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外務省公認「カワイイ大使」として世界中にロリータファッションの魅力を伝える青木美沙子さん。40歳になる現在、正看護師&ロリータモデルとして活躍しています。ロリータファッションにハマった理由や、二刀流を続ける理由などを聞きました。(全2回中の1回) 「大人でも姫になれるファッション」に衝撃を覚えた 中国のロリータブランドでの撮影。まるでお姫様のよう! ── 青木さんがロリータファッションにハマったきっかけを教えてください。 青木さん:高校生の頃に原宿で、ストリートスナップに声をかけられたのがきっかけです。『KERA』というロリータやゴシック系ファッションを取り扱う雑誌なのですが、その撮影現場で初めてロリータファッションに出会い衝撃を受けました。「大人になってもお姫様になれる服があるんだ!」と知り、一気にその世界にハマっていったんです。 それまでの私はカジュアルな原宿系ファッションで、ロリータ
受験者数は今や5万人を優に超え、受験率が18%超と過去最高を記録した今年の中学受験。競争が激化するなか、志望校の出題傾向をいち早くつかめるかが、合否を左右すると言っても過言ではありません。そこで、『「雨が降ってきたので、カサをさした」が書ければ中学受験は突破できる!』の著者で、国語専門塾「内藤ゼミ」塾長・内藤俊昭さんに、中学入試における国語の出題傾向を教えてもらいました。 社会的に注目されている“今っぽい”テーマがとにかく多い 中学入試の国語は、物語文と説明文の出題が8割を占めます。どちらも、学校のレベルに関わらず出題される文章が難しくて長く、記述問題が多くなっているのが特徴で、「こんな難しい話ばかりなんですか!?」と途方に暮れる保護者がとても多いです。 たしかに、昔と比べて難易度は上がっていますが、出題される文章には“流行り”があるので、それをつかめれば、ある程度の対策はできます。今の傾
キンタロー。事務所退社の理由「40歳の節目。自立してみたい」2年前から話し合いの末の決断の真意と現在の心境 ── 具体的にはどんなことをしたいと思っていたんですか。 キンタロー。さん:自立と言いますか、独り立ちはいつかしたいと思っていました。仕事でこのままの状態をキープできる保証はどこにもないですし、いつどうなるかわからないご時世で、ひとりでなんでもできるかと考えてみると、自分は何もできないなと。 事務所に所属しているよさは、仕事の窓口となってくれて、仕事をするうえで守ってもらえることでした。それを前提に12年間、仕事をさせてもらっていたのですが、「自分でどうにかしなきゃ」というときに動けない自分ではいたくないと思ったんです。 細かいことで言うと、たとえば現場に行くにも新幹線のチケットを自分で買うとか、こういうやりとりの末にこの仕事が決まった、という過程やお金の流れもすべて自分で見てみたか
「うまくなりたいのはわかる。でも、1日中はプレイしてほしくない」、ゲームソフトのメーカーに籍を置く高橋名人は苦悩しながら、「ゲームは1日1時間」と子どもたちに語りかけました。この声はいま、スマホやタブレットに時間を忙殺される子どもにも当てはまるかもしれません。(全4回中の2回) 「ゲームは1時間」名人の言葉に業界も猛反発 ──「16連射」で大ブームを巻き起こした高橋名人。ハドソンの販促をしながら、「名人」として全国をまわりながら考えたことを教えてください。ブームの盛り上がりにともない、ファミコンを苦い目で見る親も増えてきたのでは? 高橋名人:ゲームと子どもたちについては、ずっと考え続けていました。 ファミコン以前、インベーダーゲームができるインベーダーハウス(現在のゲームセンター)が全国に乱立しましたが、薄暗い店内、不良の溜まり場というイメージの悪さのため、PTAから小中学生は立ち入り禁止
気づけば子どもが何時間もタブレットやスマホを見ている。だから「ゲームを止めさせればいい」という話ではありません。大人が「子どもとゲーム」の関係にどう向き合うか。30年前に「ゲームは1日1時間」と唱えた高橋名人に聞きました。(全4回中の4回) オックスフォード大学が解き明かしたゲームの影響 ── ゲーム会社ハドソンの社員で、「16連射」で子どもたちの憧れだった高橋名人。社員時代、早い段階からゲームと子どもの関係について考えていたそうですね。 高橋名人:はい。そのままにしておくと、子どもは5~6時間と、平気でゲームで遊んじゃいますからね。 「ゲームは1日1時間」と私が言ったため、「名人がこう言っているんだから、1時間にしておきなさい」と、子どもに言う親御さんも多かったんです。 ── 最近はスマートフォンもありますから、より簡単にゲームできる環境になりました。 高橋名人:かなり幼少期から、iPa
保護猫と暮らす情報番組では猫への優しい笑顔や接し方が人気のティモンディ・前田裕太さん。プライベートでも2匹の愛猫と一緒に暮らしています。そんな猫との話、趣味や料理、夢についてお聞きしました。 猫たちのおかげで、自宅に帰る理由ができた 愛猫の1匹、リオンを膝の上に座らせてゲームをする前田さん ── 現在、愛猫ノエルとリオンと一緒に生活をされていますが、なぜ相棒に猫を選んだのでしょうか。 前田さん:もともと猫が好きで、猫を飼いたいと思っていたんです。もちろん、犬も好きで、大型犬とかもめちゃくちゃ可愛いですが、仕事柄、毎日散歩をするのも難しいから。猫だと自分で好きなように時間を過ごしてくれるし、トイレも全自動トイレというのがあって、常に綺麗な状態で。飲み水とご飯さえあれば、基本的に自由にしてくれるので、猫のほうが今の僕のライフスタイルにも合っていると思いました。 ── 猫と暮らしていてよかったと
「16連射」の代名詞はいまも色あせません。家庭用ゲーム機の黎明期に突如現れた、高橋名人。全国のスーパーで開かれたゲーム大会には人だかりができました。「1980年代」を熱狂に包んだ当時を、名人に振り返ってもらいます。(全4回中の1回) スーパー勤務時にパソコンを買ったのが運命の始まり ── 1980年、ファミコンのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が伝説となり、絶大な人気を誇った高橋名人。ゲーム会社・ハドソンの社員だったということですが、もともとゲームが得意だったのですか? 高橋名人:いや、1970年代後半にシューティングゲームのスペースインベーダーがやっと出てきたくらいで、私がハドソンに入社した1982年ころはまだファミコンが存在していませんでした。私は喫茶店のインベーダーゲームやゲームウォッチもあんまりやらなかったんです。 ── ゲームをあまりしていなかったとは、意外です。何がきっか
海外のニュースなどで「10歳の天才少女が○○大学に合格!」といったニュースを見かけることがありませんか? これはその国や自治体の「飛び級制度」によるものですが、それを見てふと「日本には飛び級ってないの?」と疑問に思った人もいるのではないでしょうか。 今回は、日本に飛び級制度はあるのか、海外と比べてどうなのか…など、現在の状況やメリット・デメリットについて解説します。 飛び級制度とは?日本では大学・大学院のみ まずは、日本に飛び級制度はあるのか?という疑問について確認してみました。 結論からいうと、現在いわゆる「飛び入学」「早期卒業」という形で飛び級は存在します。 ただし日本ではその対象は大学と大学院に限られています。 皆さんの子供時代や学生時代を振り返ってみても、日本の小中高で、自分自身や周りの友だちが飛び級で上の学年に行ったり、18歳以下で大学に入学したり…という経験はおそらくないですよ
Eテレの番組に10年以上「おねんどお姉さん」として出演する岡田ひとみさん(43)。ねんドル(ねんど職人+アイドル)として20年以上活躍していますが、その原点はアイドルを目指し、個性に悩んだ20代にありました。(全4回中の1回) きっかけはディズニーランドのショー 小学生のころの岡田さん(左)。妹さんとのショット ──「ねんドル」(ねんど職人+アイドル)として20年以上活躍されています。子どものころから芸能界を目指していたそうですね。 岡田さん:そうですね。「エンターテイナーになりたい」と決めたきっかけはよく覚えていて、小学校4年生のときに、ディズニーランドの「ショーベース2000」という半野外ステージで、キャラクターショーを見たんです。そのときに客席から「あのステージに立って、歌ったり踊ったりしたいな」と思ったのがはじまりです。そこから「どうやったらなれるかな」と自分なりに調べたり、両親に
63歳で初の個展を開いて画家としてデビュー。以降10年間、年に2〜3回、個展を開催している浅野順子さん。長男のKUJUNさんは、現在音楽家として活躍されており、次男は、俳優の浅野忠信さんです。そんな浅野さんの半生を一編として収録した『人生後半のひとり暮らしを穏やかに楽しむ』が話題に。画家をめざすきっかけや現在の活動についてお聞きしました。 子育てもバー経営も画家も。自分らしく愛をもってかかわる 暖かな陽が差し込む築50年ほどのヴィンテージマンションは、壁や床が何度も塗り替えられた。アトリエを兼ねたこの空間で、絵を描きながら暮らしている 浅野さんは横浜で生まれ育ち、1960 年代以降は米兵らが集うバーやナイトクラブで、ファッションや音楽、ダンスといったあらゆるカルチャーを体感。地元の友人だったタレントのキャシー中島さん、モデルの山口小夜子さんらとともに、当時の横浜カルチャーを牽引していた「ク
経営者として、タレントとして幅広く活躍する京子スペクターさんは、ライフスタイルコーディネーターとしても活躍されています。アメリカや日本で暮らして感じたことやライフスタイルにおけるモットーを伺いました。(全4回中の4回) 「家事はやらなくていいよ」夫からのリクエストでホテル暮らしがスタート 「君が苦労する姿は見たくない」というデーブさんの意向で、ホテル暮らしを選択 ── 1983年の来日以降、夫、デーブ・スペクターさんとともに都内のホテルで生活されていたそうですね。ホテル暮らしが始まった理由を教えてください。 京子さん:夫の仕事で来日して以降、日本とアメリカを行き来していたため、ホテル暮らしの方が身軽だったということが理由のひとつです。もうひとつの理由は、結婚当初から夫に「君が苦労するのは見たくない。家事はやらなくていいから」と言われていたことです。ホテルに滞在していれば、掃除もメイドさんが
子どもの小学校入学に伴い、共働き家庭に立ちはだかる「小1の壁」。最近では、放課後だけでなく朝の子どもの居場所の問題も注目されており、全国各地の小学校で開門時間を早め校庭を開放する取り組みが進められています。 「まずは門を開いて、できることから」 子どもが小学生になると保育園のときよりも家を出る時間が遅くなるため、親の勤務時間や勤務形態の見直しが必要になったり、親の出勤時間に合わせて子どもが朝早く家を出て、校門の前で待たなければならないことが問題となっています。 その解決策のひとつとして、この春から大阪府豊中市ではすべての市立小学校で午前7時から校門を開放する取り組みが始まりました。 東京都三鷹市でも、2023年11月1日より市立小学校の朝の校庭開放が実施されています。開始から数か月、取り組みの経緯や現状、課題について三鷹市教育委員会事務局の宮﨑治さんに聞きました。 朝の校庭開放の様子(写真
がんが完全寛解したあるとき届いた便箋に、「なぜ、あなたが生きているんですか?」の言葉がしたためられていました。それでも、元フジテレビの笠井信輔さん(60)は情報発信をやめません。大病を患った自分だからこそ「伝えなければいけない役目がある」と、いいます。(全5回中の2回) 情報発信は慎重に「受け取り方は人それぞれで」 ── 悪性リンパ腫と診断されてから、笠井さんはインスタで積極的に発信されたそうですね。 笠井さん:がんは進行度によって、ステージ0からステージ4までの5段階に分類されています。私が悪性リンパ腫とわかったときはすでに「ステージ4」と、一番進行している段階でした。しかも、脳に転移しやすい遺伝子異常もあり、通常の治療法は効かないといわれていました。 闘病中は少しでも多くの人の参考になればと、積極的にインスタで情報発信を行っていたんです。情報を伝える際は、毎回、妻に文言をチェックしても
フリーに転身して前途洋々なはずの人生が、2か月で暗転します。笠井信輔さんを待っていたのは、「悪性リンパ腫のステージ4の宣告」でした。好んで病名を公表する人はいませんが、「でも…」と声をあげたのは、ワイドショーの中にいた人としての、責務でした。(全5回中の1回) 「アナウンサーの仕事がなくなり」退職を決意 ── 順風満帆なアナウンサー生活を送っていた笠井さんですが、56歳でフジテレビを退職したのはなぜでしょうか? 笠井さん: 簡単な話で、フジテレビにアナウンサーとしての居場所がなくなったからです。『とくダネ!』が始まった当初から、2時間の放送時間枠のなかで私は30分くらいを担当してしゃべっていました。それが10年以上続いたんですが、長寿番組の宿命といいましょうか?若いアナウンサーの登用で最後の1年は、毎日1~2分程度しか話す機会を得られませんでした。 私は『とくダネ!』担当時からデスクも兼任
腸活プロデューサーで“腸活うんちお姉さん”として活動する、長瀬みなみさん(33)。「東京生まれ、便秘育ち」と語るとおり、生まれてから25年以上便秘と付き合ってきました。腸活との出会いで、人生もキャリアも劇的に変化したと語ります。 生まれたその日から便秘だった…? ── 長瀬さんは、自分が便秘だと自覚したのはいつごろですか。 長瀬さん:生まれたその日から、と言ってもいいかもしれないです。物心ついたときはすでに便秘状態だったと聞いています。自分の記憶の中でも、すっきりうんちが出たということがいっさいないんです。週1回くらい、ウサギのうんちみたいななのが出るくらいでした。でも、それが私にとっては全然普通だったんです。というのも、実は母親も便秘で、便秘状態がわが家にとっては当たり前だったんで、大変だとも思ってなくて。子どもだから世間と比べることもありませんからね。 ── もしかしたら人と違うかも、
千葉県で小学3年生だったベトナム国籍のリンちゃんが通学途中で保護者会会長の男に殺害されてから7年。母親のグェンさんが初めて単独取材に応じ、残された弟の様子や現在の生活を語りました。 弟の夢は「警察官」残された家族は 「とても仲がいいきょうだいでした。当時3歳だった息子は、なぜリンちゃんがいなくなってしまったのかよくわかっていませんでした。息子は、いつもリンちゃんが学校から帰ってくる夕方になると玄関で待っているんです。リンちゃんの写真を抱えながら、私に『お姉ちゃん、なかなか帰ってこないね』と。声をかけられるのがつらかったです。 インタビューに応じるリンちゃんの母親のグェンさん 街でリンちゃんと同じくらいの子が歩いているのを見かけると『あれ、お姉ちゃんじゃない?』と言い出すこともありました。リンちゃんのことがあったので、人を守れる人になりたいからと、小さい頃は『将来は警察官になりたい』とも言っ
19歳年上の夫とふたりの子どもたちと暮らすイラストレーター、よこみねさやかさん。小学生の息子の悩みに答える夫の発言に、数々の名言が散りばめられていることに気づいたそう。子どもにありがちなお悩み「あの子に意地悪された…」に対しても、いきなりナナメ上からの回答!その驚くべき内容とは──。 「意地悪された」と落ち込む息子に夫は「それは意地悪じゃない」衝撃の理由は 子どもたちも成長し、悩みの内容も少しずつ高度になってきた。特に人間関係の話はこちらとしても悩ましい…わたし人間関係へたくそだから。わが家では、そんなときこそ夫の出番。いらない気を使って聞きたいことをうまく聞き出せない私とは違い、わが子の心をうまくほぐしながら話を聞き出すテクニックはさすが。センスの有無ももちろんのこと、私よりも19年長く人生経験を積んだだけあるなあと頼もしく感じます。 性格も考え方も人それぞれ。同じ人間はひとりとして存在
ミス・ジャパンのグランプリを獲得した佐賀県職員の吉田愛さん。小さい頃から憧れていたアイドルの夢と公務員を目指したきっかけとなる父親の存在についてお話を伺いました。(全2回中の2回) AKB48に憧れて ── 就職先として佐賀県庁を目指していたのはなぜですか。 吉田さん:父は今も県庁の職員として働いているのですが、その姿を見てきたことが大きいです。父が昔から「県民のため、困っている人のために働くということはやりがいがあるよ」という話をしていたのを聞いて影響された面は大きいと思います。すでに中学、高校の時には将来、公務員になろうと決めていました。 「リアルに天使!」赤ちゃん時代も現在の面影がある吉田さん その一方で、アイドルになる夢もあったので大学ではK-POPダンスを習っていました。小学生の時にAKB48さんに憧れていたのですが、指原莉乃さんが地元の大分を盛り上げていたように、私も佐賀でそう
大腸がんの闘病記を書いていたBL漫画家のひるなまさん。かつて実父から虐待を受けていたことを著書のなかで明かしています。「虐待サバイバー」の闘病に待ち受けていたものとは?闘病する患者家族の目線で経験したことや感じたことをブログで発信する、ひるなまさんの夫さんにお話を伺いました。 ひるなまさんの遺作となった漫画『末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』第2話より 闘病中の「病気以外の苦しみ」 ── BL漫画家として活躍していたひるなまさんですが、38歳で大腸ガンを患ってから、その闘病記を漫画『末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』でポジティブに描いていました。昨年12月に亡くなられた後も多くの人に読まれていますが、作品のなかでは父親からの虐待を受けていた過去も描かれていますよね。 ひるなまさんの夫:僕と妻は学生時代からのつきあいなのですが、そのころから本人が虐
ミス・ジャパングランプリに輝いた吉田愛さんは、普段は佐賀県職員として勤務しています。ためらいもあったと話す大会への挑戦とプライベートの過ごし方について伺いました。(全2回中の1回) 「人生で一度は大きなことにチャレンジを」 ── まずはミス・ジャパンに応募した理由から伺えますか? 吉田さん:大会の存在は知人から教えてもらって知ったのですが、最初は「そもそも公務員が受けられるのかな」とか、「目立ったことをしていいのかな」と思っていました。でも、自分の気持ちに向き合って、公務員であるということをいったん置いて考えてみたときに「挑戦してみたい」という思いが強いことに気づきました。 締切10分前に応募したというミス・ジャパン佐賀大会へのエントリー写真「初々しくて清楚!」 最後まで迷っていたので、エントリーをしたのは締切の10分前だったんです。小さい頃からアイドルに憧れていたこともあって、人生で一度
ダルビッシュ有の母、郁代さん。次男の翔は、中学3年生で初逮捕され少年院へ。その後も気苦労が絶えなかったと言いますが、人との出会いで徐々に変化をしていったと語ります(全6回中の5回)。 どんどん悪い友達と繋がるようになって ── 次男の翔さんは中学生あたりから素行の悪さで目立ち始め、中学3年生で初逮捕、その後、少年院に入った時期もありました。まず、長男の有さんは弟の翔さんに対してどんな風に接していたのでしょうか? 郁代さん:有が中学3年生のときに翔が中学1年生で、その頃から翔はだんだんと帰宅時間が遅くなっていきました。有は野球で忙しかったし、翔のことで一回一回、口を出すようなことはなかったと思います。ただ、あまりにも度を超えたときに「お前いい加減にしろよ」くらいは言ってたと思いますけど。 ── 翔さんの悪さは地元でも知られる存在になっていったそうですが、兄弟の関係性に変化はありましたか? 郁
長男のダルビッシュ有、次男の翔、三男の賢太の3兄弟を育てた母・ダルビッシュ郁代さん。兄の有が野球で注目を浴びていく中で、翔の素行がどんどん悪くなっていき──(全6回中の4回)。 授業中に教室から飛び出して ── 次男の翔さんは、大阪の西成で炊き出しをされたり、SNSなどでも活躍されていますが、子どもの頃は子育てでご苦労されたと聞いています。 郁代さん:次男は多動性(ADHD)でじっとできなかったので、目が離せなくて。日々世話に明け暮れていた感じはありました。 ── 翔さんが多動性だとわかったのはいつくらいですか? 郁代さん:もうずっと何か違うなって思っていたんですけど。でも、うちの次男が産まれた約35年くらい前って、ADHDとか多動性といった言葉が日本ではほとんど出ていなかったんですね。とりあえずじっとしてない元気な子みたいな感じで思われていましたが、じっとしていない度合いが普通じゃないな
ダルビッシュ有の母・郁代さん。有選手は小学2年生から野球を始め、早々に実力を発揮するも、一度は野球から離れた時期があったそうです。その理由と野球再開を決意したある人の言葉とは── (全6回中の2回)。 サッカーをして欲しかったはずが ── 長男のダルビッシュ有さんは小学2年生から地元の少年野球チームに入ったそうですね。親として、将来はプロ野球選手になってほしいといった願望がもともとあったのでしょうか? 郁代さん:いやいや、まさか。全然思ってなかったですね。野球チームも友達に誘われて入ったくらいで、地域でやっている野球チームに入りたいと言ったから、じゃあ入ったらいいよって。本当はお父さんがサッカーをやっていたので、有にもサッカーをやらせたかったんですね。 お父さんが神戸にある外国人のサッカークラブに入っていて。自分がサッカーをするときに有を連れて行っていたので、いずれ「自分もやりたい!」って
ダルビッシュ有の母・郁代さん。今やメジャーリーグで活躍する有選手ですが、子どもの頃は周りの環境と馴染めず苦労した時期があったといいます(全6回中の1回)。 ある日、学校から連絡がきて ── 郁代さんは長男のダルビッシュ有さん、次男の翔さん、三男の賢太さんと3人の息子さんのお母さまでいらっしゃいます。子育てをするにあたって意識していたことはありますか? 郁代さん:それぞれ個性があるので、特にこんな子に育って欲しいといったものはなかったんですけど、男の子ですし、とりあえず生きていくのに強い子であって欲しいとは思ってました。 ── 長男の有さんについて。有さんは、お母さんから見てどんな子どもだったと思いますか? 郁代さん:ものすごく小さいときから、考えられないくらいシャイでした。シャイというか、人に気を許して接することができない。たとえば保育園や小学校にあがるとき、新しい環境に行くたびに周りと馴
何度も入退場をしたり、校歌を歌ったり。同じことが繰り返される卒業式の予行練習。その理由とは?昨年まで10年間、公立の小学校校長を務めていた田畑栄一さんに、練習を含めた卒業式のあり方について聞きました。 「厳粛な卒業式」のために予行練習は行われる ── 小学校では、卒業式の予行練習に相当な時間をかけている印象があります。必ず行わなければいけないものなのでしょうか。 田畑さん:定められてはいませんが、習熟度を高めるために予行練習は行われます。「儀式的行事」が学習指導要領「特別活動」で、以下のように位置づけられているからです。 「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」。ここに、「卒業式」が該当します。「厳粛」な式にするために、何度も練習するのが慣例になっているのでしょう。 ── 時間をかけて練習をしなければ「厳粛な
緊急事態宣言の解除と国内の感染者数の減少を受けて、これまで減便措置を取っていた日本航空と全日本空輸は、年末年始の国内の運航率をコロナ前の水準に戻すことを発表しました。 コロナ禍でまだまだ例年通りの帰省とはいかないかもしれませんが、交通機関を利用して子連れで移動をする際の注意点などについて、小児科医の島袋林秀先生に伺います。 まずは親自身がしっかり健康管理を 「冬の感染予防に関して医学的な観点からいうと、むやみな外出や人混みに出ないのがいちばんです。ご家庭によってさまざまなご事情もあるかと思いますので、今時期の帰省について一律な意見は言えませんが、家族でよく相談することが大切です。 コロナウイルスに限らず、インフルエンザウイルスなど他の感染症予防にもいえることですが、子どもを感染症から守るためには濃厚接触者であるご家族自身がしっかりと健康管理と対策を行うことが大切です。 もし帰省をするのであ
公開中の映画『水上のフライト』。走り高跳びで世界を目指していた主人公・遥が、不慮の事故で将来の夢を絶たれてしまう。心を閉ざし、自暴自棄になっていたときに、カヌーに出会い新たな夢を見つける姿が描かれます。 CHANTO WEBでは、遥にカヌーの楽しさを教えるコーチ・宮本浩役の小澤征悦さんにインタビュー。現場でもコーチのような立ち位置だったという小澤さんに、撮影現場の雰囲気やカヌー練習時の思い出、さらに理想のコーチ像について伺いました。小澤さんの子ども時代のお話、印象に残っているご両親の子育て方針についても教えてもらいました! —— 兼重監督が「すべての登場人物の父親的な役回り」の宮本役には、小澤さんしか浮かばなかったとおっしゃっています。 小澤さん ありがたいですね。多分、冗談でしょうけれど(笑)。この作品には、体が不自由になった主人公の再生の物語という大きなテーマがあります。大きな愛情を根
藤岡弘、さんの次女でモデルや俳優として活躍する天翔天音さん。芸能界に入る前は普通の学生生活を送っていたそうです。芸能界の先輩でもある父親からのアドバイスとは──。(全2回中の1回) 芸能の仕事は「自分でもびっくり」 ── 小さい頃はどんなお子さんでしたか。 天翔さん:すごく恥ずかしがり屋で、物静かな子でした。人前に出ることにも抵抗があったので、今こうやって芸能のお仕事をして、ファンの方に応援していただける環境にいることが、自分でもびっくりしているくらいなんです。 天使すぎるきょうだいと藤岡弘、さんの優しいパパの顔が素敵なファミリーショット(写真下、右が天翔天音さん) 学校でも、積極的に前には出ず「私は大丈夫」というタイプでした。きょうだいそれぞれ性格は違うのですが、周りからは「雰囲気が全員似てるね」と言われることが多かったです。 ── 大人になったら叶えたい夢はなんでしたか。 天翔さん:小
15歳で女優デビューしてから第一線で活躍している松下由樹さん。最近になってやっと気づけたという心の声についてお聞きました。(全3回中の3回)
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