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1998年9月に稼働したダンスダンスレボリューション(以下、DDR)。ゲームセンターでダンスを披露するという斬新なゲーム性が大ヒットし、社会現象となったタイトルである。 だが、DDRの企画は当初大反対にあう。「恥ずかしいから、誰もしない」─社内で逆風が吹き荒れる中、制作スタッフは知恵を絞りながら開発を進めていく。矢印の表示方法、楽曲のタイアップ… アーケードゲームの歴史に刻まれることになるDDRはいかにして生まれたのか。今回は、DDRの原点を紐解いていきたいと思う。 きっかけはビートマニアの大ヒット DDR 1stMIXの稼働は1998年9月だが、実はDDRの原型となるアイデアは1997年のビートマニア稼働前に既に存在していた。「足でパネルを踏むゲーム」というアイデアをどのようなゲームに仕立て上げるかについて試行錯誤していたようだ。 そして、1997年12月に稼働したビートマニアが1998
2001年。二十一世紀という新たな時代が幕を開け、「IIDX FOR THE NEW CENTURY」のキャッチコピーと共にIIDX 5th styleが稼働する。業界誌のインカムランキングで歴代IIDX最高得点を叩き出した4th styleの流れを汲み黄金期を迎えたIIDX。 他社からも様々な音楽ゲームがリリースされるが、コナミの音楽ゲーム群は他を寄せ付けない圧倒的な勢いを誇っていた。 だが、その裏では「コナミ音ゲーの牙城を切り崩す」と息巻くメーカーが存在した。コナミと共にアーケードゲーム草創期から業界を牽引してきた老舗メーカー「ナムコ」である。入社二年目にしてナムコ音ゲーチームの中心人物担う男、中館賢氏。彼は、ナムコ版ビートマニアを作っていたかもしれない男だった。 彼らが開発した音楽ゲーム「太鼓の達人」は、IIDX全盛期の5th styleとほぼ同時期に稼働する。太鼓の達人 V.S.
#最初の企画書は3ボタンのエレメカだった 若手開発スタッフが企画した「音楽を題材にしたゲーム」。後に「ビートマニア」となるこの企画だが、開発中の仕様は製品版と大きく異なっていた…
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