サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
コーヒー沼
hexagon.inri.client.jp
●ヘブライ大学の有名なユダヤ人教授であるベン・アミー・シロニー博士は、1982年に出した著書『天皇陛下の経済学』(光文社)の中で次のように述べている。 参考までに紹介しておきたい。 (左)ヘブライ大学のベン・アミー・シロニー博士 (右)彼の著書『天皇陛下の経済学』(光文社) 大の親日家で、日本に関する本を多数出している。 イスラエルの国立大学「ヘブライ大学」で毎年500人を 超える学生たちに日本の歴史と文化を講義している。 ※ 以下の文章は博士の著書『天皇陛下の経済学』 (光文社)P131~136 から抜粋したものです。 (各イメージ画像は当館が独自に追加)。 ※ 注意: 多分、このファイルのタイトルを見て「そんなはずはない!」と 強い反発を感じる人は少なくないと思いますが、内容の正否はともかく、 「こういう考えを持っている親日のユダヤ人学者が存在している」 という事実だけでも記憶にとどめ
●ナチス体制下ではSS(ナチス親衛隊)を中心として「ゆりかごの数が柩(ひつぎ)の数を常に上回る時にのみ輝かしい将来がある」と考えられ、出産が奨励された。また「ドイツ女性はすべて花嫁になれるとは限らないが、母親ならば全員がなれる」ともいわれた。 ヒトラーは女性の役割について、きわめて保守的な考えを持っており、 「女性の本分は主婦と母親にある」と考えていた。そのため、男子の場合は 未来の戦士の養成に主眼が置かれていたのに対し、女子の場合は 単に未来の母親を育てることのみが強調された。 ●1935年12月、ナチス・ドイツの首都ベルリンに「レーベンスボルン(生命の泉協会)」が設立された。協会長にはSS全国指導者個人幕僚本部のマックス・ゾルマンSS大佐が就任した。 「レーベンスボルン」はSS隊員と関係をもった未婚の女性が出産する施設で、生まれる子供は人種・遺伝的に問題がないとされた。これは人種政策が
●自分を「獣666」──キリスト教時代に終わりをもたらす魔人だと確信していたアレイスター・クロウリー。 彼は第一次世界大戦を、「古い時代を破壊する血の洗礼」として歓迎したのだが、その後、もっと破滅的な世界大戦が訪れると予言し、自らは“邪悪な魔術”にふけるようになる。 そのため、社会的な信用を失ってしまうが、その老魔術師にイギリス軍情報部が協力を要請した。彼を起用するよう上層部に働きかけたのは、あの“007”の作者イアン・フレミングだった。 彼がクロウリーを起用して何を行ったか、当然のことながら書き残してはいない。 が、さまざまな証拠から次のような事実が明らかになっている。 20世紀最大と称されるイギリスの “魔術師”アレイスター・クロウリー (1875~1947年) ケンブリッジ大学在学中に「黄金の夜明け団」に 入団。その後世界一周の船旅に出て、神秘主義結社を 開設し、数多くのオカルティズ
■■第1章:2種類のユダヤ人 ─ アシュケナジムとスファラディム ●なぜか不思議なことに「ユダヤ人」という語の定義は、学問的にも政治的にも非常にあいまいな状態に置かれている。 このテーマを取り上げると必ず、「ユダヤ人という民族はそもそも存在しないのだ」とか「ユダヤ人は人種ではなく、ユダヤ教に改宗した者がユダヤ人になるのである」という主張が一般の研究者の間から出て来る。彼らはそれを主張してやまない。 ●ユダヤ人国家イスラエル共和国においてはどうかというと、移民に関する法律「帰還法」において「ユダヤ教徒=ユダヤ人」という定義を正式に採用している。しかし、本人がユダヤ教徒でなくても、母親がユダヤ人ならばユダヤ人であるが、母親が非ユダヤ人である場合、父親がどうであろうと本人はユダヤ人ではないという、チンプンカンプンでややこしい定義になっている。 ちなみにユダヤ人が他の宗教へ改宗した場合、ユダヤ教で
■■第1章:十字軍遠征の政治的真相とは ●宗教に起因する戦争は多数ある。宗教をめぐっての争いは絶えなかった。しかし、そのほとんどがヨーロッパ周辺で起き、しかもキリスト教をめぐってのものであったことを歴史は示している。大別すれば、一つは異教(徒)を弾圧・排除するための戦争であり、もう一つは「権力装置」としてのキリスト教(教会)に対する、いわば反乱の戦いである。 ユダヤ教の成立とほぼ同時期に出現した仏教、ヒンズー教、あるいは紀元7世紀に登場するイスラム教などの生成・発展の過程にも、この種の争いが皆無であったとはいえないが、その独善性、排他性の激しさにおいて、キリスト教のそれは言語を絶するものである。 ◆ ●キリスト教による異教徒弾圧として、もっとも有名なのは、合計8回にわたって繰り返された十字軍の遠征だろう。この十字軍の遠征は約200年間続き、犠牲者は何百万人とは言わないまでも相当な数にのぼっ
●「ベクテル社」は年間売上4兆円を超す世界最大のゼネコンであり、「IBM」と「AT&T」を合わせたよりも巨大で、日本の16の建設会社を合わせた規模の巨人企業でありながら、株式非公開の“個人の会社”のため、日本での知名度はあまり高くない。 しかし知名度が低いのは「ベクテル社」の望むところのようである。 なぜならば、一般大衆の支持や注文など全く必要のない「政府がらみの巨大受注」こそ「ベクテル社」の柱であるからだ。全ての株はベクテル一族と幹部社員(約80人)が持ち合い、決して上場しない。もちろん資産も公開しない。あくまでも「個人企業」なのである。つまり、資金調達の必要ない株式非公開の「鎖国政商」といったところか。 ●「ベクテル社」はあらゆる分野において、産業設備と開発を手掛けており、特に力を入れているのは、原子力発電関係と空港新増設の分野、宇宙開発の分野、軍事関係の分野である。 特に「NASA(
●ヒトラーがまだ無名だった時代、その出現と災禍を予告したオーストリア人がいた。 その男の名は人智学の創始者ルドルフ・シュタイナー。 そしてまた、ヒトラーのオカルト的精神が最も敵視したのが、同じ神秘主義の世界に生きたこのシュタイナーだった。シュタイナーは、ヒトラーが「唯一、完全に抹殺したい」人間であったと言われている。 ルドルフ・シュタイナー (1861~1925年) ●思想家、教育家として著名なルドルフ・シュタイナーは、1861年、オーストリア・ハンガリー帝国のクラリェヴェックに生まれた。日本では、シュタイナーは教育者として非常に著名な存在である。現在でも彼が提唱した「シュタイナー教育」と呼ばれる全人教育は、実践者も多数存在し、高い評価を得ている(現在、「シュタイナー学校」は全世界に500校近くある)。 ●シュタイナーは40歳までは、リベラルな文芸評論家として活躍していた。文芸雑誌を編集し
●ヒトラーの命令で、ナチス・ドイツは南極探検を実施していた。 ナチス・ドイツの南極探検について興味のある方は、当館作成のファイル「ナチス・ドイツの南極探検」をご覧下さい。 (左)アドルフ・ヒトラー (右)ナチス・ドイツの旗 ●当時の各国は、ナチス・ドイツが南極に軍事基地を作るとは考えていなかった。場所が南極では、ヨーロッパから遠く、あまりに不便な土地であるため、効果よりも費用のほうが大きいことは明らかだったからである。 ナチス・ドイツの南極進出は少なくとも「現在の脅威」ではなかった。その証拠に、南極地方でのドイツ軍の動きに注意を払う国はほとんどなかったが、北極地方(ヨーロッパからは近い)におけるドイツ軍の軍事拠点づくりには、多くの国が過敏に反応していたのである。 (左)1938年、南極にナチス・ドイツの旗を立てる遠征隊の科学者たち (右)ナチスの南極遠征隊に与えられたバッジのデザイン ●と
■■第1章:「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者 ●戦後のアメリカの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産官学複合体)を生み出す大きなきっかけとなったのは、「マンハッタン計画」である。 「マンハッタン計画」とは、第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた原爆開発計画のことである。5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。 この軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」は、多くのユダヤ人科学者が参加したことで知られている。具体的にみてみよう。 ●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。 彼
■■第1章:“ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタール ●1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。 この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。 ●この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、さらにその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。 また「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」は『マルコポーロ』への広告差し止めを呼びかけ、フィリップモリス、マイクロソフト、フォルクスワーゲン、三菱自動車などが広告出稿を拒否することになった。 (左)『マルコポーロ』廃刊号 (右)問題となった記事 「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」 ●結局、文藝春秋社側は一
●早稲田大学法学部出身で、現在、「副島国家戦略研究所(SNSI)」を主宰し、アメリカ政治思想・社会時事評論などの分野で活発な活動をしている副島隆彦氏は、アメリカ社会とユダヤ人の実態について興味深い分析を行っている。 彼の著書から重要な部分を抜粋し、ここに「参考データ」として保管しておきたい。 (左)『政治を哲学する本』副島隆彦著(総合法令) (右)『悪賢いアメリカ 騙し返せ日本』副島隆彦著(講談社) ※ 以下の文章は副島隆彦氏の著書『政治を哲学する本』(総合法令)と 『悪賢いアメリカ 騙し返せ日本』(講談社)から抜粋したものです ■アメリカの真の支配者たち アメリカは、ズバリ、4つの階層(階級)から成り立っていることから説明しよう。 それは、次のとおりだ。 【1】 ブルー・ブラッド(青い血)と呼ばれる人々。あるいは、「ザ・シークレット・クラブ(The Secret Club)」と呼ばれる秘
■■第1章:ナチス・ドイツの革新的な航空機開発計画 ●「都市伝説」の1つとしてよく話題になるナチス・ドイツのUFO開発の話は、どこまでが本当なのだろうか? 全てがウソなのだろうか? それとも少しは真実を含んでいるのだろうか? 真相は謎に包まれているが、第二次大戦中、ナチス・ドイツでは変わった形の航空機が多数開発されており、単に翼の形が円盤の形をしている航空機や、尾翼のない無尾翼機ならば、公式に存在していたことが確認されている。 ●例えば、ナチス・ドイツではザック「AS-6」と呼ばれる円形翼のプロペラ機(レシプロエンジン機)が試作されていた。 ↑第二次世界大戦末期の1944年、ドイツ占領下のプラハで試作された円形翼機「AS-6」 その特異な形状から「空飛ぶビール・コースター」と呼ばれていたという。しかし 飛行テストに一度も成功しないまま、連合軍の空襲で破壊されてしまった。 ●またホルテン「H
●1938年3月、ナチス・ドイツはオーストリアを併合した。 進撃したヒトラーを迎えるオーストリア国民(1938年) ※ 横断幕には「我々は我らが総統を歓迎する」と書かれてある。 オーストリア国民は必ずしもナチスを支持していたわけではなかった が、第一次世界大戦の戦勝国によって阻まれた「独墺合併」の悲願を 実現してくれるものとして、ドイツ軍を歓呼の声をもって迎えた のであった。そして国民投票が行われ、99.7%の国民が ドイツ・オーストリアの合併に賛成したのである。 ●ウィーンのユダヤ人大富豪、ロスチャイルド商会の当主ルイス・ロスチャイルドは、ナチスから逃れるためにオーストリアを脱出し、イタリアへ向かう飛行機に乗る予定だったが、飛行場を固めていた親衛隊SSの将校に見つけられ、自宅へ帰るよう命ぜられた。 ロスチャイルド邸に戻るとゲシュタポがやってきたが、執事が「ご主人様は不在です」と告げると帰
■■第1章:報復兵器「Vシリーズ」〈1〉 ●第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの科学技術力は圧倒的だった。 当時、軍需大臣に昇進していたアルベルト・シュペーアは次のように書いている。 「1944年の段階では、ジェット戦闘機Me262だけが奇跡の兵器ではなかった。リモコンで飛ぶ爆弾、ジェット機よりも速いロケット戦闘機、熱線により敵機に命中するロケット弾、ジグザグコースで逃げていく船の音を探知し追跡・命中させる魚雷を我々は持っていた。地対空ロケットの開発も終わっていた。リピッシュ博士は、無尾翼の原理によって設計された戦闘機を開発していた。それは当時の飛行機製造の標準を遥かに超えたものであった。」 アルベルト・シュペーア 建築家出身で、建築好きのヒトラーに 気に入られ、1942年2月に軍需大臣に任命された。 合理的管理組織改革によって生産性を大幅に向上させ、 敗戦の前年の1944年には空襲下にも関
■謎の男、アルバート・パイク 弁護士、詩人、多作な作家として活躍していた南部連邦の将軍、アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰め、「黒い教皇」とまで呼ばれるようになった男である(彼は「KKK」の創始者でもある)。 彼が1871年に、イタリア建国の父であるジュゼッペ・マッチーニに送った書簡(手紙)には、“予言”ともいえる恐るべき「未来計画」が書かれていた。 それによると、まず、「世界を統一するために今後3回の世界大戦が必要だ」と書いてあり、 「1回目はロシアを倒すために、2回目はドイツを倒すために。3回目はシオニストとイスラム教徒がお互いに滅し合い、いずれ世界の国々もこの戦争に巻き込まれ、それが最終戦争に結びつくだろう」 と書かれていた。 ■アルバート・パイクの“予言”(未来計画)の詳細 この手紙の内容をもっと詳細に紹介すると、 次のよ
●ヨーロッパ全体で殺されたユダヤ人の総数は「600万」人と言われているが、あまりにも大きすぎて、なかなかイメージしにくい数字である。しかし、この「600万」という数は現在のアメリカの全ユダヤ人口とほぼ同じ数である。 つまり、現在アメリカにいるユダヤ人を1人残らず抹殺することに等しいのだ。いかにすごい数字かが理解できるだろう。 アウシュヴィッツ収容所 「アウシュヴィッツ」はドイツ名であり、ポーランド名は「オシフィエンチム」。 現在のポーランド領オシフィエンチム市郊外に位置する。「アウシュヴィッツ収容所」は 「第一収容所」、「第二収容所(ビルケナウ)」(1941年建設)、「第三収容所(モノヴィッツ)」 (1942年建設)に区分され、それ以外に38の「外郭収容所」や「付属収容所」があった。 「第一収容所」はポーランド軍兵営の建物を再利用したもので、SS長官ヒムラーの指令 により1940年4月に開
■■第1章:ワーグナーをこよなく愛していたヒトラー ■ワーグナーの大ファンだったヒトラー ●19世紀ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェは、優等民族の進化を予言していた。 彼は来たるべき「超人」──ゲーテの『ファウスト』からとった言葉である──を、新しく、より強く、生物学的にも価値が高く、進んだ人種であり、それ以前のいかなる人間よりも優れた生存能力と種の保存能力を持つ者、と説明していた。 19世紀ドイツの哲学者 フリードリッヒ・ニーチェ (1844~1900年) ニーチェは、ヨーロッパ文明の退廃を批判、 新たな天才の出現による価値の転換を唱えた。 彼はキリスト教をヨーロッパ的人間の堕落の原因とし、 永劫回帰思想による生の肯定、「超人」の理想を主張した。 彼の思想は20世紀の哲学・文学・思想界に深い影響を及ぼし、 その美的個人主義はナチスの指導者理論の基礎づけに利用された。 ニーチェはワー
■■第1章:アメリカ社会の白人至上主義者 ●アメリカでは1960年代における「公民権法案」の成立以来、人種を理由にした差別は法律で禁じられてきた。「公民権法案」の成立により黒人への差別は違法化され、多くの黒人議員や市長が当選することとなった。 エンターテイメント業界においても、黒人のスーパースターが多く誕生し、黒人の地位は格段に向上。アメリカの人種差別は消滅したかに見えていた。KKKのような人種差別組織も、「公民権法案」の成立と共に勢力をなくして過去のものとなったかと思われていたのだ。 ●しかし、現実は違っていた。 彼らはその後も表面だった動きこそ控えるようになったものの、依然としてアメリカ社会の中に深く潜行し、巨大な勢力を温存していたのである。 ●白人至上主義者といっても、その実態は様々である。 彼らを構成する人々は、少々古臭い考えを持った主婦から金融業界で働くビジネスマン、軍服に身を包
第二次世界大戦中にトップ・スパイとして活躍した ベラスコ(1909年スペイン・グアダラハラ生まれ) 親日家であり、またヒトラーから厚い信頼を得ていた ユダヤ系のスペイン人で、第二次世界大戦の真相を 知り尽くしていたと言われており、ヒトラーの 最期について驚くべき証言を残している。 ──はじめに── ●1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~」が放送されたので、ベラスコの名前を知っている日本人は多いだろう。 この番組は「第37回芸術祭大賞」「第15回テレビ大賞 優秀番組賞」「第22回日本テレビ技術賞」を受賞し、現在は「NHK特集名作100選」に選ばれている。 NHK特集「私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~」より 太平洋戦争中、アメリカ本土に潜入して多くの機密情報を日本に送り続けた 国際スパイ組織があった。彼らは原爆についても日本に再三警告
~ヒトラーの独裁国家の内幕を探る~ アドルフ・ヒトラーの素顔はどんなだったのか? ナチス(NAZIS)はどんな組織だったのか? どんなメンバーが所属していたのか? そして何を目指していたのか?
■■第1章:逆境の中でビジネス開拓していった東欧ユダヤ人 ●ユダヤ人のアメリカ移住は5波にわたっており、それぞれ出身地と性格を異にしている。 最初にやってきたのは、カトリック教国のスペインとポルトガルから追放されたユダヤ人(スファラディム)だった。ユダヤ移民の第2波は、1820年から1870年頃まで、主にドイツからやってきた25万人のユダヤ人である。特に1848年の革命の敗北によってアメリカに避難したものが多かったので、彼らは「フォーティエイター」と呼ばれている。彼らの多くはアメリカで巨億の富を築き上げた。 1880年代初頭から1924年頃まで、ロシア国内のポグロム(ユダヤ人迫害)が原因で、280万人の東欧ユダヤ人(アシュケナジム)がアメリカになだれ込んだ。これが今から詳しく紹介するユダヤ移民の第3波である。 ※ 第4波と第5波については、当館作成のファイル「ユダヤ人のアメリカ移住史」をご
■■序章:ヒトラーが指摘していた「3つの人種」と「ユダヤ菌」とは? ●第二次世界大戦中、日本はイタリアとともにドイツと同盟を結んでいた。1940年9月27日にベルリンで結ばれた「日独伊三国軍事同盟」によって、三国の枢軸体制を強化し、イギリスとアメリカを抑制しようとしたのだ。 が、ヒトラー自身は日本をどのように考えていたのだろうか? (左)1940年9月、「日独伊三国軍事同盟」がベルリンで結ばれた。日本代表は 松岡洋右外相。来栖三郎駐独大使、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相、 チアノ伊外相がこれに署名した。(右)三国軍事同盟祝賀会の様子。 ●ヒトラーは『我が闘争』の中で、世界には「3つの人種」がいると書いている。 1つは「文化創造種」、2つは創造種の創った文化に従う「文化追従種」。そして、これらの文化を破壊する「文化破壊種」。彼の定義によると、一等種(文化創造種)はアーリア民族のみで
No.A7F_mitra 作成 1998.3 ミトラ教と神智学 ■■■第1章:ローマ帝国内で威勢を誇った幻の世界宗教ミトラ教 ●ミトラ教は、ヘレニズム・ローマ世界で主に紀元1世紀から4世紀にかけて、キリスト教と並ぶ救済宗教として絶大な支持を集めていた。 ミトラ教の存在は、キリスト教徒が最も触れられたくない異教のひとつである。なぜなら、ミトラ教こそ、キリスト教のルーツであり、ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出しているためである。ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も、全て備えていた。イエス・キリストに当たる救済者すなわちメシアは、ミトラ神そのものだった。 ●世に近親憎悪という言葉があるごとく、まさしく初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧した。あまりにも両者は似ているため、あるキリスト教徒は、ミト
■■序章:“ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタール ●1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。 この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。 ●この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、さらにその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。 また「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」は『マルコポーロ』への広告差し止めを呼びかけ、フィリップモリス、マイクロソフト、フォルクスワーゲン、三菱自動車などが広告出稿を拒否することになった。 (左)『マルコポーロ』廃刊号 (右)問題となった記事 「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」 ●結局、文藝春秋社側は一方
■■第1章:ドイツ優生学の成立 ■近代優生学の誕生 ●1883年、イギリスの科学者フランシス・ゴルトンが「優生学(eugenics)」という言葉を作り出した。ギリシア語で「良いタネ」を意味する。 近代優生学の創始者 フランシス・ゴルトン (1822~1911年) イギリスの科学者で、「優生学」という 言葉を作り出した。祖父は医者・博物学者の エラズマス・ダーウィンで、進化論で知られる チャールズ・ダーウィンは従兄にあたる。 ●「優生学」とは、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことにより、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康を計ろうとする思想をいう。それゆえ、「優生学」は「民族衛生学」とも呼ばれる。 1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツ博士が『民族衛生学の基本指針』を出版。「民族衛生学」という言葉が初めて用いられた。このプレッツ博士の著書は「ドイツ優生
■■第1章:ヒトラーは遥か未来を透視していた!? ■三島由紀夫がヒトラーについて語った言葉 「ところでヒトラーね。彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど、彼がほんとは何者だったのか誰も知っちゃいない。ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュヴィッツの虐殺者、悪魔……。これがいままでのヒトラー観だけど、ほんとはそれどころじゃない。 彼のほんとの恐ろしさは別のところにある。 それは彼が、ある途方もない秘密を知っていたってことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を見通す目を持っていて、それを通じて、その途方もない未来の秘密に到達しちゃった」 「だから五島君。もしきみが10年後でも20年後でも、ヒトラーのことをやる機会があったら、そこんところをよく掘り下げてみることだ。もしきみにいくらかでも追求能力があれば、とんでもないことが見つかるぜ。ほんとの人類の未来が見つかる。やつ
天皇家と日本人のルーツ(起源)を探ると 古代日本史の奥に「ユダヤ問題」が 潜んでいることに気付く!? -- 注意 -- 最初に断わっておきますが、当館は日本人 全てがヘブライの末裔だとは考えておりませんし、 将来、日本人とユダヤ人が連合して世界を救うといった 優越感をくすぐるような選民思想的シナリオとも 距離を置いています(詳細はこちらで↓) ◆「日ユ同祖論」に関する注意事項 ◆ 10支族調査機関「アミシャーブ」の 最高責任者ラビ・エリヤフ・アビハイル ※ 1993年9月号の『エルサレム・ポストマガジン』では、 失われた10支族帰還問題が特集されたが、特集の中で紹介された 10支族調査機関「アミシャーブ」のラビ・エリヤフ・アビハイルは、 誌上では明言を避けたものの、彼の本命は日本人であるという。 興味のある方は下のファイルをご覧下さい↓
(左)ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ (右)彼の著書『大和民族はユダヤ人だった』 1916年にロシアで生まれ、イスラエルに移住。 その後、アメリカで理工学を学び、ヨーロッパで言語を修得。 イスラエル建国前は地下軍事組織「ハガナ」のメンバーであり、 建国後はイスラエル国防軍の陸軍少佐を務めた。現在は イスラエルで歴史、言語、民俗学を研究している。 歴史に謎を持つ民族──日本人とユダヤ人。そこには不思議な共通点が数多く存在する。ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ氏は、そうした歴史の謎にとりつかれ、14年の間、日本の言語・宗教・歴史を調べた。 彼は断言する──日本人の先祖はヘブライ人だと。 1984年12月に彼は『大和民族はユダヤ人だった』と題する本を出版し、話題を呼んだ。 ※ 以下の対談は翌年(1985年)、彼が調査のために再び来日されたときに行われたものである。 ヨセフ・アイデル
神道は非常に謎に包まれた宗教ですが、 果たしてどれだけの日本人が神輿や正月行事や 鳥居などのルーツを知っているでしょうか? このページでは「日ユ同祖論者」によってよく 持ち出される代表的な「日本とヘブライの共通点」を 大雑把に列挙していきますが、日本の風習をいつもと 違う視点から見てみる良い機会になると思います。 眉につばをつけて楽しんで下さい(笑) ●伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路(御幸通り)の両側に並ぶ石灯籠(合計約700基)には、不思議なことに「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれている。 カゴメ紋は別名「ダビデ王の紋章」といわれ、ユダヤ人のシンボルになっている。事実、現在のイスラエル共和国の国旗にも、はっきりと描かれている。 伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路には 「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれた 石灯籠が並んでいる 石灯籠は大小様々である。人間の背丈ぐらいの小型のものもあれば、右
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『「ヘブライの館2」(THE HEXAGON)』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く