にしても、私はあまりフェスに向いているタイプではないし、きっかけもなかっ
2020年、アニメ『呪術廻戦』(TBS系)第1期のエンディングテーマになった「LOST IN PARADISE feat. AKLO」のヒットで、日本のみならず海外でも一躍その名を知られることになった音楽集団 ALI。その後もメジャーリーガー 大谷翔平がバッターボックスに入る際の登場曲として同曲が起用されるなど、順風満帆に歩んでいるように見えたが、突如バンドを大きな衝撃が襲った。詐欺罪でのメンバー逮捕と起訴。その事件の影響で、ALIは昨年5月、無期限の活動休止に入った。 その間も残ったメンバーで楽曲を作り続け、半年が経った11月に活動再開を発表。その際に公開されたLeo(Vo)からのメッセージには、多くの反響が集まった。「一生後ろ指を指されても仕方がありません。誰かに死ぬほど憎まれていても仕方ありません。それでも、音楽を、ALIをやらせていただきたいです」ーー壮絶な覚悟と決意を吐き出すよう
芸歴25年、群を抜いた大喜利センスと仕切り力が定評の麒麟・川島明。そんな彼が、「ラヴィット!」で初の本格的なMCに就任し、1年が経った。スタート時は低視聴率に苦しみ、番組の打ち切りもささやかれた。だが、ゴリゴリのバラエティースタイルがコロナ禍の世にあって好評を博し、3月末には同時間帯で男女コア視聴率2位へと大躍進した。ベテラン芸人が見つけた番組生き残り戦略を聞いた。(文中敬称略 取材・文:キンマサタカ/撮影:高須力/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 朝8時、番組スタート。30分にわたるオープニングトークののち、クイズという名の大喜利大会が始まる。生徒よろしく行儀よくひな壇に座る出演者たちが勢いよく手を挙げる。突拍子もない回答が出るたび、MCの川島が突っ込み、スタジオは大きな笑いに包まれる。 「僕の立ち位置は、教育実習に来た、生徒と年齢の近い先生。いい感じにいじりやすいから、み
文・取材=真貝聡、写真=池村隆司、スタイリスト= Styling:鈴木由里香、メイク・ヘアメイク=小森真樹(337inc.) 2021年、SPEEDが25周年を迎えた。大きな節目を迎えたグループは誕生から四半世紀経ってもなお、色褪せることなく多くの記憶と記録のもと輝き続けている。そんなSPEEDのメンバーで今も音楽活動を続けている島袋寛子が、hiro名義としては久々となるニューアルバム『0』をリリースした。『0』という意味深にも感じられるタイトルに込められた思いとは? SPEEDのデビューから解散を決断するまでの心境、ソロとして今も活動を続ける意味、そして「4人でやるのはやっぱり楽しい」と明かした“今後のSPEEDの行方”まで、26年分の思いをhiroに聞いた。(編集部) 「良くなかったら、いつでも沖縄に帰すぞ」と言われていた ーー去年SPEEDが結成25周年を迎え、またhiroさん自身も
試合の翌日、彼は傷だらけの顔でカメラの前に現れた。 プロボクサー、村田諒太さん36歳。 4月9日、村田さんは“世紀の一戦”と言われる世界王座統一戦を戦い、そして敗れた。 実は試合の1か月半ほど前、村田さんは取材班に「勝っても負けても引退するかもしれない」と告げていた。 村田さんが勝敗を越えて探し求めていたものは何だったのか。 (クローズアップ現代取材班 岡本直史 伊藤大志) 村田さん 「試合が終わった感覚が、まだないんです。けさ起きた瞬間、まだ試合があると思ったんです。それで『負けたんだ、君は』と自分に言い聞かせて、試合がないことにホッとしました。 昨日の究極的にしんどいイメージが沸き上がってきて、それからはもう解放されたんだと。そんな朝は、今回が初めてでした」
倉科カナ [撮影/写真映像部・高野楓菜、ヘアメイク/草場妙子、スタイリング/道端亜未] コロナ禍で全公演中止になった舞台が、この5月に同じスタッフ、ほぼ同じキャストで上演される。中止が悔しくて号泣したあの日から2年。その間に、倉科カナは、長いトンネルを抜けた。 【倉科カナさんの写真をもっと見る】 * * * 2年と少し前のことだ。大好きな演出家と憧れの題材に巡り合い、しっかり準備をして臨んだ舞台「お勢、断行」だが、初日目前に、全公演が中止になった。ゲネプロと呼ばれる本番さながらの通し稽古のあと、倉科さんは人目も憚らずに泣いた。悔しさと悲しさで、涙が溢れて止まらなかった。 「お稽古に入るまでは、自分は俳優として何ができるのか、何を求められているのかがわからずに、長いトンネルに入っているような感覚でした。私の世代は個性的な女優さんが多いので、『人は人、私は私』とわかっていても、“自分にしか
市原 作家陣の精査です。いちばん絶望したのは新人作家陣の層の薄さです。まったくゼロというわけではない。しかし、この大きな雑誌を動かしていくには圧倒的に才能群が足りない。未来への種子がない。育成体制もズタズタ。僕の編集長時代に黄金時代が到来することは絶対にないと確信しました。 先ほども申し上げたように、新人作家の育成には最低6~7年はかかります。自分は捨て石になるしかない、礎を築く代にしようと腹を括りました。ただ、新人作家が育つのを待ってばかりもいられない。 ――その間にも収益を上げなきゃいけないわけですしね。 市原 そう。壊滅的な経営状況の中でゼロベースから新人育成するわけで、第1期生が育ち切るまで最低でも5年。その間に雑誌が潰れてしまってはどうしようもない。そのときに閃いたアイデアが、『名探偵コナン』のスピンオフでした。当時の「少年サンデー」では『名探偵コナン』が絶対王者であり、青山剛昌
週プレNEWS TOPニュースエンタメ"ゲーム音楽の父"すぎやまこういちさん追悼インタビュー。"Dr.マシリト"鳥嶋和彦さんが『ドラクエ』誕生秘話を語る! 『ドラクエ』シリーズに名曲の数々を送り込んだすぎやまこういち氏 10月7日、作曲家・すぎやまこういちさんの訃報が日本列島を駆け抜けた。享年90。『ドラクエ』シリーズに名曲の数々を送り込んだ"ゲーム音楽の父"に哀悼の意を表して――。 編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を生み出し、『ドラクエ』誕生にも深く関わった鳥嶋和彦(とりしま・かずひこ)さんが当時を振り返る。 * * * ■『ドラクエ』を作った"伝説のパーティ"『ドラクエ』誕生にも深く関わった鳥嶋氏 ――35年前、『ドラゴンクエスト』の記念すべき第1弾が発売されました。鳥嶋さんはキャラクターデザインに鳥山明先生を紹介して最大級の貢献をなさるわけですが、当時の、『ドラクエ』
「清掃業を始めたときに『禊ぎなのか?』と言われたことがあります。世間の皆様に対して、反省しているということを見せるために選んだ仕事だと思われてしまったのでしょう。でも、僕は禊ぎで清掃の仕事を始めたわけじゃない。やりがいのある仕事だと思っていましたから」 入江の会社の名前は「ピカピカ」。ピカピカのセカンドキャリア1年生。心機一転の意味も込めた。 ピカピカには現在、冒頭に登場した2人の若手社員がいる。 2人は入江と一緒に働きたいと応募してきた。元役者と元フリーター。入江が彼らに最初に教えたのは挨拶の仕方だったという。 「ごちそうさまは大きな声で。うれしいことがあったらきちんとお礼をする。その瞬間に満足してはコミュニケーションが終わってしまいますよね」 彼らには芸人時代に培ったコミュニケーションの大事さを教えている。 「お金を頂戴しているお客様の前では、我々は等しくプロです。清掃についてはもちろ
30代はがむしゃらに駆け抜けた20代を経て落ち着きや包容力、余裕が感じられてくる年代だ。平成元年生まれの岡田将生も気がつけば32歳となり、人としても俳優としても大人の魅力が香り立つ。これから一層期待される存在だ。岡田のこれまでと現在地、そして作品や演技への取り組みについて聞いた。 何も考えず突っ走った新人時代 岡田は中学2年の時に原宿でスカウトされたが人前に立つことが得意ではなかったのと部活に夢中だったこともあり、いったんは断ったという。 「関心はなかったですね。テレビをあまり観てなかったので」 だが高校に入ってから何をしていいのかわからなくなり、心境に変化があらわれたそうだ。無料で芝居のレッスンを受けられるのはいいなと、原宿でもらった名刺に書かれた事務所に連絡をとったのだとか。そしてこれがそのまま芸能界入りにつながり、2006年にデビューを飾ると映画にドラマに順調に出演を重ねた。とくに2
くっきりと張りのある声。意志を感じさせる美しい顔立ちに、しなやかな身のこなし。マネージャーに付き添われて取材場所に現れたのは、プロフィギュアスケーター・安藤美姫だ。 取材者の話にしっかりと耳を傾け、自分の言葉で、誠実に、しかもたくさん話してくれる。ただ瞳の奥に、和らぐことはあっても消えない硬さがある。「初めてお会いする方にはどうしても壁を作ってしまうところがあって」。彼女がそう教えてくれるまで、少し時間がかかった。でも、自らそれを口にできるようになったこと、それ自体が安藤美姫の濃密な、33年間の人生を物語っていると、のちにわかった。 名古屋で育ち、9歳からフィギュアスケートを始めた安藤が、女子史上初の4回転ジャンプに成功したのは14歳のとき。その後、16歳でシニアデビューを果たした天才少女は、トリノ五輪代表選考を前に激烈なメディア攻勢に晒されたという。あれから18年――。当時のことについて
「女性に対する接し方も全然変わった」 今田耕司(いまだ・こうじ)1966年、大阪府生まれ。1985年に4期生としてNSC大阪校に入学。翌年に舞台デビューを飾り、2021年で芸歴35年。4月14日から、今田耕司×鈴木おさむの演劇シリーズ第7弾『てれびのおばけ』がスタートする ──先日『ボクらの時代』(フジテレビ)で、既婚者の芸人さんが妻に対して「1日ぐらい友達と遊ぶ日を与えた」という言い方をしていたときに、今田さんがすぐに「『与えた』という言い方はおかしい」と注意されていたのが印象的でした。 そうそう、こいつまだ、“昭和”やなと思って(笑)。 ──正直、今田さんは女性に厳しいというイメージがあったから驚きました。 若いときは、確かにめちゃくちゃ厳しかったですね。というか先輩の影響ですかね。女の子に優しくしてたら「何してんねん!」って言われる世界でしたから。みんなで飯食ってるときに彼女からの電
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く