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以下は、「ダサいという美的用語についてなんか書く」という、自分に課した大喜利への回答である。 「美しい」や「醜い」と同様に、「ダサい」はさまざまな用法で使われうる。そのなかには、記述的要素がなく純粋に評価的な用法や、とくに美的でない用法など、放っておいてかまわない用法がたくさんある。放っておきたくないのは、次のような用例に現れる「ダサい」である。 「この服はダサい」「これはダサい服だ」 ここでは、記述的な内容をもった美的性質としてのダサさが、個別のアイテムへと帰属されている。おそらく、これがダサいの最もベーシックな用法だろう。 一方、「ダサい」はダサいアイテムを選択したり使用する人に対して使われることもある。 「あいつは服のセンスがダサい」 ここでは、その人の美的センス、趣味、感受性が非難されている。しかし、センスの良し悪しについての判断が美的判断なのかどうかは論争的な点であり、したがって
批評の定義について。「定義」というのは、やや問題含みなところがあるので、私は「特徴づけ」という表現の方をより好んでいるが、まぁやること同じだ。すなわち、批評という活動(ないしその産物)に特徴的で、その他の活動(ないしアイテム)から批評を区別する要素とはなんなのか、に答えるのだ。芸術に関連した言説はいろいろある(広告、美術史、芸術哲学、キャプションなど)が、そのうちどれがなぜ批評に該当するのか。単純化のために、これらの課題については以下ではとにかく「批評の定義」と言うことにしよう。(また、「批評」はすべて芸術批評を指す。) 本エントリーは、前半と後半で異なる目的を担っている。第1節、第2節までは短いが教育的意図において書かれたものであり、第3節、第4節は、より特定的な話題に対する私のステートメントである。勉強したい人は1〜2節を読めばよいし、そうでない人は3〜4節だけ読んでもよい。 1 分析
美的性質や美的知覚について、最近出版されたマドレーヌ・ランサム[Madeleine Ransom]の論文がとてもよかったのでまとめておく。 1 前提:美的知覚美的性質[aesthetic properties]とは、「美しい」「優美だ」「けばけばしい」「退屈だ」「バランスが取れている」など、われわれが芸術作品や自然の風景について語るときによく言及する性質のことだ。こういう性質を見てとったり聞いてとることを美的知覚[aesthetic perception]と呼び、「このモネの絵はバランスが取れていて美しい」みたいなことを言ったり書いたりすることを美的判断[aesthetic judgement]と呼ぶ。 フランク・シブリー[Frank Sibley]の影響下において、分析美学では美的性質に関してふつうふたつのことを前提する。 第一に、対象が美的性質を持つのは、一連の非美的性質を持つおかげで
作品解釈における意図の話は、定期的に浮上するので、みんな好きなんだなぁと実感する。最近もろもろを読んで整理できたことをいくつかまとめておこう。なかなか進展の見えない話題だが、なんらかの役には立つだろう。 村山さんの紹介しているMatraversの議論はかなり腑に落ちるものなのだが、補助線として以下の話をしておくとなおよしかもしれない。すなわち、意図論争においては、大きくふたつの(結びついてはいるが)異質な問いが与えられている。 存在論的問い:作品の正しい意味は、作者の意図によって決まるのか。認識論的問い:正しい解釈が参照すべき証拠はなにか。しばしば想定され、ボコボコにされる類の意図主義とは、前者の問いに対し「作者の意図だけで決まる」と答え、後者の問いに対し「作者の発言、日記、インタビューなどを片っ端から調査すべし」と答える。それじゃあ、もう批評じゃなくて伝記じゃん、というので反意図主義者た
「{任意のある芸術ジャンル}とはなにか」「SFとはなにか」みたいな問いがある。別にホラーでもサスペンスでもマジックリアリズムでもなんでもよいのだが、「{任意のある芸術ジャンル}とはなにか」を問うときには、ざっとふたつの回答がある。 一方は、ジャンルの特徴を挙げるような回答だ。これはしばしば、必要十分条件によって提出される。「SF作品とは特徴Fを持った作品であり、特徴Fを持たない作品はSFではない」といった説明だ。 他方は、ジャンルの伝統を記述するような回答だ。「ヴェルヌとウェルズに始まる特定の歴史的系列に連なる作品群こそが、SF作品である」など。 Terrone (2021)は、前者のアプローチを「概念としてのジャンル[Genres-as-Concepts]」、後者のアプローチを「伝統としてのジャンル[Genres-as-Traditions]」と呼んでいる。SFだと、Suvin (197
以下は2020年3月に書いたまま放置していたドラフトだ。ちょうど『現代ビジネス』で同じ話題を扱った記事がバズっていたので、この機に多少手を加え、成仏させておく。 上の記事で問題視されている「「10秒飛ばし」で観る」「1.5倍速で観る」のうち、私は後者のみを擁護するつもりだ。「10秒飛ばし」を含む鑑賞は、あとで論じる「回復可能な鑑賞」に該当しないと考えられる点で、私にとっても「わるい」鑑賞である。よってそちらは問題とせず、倍速鑑賞のみを問題とする。 また、上の記事はこれら不適切な鑑賞がはびこっている原因に関して「①作品が多すぎること」「②コスパが求められていること」などを指摘しているが、社会的な風潮の分析も本稿の関心事ではない。本稿が問題とするのは、「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」という美学的問いのみである。 ―――――――――― 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか タイトルは
2019年のBritish Journal of Aestheticsに掲載された論文で、Brandon Cookeは芸術作品による嘘を論じている。本稿は当論文を読んで考えたことの雑記だ。 伝統的に、嘘をつく[lying]ことは次のように定義される。(1)なんらかの内容pについて、「pは真である」と聞き手に信じさせようとする意図のもとで、話者[speaker]がpと述べる。(2)話者は「pは偽である」と信じている。私があなたに「p:太陽は西から昇る」と伝えれば、私は嘘をついたことになる。私はpとは信じていないにもかかわらず、あなたにそれを信じさせようと意図して発話しているからだ。 ちなみに、「話者がpと述べる」については、「pと言う[say that p]」では厳しすぎる(明らかに嘘であるケースを嘘としてカバーしない)という異論がある。Emanuel Viebahnは、画像を用いた嘘が可能
三体-ハヤカワ・オンライン 著 劉 慈欣 監 立原 透耶 訳 大森 望 訳 光吉 さくら 訳 ワン チャイ ISBN 978 www.hayakawa-online.co.jp 数年前、三田で中国文学のゼミに参加していたので、かねてより『三体』の名前は知っていた。めちゃめちゃ話題の中華SFがあるらしい、オバマも愛読しているらしい、日訳は誰が手掛けるんだろう、と。 具体的な数字は知らないが、昨年7月の発売以降、日本でも相当売れているようだ。中文に身を置いていた人間からすると、中国の小説がこのような売れ方をするのはまさに異例の事態だ。莫言が村上春樹を抑えてノーベル文学賞をとったときもこんなに騒がれていなかったし、閻連科がおもろいおもろいと言われていたときも、盛り上がっていたのは普段から海外文学に親しんでいた層であった。 というわけで、よほど面白いのだろうと思い、修論提出即三体をかましたわけだが
こんにちは、ポストモダンおちょくる芸人です。 分析vs大陸のいがみ合いが三度の飯より好きなのですが、ラウトレッジ・美学コンパニオンに「ポストモダニズム(postmodernism)」の項目があったのでかんたんに紹介。 書いているのはDavid Novitzという南アフリカ出身の美学者。描写の哲学やフィクション論で注目すべき仕事をしていた人だが、がんで若くして亡くなっている。 後で述べる通り、そこまで情報量のある論文ではないですが、英語圏の哲学・美学において、フレンチ・セオリーやポストモダニズムがどう扱われているのか関心があったため、読んでみました。 以下レジュメ。 ----------✂---------- 1.ざっくりした歴史■啓蒙思想と近代哲学(16〜17世紀) 王、教会、封建制、貴族制が支配する中世から、個人の理性が重視される近代へ。 数学や論理や実証を通して、誰でも世界について正し
K-POPガールズグループ・CLC(シエルシ)が、ニューシングル「Devil」をリリースしました。 キュート系の元祖アイドルコンセプトでデビューするも、いまいち伸びなかったCLC。2017年の「Hobgoblin」ではガツンとテコ入れし、オラオラ系ガールクラッシュで怒涛の存在感を示す。続く「Where are you?」で「やっぱり清純派を……」と血迷うも、その後目を覚まし、「BLACK DRESS」「No」「ME(美)」と、着実にグループイメージを固めていく。 そんなCLCの新曲「Devil」ですが、MVを見て、これまでぼんやりと抱いていた仮説が確信に変わりました。それは、K-POPにおけるトラック、MV、コンセプト、あるいはメンバーの見た目や性格までもが、ある種の自己言及的なシステムにおいて、サンプリング、コラージュ、リサイクルを繰り返しており、もはや外部を参照していない、という説です
2019年3月ごろより、Twitter上を中心に「ドラゴンファンク(Dragon Funk)」と呼ばれるジャンルがにわかに注目を集めている。当ジャンルの実態についてはさまざまな論者が断片的に物語っているものの、多くのことは明らかになっていない。 本稿ではジャンルを取り巻く言説分析と仮説検証を通して、ドラゴンファンクの内実を明らかにする。 1.ドラゴンファンクの存在論1.1.ドラゴンとはなにか、ファンクとはなにかまずはドラゴンファンクを構成する2つの要素、「ドラゴン」と「ファンク」について確認しておこう。それぞれ、慣習的に受け入れられている字義通りの意味としては以下のようになる。(大辞林より抜粋) ドラゴン【dragon】 ヨーロッパにおける架空の動物。翼と爪とをもち、火を吹く巨大な爬虫類とされる。邪悪の象徴とされることが多い。竜。飛竜。 ファンク【funk】 ジェームズ・ブラウンが1960
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