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中東情勢
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節電モードで薄暗い病院で定期健康診断を受けた。憂鬱だった。ここ数年の検査結果が良くないのと、とある検査項目自体に苦手意識があったからである。そして憂鬱の中心に採尿がある。僕は、採尿が、苦手だ。採尿はこれまで何度もこなしてきたので慣れたものだ。トイレで紙コップに尿を採るとき、僕は、まるでベテランの電車機関士のように、指定されたラインに一ミリの狂いもない精度でピタ止めできる。問題はその後だ。尿漏れが酷くて、毎回、検査着の股間前面にシミをつくってしまう。僕は普段からパンツを履いている。だがパンツの布の厚さでは吸収できず、尿が越境してしまうのだ。 採尿は、検査の初っ端に行われるため、検査が終わるまでの時間を股間に染みをつけた状態を衆目に晒すことになる。このようなカミングアウトをすると、人々は尿漏れパッドを推奨する。推奨する人たちに反論したい。キミたちは周回遅れであると。すでに試している。股間に当て
売り言葉に買い言葉で進退をかけたら死んだ。事の始まりは春先の幹部会議。その席で僕は3件の重要な案件の進捗について社内プレゼンをした。話を終えると取締役の1人から「どの案件も会社の将来がかかっている。進退をかけて臨むように」と言われた。進退をかけるとは結果が出ればオッケーだが、結果がでなければ責任を取るということ。なぜ、会社の幹部というよりは会社の患部的存在から、無条件に進退をかけさせられなければならないのか!という怒りはあったものの、しくじりが許されない案件であることには変わりなく、案件の見通しに自信もあったので、売り事に買い言葉で「進退かけますよ」と口に出してしまったのである。 1件目は夏に結果が出た。東海エリアの足がかりとなる案件である。成約。進退をかけた戦いに挑み、勝って、生き残ったのである。取締役に伝えると「あと2件ある」と冷酷な対応をされた。進退についての考え方の差異が明らかにな
2022年10月14日、プロ野球セントラルリーグクライマックスシリーズ東京ヤクルトスワローズ対阪神タイガースの試合(明治神宮球場)を観戦した。試合結果はヤクルトの逆転勝ち、3連勝で日本シリーズ進出を決めた。高津監督おめでとうございます。 試合は3人で観戦した。飲み屋で意気投合したひと回り年下の友人(35)が「クライマックスシリーズを現地観戦したい」というので誘ったのだ。彼がヤクルトファンの知り合いを連れてくるというので3枚チケットを手配した。 ▲3枚チケットを手配する中間管理職(48) 東京ヤクルトスワローズの本拠地、学生野球の聖地明治神宮野球場前で待ち合わせ。あらわれたのは知り合いと、知り合いといい感じの関係にあると一瞬でわかる二十代の女性であった。 ▲聖地 明治神宮野球場。 試合は3点リードを守らんとする阪神のエース青柳と、攻略しようとするも得点できないヤクルトスワローズの緊迫した展開
僕は食品会社の営業部門の責任者。中小企業なので、本来の仕事の新規開発営業に加えて、既存の取引先との交渉も任されている。最近、以下のようなやり取りが繰り返されている。 10年以上商品を納品させていただいているクライアントとの価格交渉だ。会社上層部からは価格アップをするよう厳命されていた。「最高幹部会議でコストを価格に転嫁するという方針で行くことになった」という上層部は真顔であった。「お世話になってます」「こちらこそ貴社にはお世話になっております」応接室で担当者と会う。いつもと変わらない商談のはじまりだ。担当者は「いろいろなものが値上がりしてお互い大変ですよね」と切り出すと、昨夜のニュースでスーパーの店長が値上げ改訂したシール貼り換えに追われているエピソードを話した。値上げ交渉をするには最高の出だしである。「どの業界も値上げで苦労してますよ」と同意する。 「皆、苦労してますよ」と担当者は、詳し
妻から「胸を揉んでほしい」と言われた。私の記憶が正しければ11年ぶりである。当時の記憶は曖昧である。この夏の甲子園出場校にたとえるならば、鳥取商が11年ぶりの出場である。関係者と甲子園マニアをのぞけば、11年前の鳥取商の戦いを鮮明に記憶している人はいないだろう。「胸を揉む」というと、性的なコンテンツと思われがちだが、実態は「モミモミ~モミモミ~」という軽薄な行為ではなく、1冊の辞書をつくりあげる人々を描いた名作「舟を編む」のように、静謐な響きが聞こえてくるような崇高な行為である。舟を編む。胸を揉む。なぜなら、妻から要請されたのは乳がん予防のための触診だからだ。「自分ひとりでは分からず見落としかねないのでセカンドオピニオン的に揉んでみてほしい」妻はそう言った。この部分に着目すると、妻からの信頼を勝ち得ている平均的な夫という社会的評価を得られるだろう。それは違う。妻は「ビーチクに触れてはならな
猫がいなくなった。ノラ猫だ。近所の道路や駐車場を歩いていたり、近隣の家の庭や僕の車の下で昼寝をする姿を見かけたオスのキジトラで、尻尾が短くて丸くてお団子みたいだったので、勝手に「ダンゴ」と名付けて呼んでいた。初めて見かけたのは2015年の春先だ。隣家の自家用車の屋根の上にいて、出勤中の僕と目が合ったのだ。口もとが真っ白なのが印象的な、子猫だった。それからは毎日のように姿を見かけるようになった。何日か見かけないときは妻さんと「今日はお出かけかね」「猫は自由でいいよね」なんて話をしたものだ。台風の日や雪の日は「あの子大丈夫かな」と心配した。ダンゴは鈴や首輪もしていなかったけれど、毛並みも綺麗で少し太り気味だったのでどこかのウチでゴハンをもらっていたのだと思う。さいわい、といってしまっていいのかわからないけれど、我が家の周りも高齢化の直撃を受けていて、毎日サンデー状態のおじさんたちが日中ぶらぶら
具体的な団体名称は明かせないが、新興宗教の2世信者と付き合ったことがある。当時、僕は30才で相手は20代前半だった。彼女は母子共々の信者だった。彼女自身も、親の影響で無理やりというわけではなく、積極的に青年部に属して何とも表現しにくい会合に出席していたし、事故で人が亡くなったニュースに「きちんと加護を受けてない人間だから死んでも仕方ない」と発言したりしていたので、そこそこ厚い信心をお持ちになられていた。 カルト教団が世間を騒がせてから10年も経っていない時代だ。宗教ガールと付き合うのがリスキーであることは僕も分かっていた。なぜ付き合ったのか。一言で言ってしまえば隠蔽されていたのだ。いたした後、「実は私ね」とカミングアウトされたときの衝撃は忘れられない。合体グランドクロスのあとで「私と付き合いたいのなら青年部に来てよ。仲間たちもいるから」と恐ろしいことを言われても関係を絶てずにいたし続けたの
ご無沙汰しております、6月24日は友人のHagex君の命日。というわけで共通の友人である「日本一インターネットで顔写真が使われている男」こと、フリー素材モデルの大川竜弥氏、山岳とビールを愛するブロガーはらですぎ氏(id:haradesugi)とHagex君ゆかりの店で献杯しております。4年経った。もう4年なのか。まだ4年なのか。
ブログ更新を停止するかもしれません。理由は画像を見ていただければわかります。 2007年より一貫してガラケーで執筆してきた当ブログですが、更新停止することになりそうです。理由はガラケー(ガラホ)弐号機がぶっ壊れて完全に沈黙したため。機体の上にソフトクリームをブチまける、ビールをこぼす、酔っ払ってトイレにちゃぽんする、という取扱いに問題がなかったとは言いませんが、原因を追究したところで、憎しみの連鎖が断ち切られないうえ、ガラケーが壊れたという事実は変わらないので、あえて悪者探しはいたしません。ガラケー風の機種に変更すればいいのですが、悪いことは重なるものでございまして、本業の業務でラインワークスを導入することになり、仕事用のスマホを導入せざるをえない状況になりました。ガラケー以外で執筆した経験がほぼないので今後どうなるか不透明な状況ですが、間違いなく以前と同じようには更新できなくなります。引
客ではなかった。会社を乗っ取ろうとしていたハイエナだった。肝の小さい同僚は応接室の僕の傍らで小さくなっている。話を戻す。年末くらいから事業部がコンサル会社の営業を受けているのは知っていた。「事業拡大の手伝い」云々。よくある話だ。事業部に持ちかけられた話は、超大手企業の福利厚生部門を一括しておまかせしたい、というもの。これにウチの事業部は食いついた。表向きはコンサル会社が仕事を受けてその下請けというビジネスモデルであった。「事実上御社がやっているのと変わりません」と言われて、呑気なウチの事業部の連中は「売上はコンサルに払う分下がるが責任はコンサルがもってくれるんだヤター!」と喜び、話を進めていた。 コンサル会社のターゲットになったのは事業部のトップである六十代後半の人で、判断力が落ちているのだろうね、疑うことなく話に乗り商談をすすめてきていた。風向きが変わったのは、コンサル料の金額の話になっ
感染による自宅療養から職場復帰して1か月経過した。おかげさまで目立った後遺症はない。家庭では奥様に対してもともと稲穂のごとく頭を垂れて過ごしてきたが、感染以来はますます立場がなくなり額を床に擦り付けるように生きている。キン肉マンなら額の肉マークが擦り消えているだろう。 会社では復帰後に上層部から「どこで遊んでいた?正直に言ってみろ」「たるんでいるから病気になる」などと心ないことを言われて、眉間のしわが濃くなるばかりだ。だが、もっとも厄介なのは、会社上層部の高齢者が「自宅療養」と「在宅勤務」の違いを理解していないことである。「家にいる=サボる」という重度の出社病患者なのだ。 もともと、彼らは在宅勤務に反対の立場であった。「家では社員はサボる。会社に顔を出して気合を入れないと仕事にならない。交通費はそのための必要コストだ」というのがその理屈。「会社にいる人間は仕事をしている/自宅にいる人間はサ
突然だが表題のツイッターマスターの部下が退職することになった。僕が自宅療養から復帰した日の夕方メールで告げられた。「3月末で退職/4月からは新しい職場で働く/年休を消化するので最終出社日は今月22日」という内容であった。翌日の午後、面談した。ちょうど世の中の皆さんが男子フィギュアスケートに釘づけの時間である。なぜこんなくだらない話のために、世界初4回転半への挑戦を見届けることができないのか。 質問してもいないのに退職理由を一方的に告げられた。「やっぱり待遇面が一番の理由ですね。もう少し自分の力と経験を評価してもらいたかったです。手取りとして最低自分の年齢に3万円を乗じた金額はもらえないと…。そして、モチベーションの低下が一番の理由ですね。これからも食品業界で生きていけるのかと考えると…。もうひとつ、コロナで自分の思うような営業活動ができなくなったのが一番の理由ですね」という調子で何が一番の
何かと巻き込まれる体質のため気をつけていたのだけど、新型コロナに感染してしまった。奥様には、この体質を「劣化版ジョン・マクレーン」と揶揄され、飛行機には乗るなと忠告されている。「僕が飛行機に乗るとテロリストによるハイジャックが起きて人に迷惑がかかるから」がその理由だ(仮に、飛行機に乗って隣席がテロリストだったら、機内から迫真のブログを更新して世界一のブロガーになるだけのことだと思うのだけど)。僕自身は自分の人生を巻き込まれたり巻き込んだりの平均的なアラフィフ男性の人生と分析している。僕は2022年2月13日に48歳になった。これまでの人生を簡単に振り返って、人生について考えてみることにしてみた。 1970年代 3才祖父事故死(川で)/4才横浜駅で迷子になる/ピアノを習いはじめる 1980年代 小3ボヤを起こす(近所の野原)/小4交通事故に遭う(車にはねられる/捻挫) 1990年代 高3春に
私事だが新型コロナに感染して10日間自宅で療養生活を送っておりました。明日から復帰である。感染して発症したものの、不幸中の幸いで軽症で済んだ。感染したタイミングがたまたま神奈川県が方針を変更したときと重なって、自宅療養をどうすればいいのか(届け出等)試行錯誤したので、のちのちの参考のために僕の経験をここに残しておきたい。 0日目(発症) 2022年1月29日土曜日。就寝前に歯磨きをした際に喉に違和感を覚える。たまたま、昼寝をしたときにイビキをかいていた(奥さんに「うるせー」とケリを入れられた)ので、「喉が枯れたのではないか?」とそのときは思った。それくらい「よくある」喉のイガイガだった。いつもなら龍角散をキメているレベル。振り返ってみると、これが一連の出来事の発端だった。もうひとつ、仕事が重なって疲労が溜まっていたのも感染の要因であったと思う。とにかくノドの不調に要注意だ。 ・体調の変化に
その日も僕は、いつもの上りホームでいつものようにいつもの電車を待っていた。1月の寒い朝だ。吐く息が白い。話のわからない上司。ルーティーン化した仕事。課せられたノルマ。「会社行きたくねえなあ」思わずつぶやいてしまいそうになる。ふと周りを見る。新聞を読んでいるおじさん。スマホでゲームに興じる若者。ぼうっと前を見つめる僕と同年代のスーツ姿の男。いつもと何も変わらない。少し落胆が混じった落ち着きを覚える。スピーカーから駅員の声がした。踏切に車が入って…安全確認が…とかなんとか。誰も反応しない。受け入れているのか。諦めているのか。僕の中にある「会社行きたくねえ風船」が少し膨らんだ。「この風船が破裂しないように」と祈るような気持ちでずっとやってきた。同じホームで25年。会社や仕事は変わってきたが、上り電車が職場へ向かうもので、下り電車が海へ向かうものであることは、太陽が東からあがるように当たり前で、変
最近エッセンシャルワーカーという言葉をよく聞くようになった。医療従事者や介護職や公共交通機関のような社会を回すために必要な仕事に従事している人を指している言葉だ。「エッセンシャルワーカーの皆さんに感謝!」「エッセンシャルワーカーがいなければ社会が回らない。とても大切」という言葉を聞くたびに欺瞞に満ちているなーと思ってしまう。現実問題として看護職や介護職の人たちの給料は低く抑えられていたのだから。感謝!社会に不可欠!というのなら相応の賃金を払ったり、待遇を保障するなりしないと、ひと昔前に流行った「やりがい搾取」と同じだろう。「あなたたちの仕事は大事です。やりがいのある、意義のある仕事です。社会を支える仕事です。だから低賃金でも頑張って」をひとことでまとめたものが「エッセンシャルワーカー」という言葉で、つまり、やりがい搾取そのものだ。医療従事者に感謝をこめてブルーインパルスを飛ばしても現場にい
BCP(Business Continuity Plan)。というのも、なんだか疲れるようになりました。取締本部長。あなたは、たしか、六十を過ぎたベテランビジネスマンのはずだ。話をしていても、変なものです。僕が今、この瞬間の、感染拡大にともなったBCPについてきわめて現実的な話をしているのに、あなたは「懐かしいなあ」「跡が残っているんだよなあ」と遠い目をして呟くのです。認知症では?僕は頭に思ったことが口をついて出てしまいそうになるのを抑えるのに必死でした。 あなたが口にするフレーズをかき集めて、わかりました。本部長、あなたはBCGについて話をされていたのですね。ツベルクリン反応。BCG接種。懐かしいものです。僕は小学校の集団接種がとても好きだった。女の子のまえで何でもない、という顔をすれば勇気の証明になると思っていたからだ。本部長。ろくろく話さえしなかった間柄でしたので、確証はなく、このよ
部下でもある若手社員の1人からTwitter初心者だと思われている。きっかけは昨夏、模型雑誌の編集者が個人アカウントで業界のタブーに触れる問題発言をして処罰されたことである。「SNSでの発言には気を付けるように」と僕が注意喚起をした際に、彼はどういうわけか僕を初心者だと勘違いして、現在に至るまで事あるごとに、役に立たない指南をしてくださっている。そのときの「適当なことを呟いている」「目的はない」という僕の発言と、フォロワー数を聞かれたときに指を「3万」の意味で3本の指を立てたのを「フォロワー数3」と解釈したようだ。「自分、フォロワー数3桁のマスタークラスなのでわからないことがあったら立場を気にせず気軽に相談してください」と言われたが無視した。今さら2007年からTwitterをやっていると言えない雰囲気が漂っていたし、何よりも面倒くさかった。面倒くささの正体は、僕と若手君とのTwitter
風雲急を告げる社内。まさに、権力を巡って、壮絶なる戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。体調を崩して昨秋から休養していた社長が、年明け早々復帰したのだ。予定よりも早い電撃復帰。社長不在のあいだにツメアトを残そうとして、自爆を繰り返していた専務派は隠蔽工作も間に合わず大慌てである。 僕は、社長派でも専務派でもない。だが社長の意向で中途入社して営業部門の責任者に就いたため、専務派からは社長派の急先鋒と見られていた。数々の仕打ち、嫌がらせを受けた。刺客を放たれ失脚を覚悟した。だが、これで終わり。これからは俺のターンである。ザマーミロ。ボスは療養中も会社の情報をマメにチェックしており、ほぼ正確に状況を把握していた。ITに疎い専務派の年寄りたちは、社長がなぜ会社の状況を知っているのか理解できていない模様。それでも専務は不敵な笑みを見せた。勝算があるのか?僕は来る壮絶な決戦に震えた。 復帰早々幹部
好き好き大好きAmazonショッピング。クリック数回で終わる快適な買い物体験もさることながら、レビュー欄自体がコンテンツとして成立しているのがマジ最高。ただし最高であったのは過去のことである。残念ながら最近は、商品発売直後の不自然な高評価連発とアンチの低評価が悪目立ちして、まともなレビューが埋没している状況。声の大きな人や極端な声が目立っているネット社会そのものである。 それでも楽しく前向きな高評価レビューは読んでいて楽しい。そういうレビューで埋められているほうが気分がいい。だが高評価レビューの中にも「目から鱗が落ちました」「人生を変える一冊でした」的な薄気味悪いものも多い。そのような人は何枚眼球に鱗が貼られていて、何回人生を変えてきたのだろうか、心配になる。ウロコにつつまれた半魚人なのか、人生をループしている人なのか知らないが、生き方そのものを変えてみたほうがよろしいのではないかと愚考す
前の会社に勤めていた頃から18年ほど付き合いのある、とある会社の担当者と2年ぶりに会ったら、突然、後任を紹介された。挨拶。名刺交換。雑談以上商談未満の会話。確か、定年まで1年以上あったはず、横領がバレたのか、ハラスメントで追いやられたのか…。僕の疑問を察したかのように「家の事情で早めることにした」と彼は言った。咄嗟に「長い間、お世話になりました」と言うと彼は「何にもお世話してないよ。悪かったね」と詫びた。 そうなのだ。僕が前の会社に勤め始めた頃から、つまり食品業界に転職してきた頃から、何年も通って話をしてきたけれど、残念ながらいまだ契約に至っていない。辞めていく彼が、源義経を守護する武蔵坊弁慶のごとく、契約の前に立ちはだかって薙刀を振るいまくっていたのだ。 ナギナタマンの第一印象はマジで最悪。「御社とは取引しないから」。コンペの結果通達はそれだけ。わざわざ呼び出してその一言。「なんて冷血な
今年一年で僕の心に刺さった言葉たちを簡単な解説つきでお届けします。これらの言霊に触れてハートを熱くしてもらいたい。 「お忙しいところありがとうございます。現在、コンサル乗り換えキャンペーン実施中です!」 営業電話。絶対にお前と仕事をしたくないと思わせる神ワザ。 「これを口に出したら今の時代ハラスメントになってしまうけど」 会社上層部の言葉。その後、自然の流れでハラスメント発言。様式美。 「むーん」 出社して1時間パソコンの前で微動だにせず画面を見ていた会社上層部が発していた音。「Yahoo!でも眺めているだけだろう」と思い背後からチェックしたら、パソコンの電源が入っていなかった。そこにあったのはYahoo!はなく恐怖!であった。 「見ろ。冷凍おせち事業は絶好調だ。こういう仕事を取るんだよ」 会社上層部からの檄。実は、その仕事を立ち上げて引き継いで販路を作ったのは僕。重度の記憶障害らしい。そ
失脚ルートを回避したつもりでいたが、どうやらまだ脱していなかった。つかルートのど真ん中にいた。社内は、社長休養不在中に爪痕を残そうとして「出勤朝礼後は帰宅して在宅勤務オッケー」「在宅勤務は年休扱い」といったトリッキーな施策を打ち出しては周囲に諌められている専務のせいで不安定さを増すばかりである。そんな専務の手先となって僕を監視している人事マンに「まだ何か隠していますよね」と言われ、「味方じゃないあなたに全部話すわけないでしょ」とブチかましていた余裕はない。今、抱えている懸念事項によっては、立場を追われることを覚悟しなければならない。失脚である。この文章は、僕がくだした判断に間違いがなかったか、恥をしのんで世に問うものである。 年上部下氏から相談を受けたのは今月の頭であった。デリケートな話題なのでオブラートにつつんだ表現をすると、身体の一部に腫瘍がみつかったとのことであった。持病である神経痛
12月16日にKADOKAWAより発売される「神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する」の冒頭部分「はじめに」を公開します。はじめての実用本で文章術を切り口に、書くものの作り方、書くことで人生を充実させるコツについて僕の経験から再現性にこだわって書いた本です。書ける人目線ではなく、書けない人目線で、今この瞬間から書くことで人生を変えられるをテーマに僕なりの考え方を述べております。製品版は下の画像のような雰囲気になります。よろしく。 はじめに 書くだけで全てがうまくいく この本を手にしたあなたは本当に運がいい。 すでに書いている人はラッキー、書いていない人は超ラッキー、これまで一度も書いた経験がない人は超超超超超ラッキーである。 なぜなら書いている人も書いていない人も、本書を読むだけで思うがままに個性あふれる文章が書けるようになり、悩みが消え、前向きに生きられるようになり、人生を切り拓
「何も準備なく書ける人」は超人である。天才である。プロの書き手さんのなかには、技術で記事を書いている人がいる。テクニックで文章を書けるのは選ばれし者、スーパーマンである。本書で紹介している方法は、スーパーマンでなくても書けるようになる方法だ。積み重ねがベースなので、技術や才能に左右されない。だから、多少時間はかかるけれども、誰でも確実に、そして着実に、成長を実感しながら書けるようになる。今、僕がこうして14万字ほどの本を執筆しているように。だから誰にでもできる。 技術は偉大である。三島由紀夫さんの圧倒的技巧の文章は永遠の憧れだ。憧れはモチベーションになる。「三島にはなれない」という絶望ではなく、「三島のような文章を書けるようになりたい」という希望の物語をつくって、そこに少しずつ寄せていくようにしよう。文章に必要なものは、技術や才能ではなく、準備である。準備とは自分の人生と向き合うことである
好き嫌いを抜きに、人や物を見るのは難しい。僕らには感情があるからだ。普通の感覚ならば、イヤな上司、面倒な会議、といった嫌いなものは極力、避けたいと考える。まして、嫌いなものに進んで興味を持つなどありえない。 僕が、「書くこと」で得たもののなかで最も大きなものは、「嫌いなものに興味を持てるようになったこと」だ。それまで「嫌いなもの」について自分からすすんで考えたことはなかった。「書くこと」などなおのこと。だが、書いてみると、そこは「自分にとっての未開のフィールド」だった。新鮮な発見と驚きに満ちた、愉快な体験になった。「好きなもの」よりも「嫌いなもの」について書くと、新しい発見がある。 「イヤなものや嫌いなものなど考えたくない」と考えてしまう状態は、思考停止である。何も得られない。僕は同じ部屋の空気を吸いたくないほど嫌いな上司について、なぜ吐き気がするほどイヤなのか、その理由を書き出していくこ
11月22日、いい夫婦の日から奥様との関係をどう終わらせるか真剣に考えている。きっかけになったのは仕事中にかかってきた彼女からの一本の電話であった。電話の向こうの彼女は涙声。「チュンちゃんが怪我で死んでしまった」という内容。チュンちゃんという名の知り合いはいない。我が家にはペットもいない。落ち着かせて話を聞くと、実家の庭に怪我でなくなったスズメの亡骸があるどうしよう、というものであった。ここで情のない言葉を吐くと恐ろしい災厄に遭うので、彼女の立場になって、チュンちゃんはさーウチのねー子ではないからねー一般的には燃えるゴミに出すねーそれがイヤなら役所に来てもらって役所から燃えるゴミに出してもらうのがいいんじゃないかなーと思いつく最大限の礼節を尽くして助言した。それが彼女の感情を刺激した。彼女はわーわー声をあげて泣きまくった。泣きまくったあとで彼女は僕に対して「小さな命の墓標ひとつ立てられない
ブレないの亜種で、「バカと付き合うな」という考え方もある。「バカと付き合うと貴重な時間と労力の無駄だからヤメておきなさい」という急進的な考えである。確かに、目標へ最短距離で向かうとき、バカなるものは障害でしかない。無視すればストレスはない。スタートからゴールまで一直線に突破するなら、バカとお付き合いするのは無駄である。でも、正しくブレることができれば、「バカと付き合う」も、ポジティブなものに変えられる。 現実社会はおバカなことばかりだ。頭のいい人や立派とされる人、社会的に成功している人、といったエリートでも、実際はバカなことばかりしている。緊急事態宣言下で、国会議員が女性の接待を伴う店で深夜まで飲み食いをして失脚している。頭の良し悪しは関係なく、ありえないことをしている。 この世はバカなものばかりである。逆にいうと、「バカと付き合うな」は人づきあいを放棄した、ある種の「世捨て人ライフスタイ
会社が楽しくて仕方がない。在宅勤務やテレワークに対して一定の無理解を示している会社上層部のことを考えるだけで、笑みがこぼれてしまう。彼らが強引に元の勤務体制(社員一律出勤)へ戻そうとする信念が、どこから来ているのか探るのが楽しくて仕方ないのだ。これまでは「バカだな~」と笑っていればよかった。だが、タイミング悪く、社長が体調を崩して休養に入ってから、専務を中心とした勢力によって元の勤務体制に戻そうとする動きが現実味を帯びている。僕個人としても、上層部から敵対していると思われ、刺客(人事マン)を放たれ、行動を厳しく監視されている。 なぜ、上層部は在宅勤務やテレワークに対して頑なに否定的なのだろう。考えたところでバカの壁が高すぎて越えられそうにないので、ダイレクトに質問をしてみた。答えはオカルトであった。「固定電話からの電話でないと相手に信用されない」「携帯やスマホからの着信は信用にかける」…だ
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