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中東情勢
note.com/rakkoblog
私は、足を大股開きにする男を底の方では信用しない。 ジェームズ・リンゼイと極右問題 『「社会正義」はいつも正しい』について最近、「共著者の一人ジェームズ・リンゼイは、反ユダヤ主義的・極右的な言動をする人物だ」と非難されている。 上記記事の「友達の友達がアルカイダ」型のルーズな論証に対する疑義に、文字数を費やすつもりはない。それを踏まえても私は、大まかには上記記事の著者の見方にかなり同調する。 リンゼイの発言が、私の基準で見れば「一線」越えているのは確かだ(「批判的人種理論で白人虐殺されかねない論」、「レインボーフラッグを『敵の旗』と呼ぶ」)。今年9月頃に「リンゼイってヤバくない?」と友達から話しかけられ、事態を知った。 かつて「新無神論者」でありオバマ大統領を支持したリンゼイは、極右のモラルパニックのブレーンとして再出発した。https://t.co/3PTopb0w4P リンゼイ氏のツイ
謝罪がありました詳細は省きます。 (※追記:経緯等を追記しました) 私は、これで全て終わると思えるほど楽観的ではありません。 これが最後になるかもしれないし、ただの通過点かもしれない。そのような記録です。
はじめに 去る7月27日、イギリスの雇用審判所は、「生物学的性別が重要であると信じる女性の権利を擁護する」判決を公開した。刑事弁護法を専門とする弁護士にしてLGBアライアンス創設者のアリソン・ベイリー[black lesbianでもある]は、彼女の「ジェンダー・クリティカル[TERFの中立的な呼び名]」な信念に基づく差別を会社から受けたとの主張が認められ、£22,000[約360万円]を手にした。※TERFとはトランスジェンダー、特にトランス女性に対して排斥的な立場とみなされたフェミニストの事で、一般的に蔑称である。 またベイリーの次のような信念が、平等法で保護される哲学的信念であると認められた。 ・セックス[Sex・生物学的性別]は現実的で観察可能だ。ジェンダー[Gender]は主観的なアイデンティティであり、観察できず、客観的根拠がない ・「トランス女性は女性である」という一審被告であ
要点「キャンセルカルチャー」の起源を、人類学の「処刑仮説」から考える。 危害恐怖とフェミニズム 個人的な話にはなるが、私の知り合いに、二次元美少女ものが好きなオタクがいる。同時にかれはオンライン上のフェミニストの振る舞いにもしばしば賛意を示し、このためいつの間にやら、厄介な立場に置かれるようになった。フェミニストによる「女性」表象批判と、それに対するオタクの反批判が激化する2010年代以降の激動において、しばしば板挟みに遭うようになってしまったのだ。 一度かれに、「どうしてフェミニズム寄りなのか。立場をどっちかに振り切らないと、苦しくないか」と尋ねた事がある。帰ってきた答えが、私には意外だった。いわく、「自分は誰かにうっかり危害を加えてしまうかもしれない、という不安や恐怖が強い。だからフェミニストが二次元イラストに対してする『女性に対する加害だ』との非難には、強い恐怖を感じて従ってしまう」
元タイトル:『むずかしい女性が変えてきた』 販売停止に賛同する人の、エリート意識がもたらす大きな反作用 を変更(2022/07/27) はじめに 大阪のtoi booksという書店が、ヘレン・ルイス著、田中恵理香 訳『むずかしい女性が変えてきた あたらしいフェミニズム史』(みすず書房 2022年5月16日)を「いったん販売停止」にした事が、Twitterで話題になっている。販売停止の理由は、ヘレン・ルイスが「トランスフォーブ」「トランスフォビック」(トランスジェンダーの人に対する不寛容、否定的な態度、言動、嫌悪)であるとの指摘を重く受け止めたためだと言う。 先のツイートについて、経緯や140字では書ききれなかったことなどの説明文を書きました。 さまざまなご意見あるかと思いますが、お読みいただけましたら幸いです。 https://t.co/ZrV0PTEMNY pic.twitter.com
もくじ 1.Vtuberは脱資本主義なのか 2.認知をめぐる競争 3.足るを知ること 1.Vtuberは脱資本主義なのか twitterではてなのあままこさんに突っ込んで、ちょっと田原総一朗みたいな感じになってしまった。私が言及したのは「「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある」というタイトル記事の一部内容についてなので、詳しくはリンク先を読んで欲しい。あままこさんは記事でVtuber文化の持つ解放性を、こう述べている。 ====================== 僕は最近VTuberという存在にはまっているのですが、VTuberの多くは、自らを「社会不適合者」と自嘲し、「VTuberにならなきゃただのダメ人間」と言ったりします。実際、遅刻常習犯だったり、コンプラ無視の配信を繰り広げる彼・彼女らは、現実社会ではまともに生きていけないでしょう。 ですが
https://t.co/QZa3JsuKok なぜオタク産業にリベラルが放火するようになったのかの答えって、まあこういう構図だったんだなと、色々腑に落ちるというか、いわゆる「反転可能性テスト」で明らかにおかしいことはわかるが、この文章は半端じゃないほどに精度が高い。 — 鐘の音@32kgダイエット目標まであと-14kg(18kgダイエット中) (@kanenooto7248) November 2, 2021 この展開は、予想してなかった。私が想定していたのは、例えば認知科学や心理学をベースにして倫理や政治を論じることを「なんか危険だ」「差別的だ」と否定したがる人々と、それに反発する人々双方に届くことだった。 書評記事への反応を色々みてあらためて確認したが、「いわゆるリベラル = 二次元創作物の『表現の自由』の敵」とのイメージが、大々的に定着している。 宇崎ちゃん、キズナアイ、碧志摩メグ
オリジナル版『ルックバック』のよさは、能力主義と格差の描写にあった。修正版は、敵が安っぽいネオリベ風に改変されて悪くなった。 はじめに「『ルックバック』の描写は、精神疾患患者への差別である」。こうした批判をジャンプ+編集部が受け入れ、新たに修正版を公開しました。編集部としては、「作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え」た結果であるとのことです。 私は修正版を読んで、率直に言って問題のシーンが「かなり気の抜けた表現になってしまったなぁ」と残念に思いました。どこがどう違うのかを「勝者と敗者」「格差」「能力主義」といったキーワードから語ります。 オリジナル版にあった犯人の創作コンプレックスが消えてしまった。「オリジナル」版の殺人犯は、京本に対し、「自分の絵をパクりやがって」と非難を浴びせていました。また学内に飾られている絵画から、自分を罵倒する声が聞こえた、と新聞で凶行の動機
はじめに当ブログ読者はご存知の通り、小山田さん問題が炎上したためではなく、それ以前からカウンターカルチャー的思考や、これを汲む「悪趣味/鬼畜系」へと批判的関心を向けておりました(URL)。 現状で史料の大量精査は難しいので、ひとまず私なりの初期報告、教訓をまとめます。幾つかあるのですが、今回は「不道徳性のチキンレースとか、ワルについての差異化ゲームの危なさ」についてのみ説明します。 不道徳な差異化ゲームの加熱は危ない同時代を知る雨宮処凛さんと中村佑介さんは、どちらも"差異化ゲーム"として、90年代の「鬼畜」「露悪」な文化圏を捉えています。 あ、私、この手の話するとなんかヤバくなる。普段の感覚とか吹き飛んで、「より鬼畜な方が偉い」みたいな90年代サブカルの感覚に支配される、と。 貧乏で、お先真っ暗で、自分以外の同世代の女子たちはキラキラ輝いて見えて、中学のいじめ以来ずっと対人恐怖で人間不信で
はじめに90年代鬼畜系文化は、日本における「抑圧と自由」の問題を考える上で学びの多い対象と言えます。といっても私は殆どこのテーマについて知りません。というわけで手に取ったのがロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コア新書 2019年)。……かなりの良書でした。 著者のロマン優光さんは鬼畜系に対し、「昔は何でもありでよかった」というスタンスではなく。一定の良識を持って対峙しています。このため単に対象ベッタリよりも、読者がともに思考できる有意義な語りになっています。 鬼畜系とは何か特に90年代後半に盛り上がったサブカル・ムーブメントです。「徹頭徹尾加害者であることを選び、己の快楽原則に忠実に生きる利己的なライフスタイル」(同書Kindle版 No.73)が、鬼畜系ライター村崎百郎さんによる鬼畜の定義です。こう書くと怖そう、不愉快と感じる人もいるでしょう。半分はその通りです。この定義は村崎さんと
はじめに最近びっくりした出来事の一つに、とある人のツイートがあります。 一瞬なにが問題になっているのか、うまく捉えられませんでした。「自由意志」を特集することは、何か不味いことなのでしょうか。(※注:後のTLを辿ると、「うわ、これは…」の方は本当にこのツイートのみでした。もう一人の方と他人との会話を見ると、どうやら女性の人数が少ない事に異議申し立てしていたようだ、と分かります。) 自己紹介文や経歴をみると、どうやらフェミニズム寄りの人であるらしいです。そしてこの雑誌の執筆陣は、名前からすると殆ど男性です。 ここから言外の意図を憶測すると、 日本人口の約半数は女性である。なのに執筆陣が殆ど男性なのは不正だ。といったことを言いたいのでしょう。間違っているでしょうか。でも明言されていないので分かりません。 もしそうであるなら、ある程度共感できます。「自由意志」の有識者に"生来の" "自然な"適性
ゲバラのTシャツ現象書籍『闇の自己啓発』のマーケティング手法に、「ちょっとやりすぎなんじゃない?」と物申す記事を書いてしばらくたった頃。 『闇の自己啓発』の異常者マーケティングがうざい件について:でも「ほとんど無害」 https://note.com/rakkoblog/n/n762dff7cb61e 書店に行くと色んな本に、「闇の読書会」という黒いラベルが貼ってあったんですよね。 https://twitter.com/kikuya_kokura/status/1387299136043577345 https://twitter.com/akirams/status/1385395686183604227 『闇の自己啓発』著者がPR。 このnoteでも、早川書房さんが仲介して読者を広げる活動をやっています。読書会を活発にして読者層を増やす。『闇の自己啓発』著者たちは、こうしたマーケティ
はじめに『現代思想』2021年6月号、「いまなぜポストモダンか」でデビット・ライスさんのブログ(道徳的動物日記)が取り上げられていると訊いて、ちょっと購入してみた。言及箇所は、ユク・ホイという論者の記事への訳者解題。 「ポストモダンに批判的な人たちは、こんなふうにポストモダンを理解してます」という一例に、「道徳的動物日記」が挙がっていただけだった。 こうした理解は今日、ポストモダンに批判的な者たちでさえ、つまりはデヴィッド・ハーヴェイであれ、ジョセフ・ヒースであれ、Quilletteや「道徳的動物日記」を読むものであれ、粗雑な形ではあるがある程度共有されているように思われる。(66頁)これ自体はどうでもよいのだが、気になったのが、訳者の小泉空さんが、リオタールの見解を追認する形で「福祉国家が終わった」と主張し、その後の議論を展開していたことだ。 『ポストモダンの条件』でリオタールは、ポスト
0. 本記事公開後、樋口さんからの応答2021/02/12 15:05 ラッコさんによる樋口の書評への批判への応答 経緯など: https://twitter.com/rrr_kgknk/status/1360102246785028098 1. はじめに作家の樋口恭介さんから、"挑戦状"を叩きつけられました。名誉なことです。よし、受けて立とうじゃないか。という気力もないのですが、私の考えを説明した記事です。時間がない人は、「13. 最後に」だけ読んでください。3秒で読めますし、そこに本質の99%を込めました。 2021/02/22 13:00追記:【この記事までの経緯】/ 闇の自己啓発界隈vs経済学101(?)界隈 https://togetter.com/li/1666697 樋口さんは、自らの『闇の自己啓発』書評記事「正常としての異常な世界を生きること、あるいは異常者=正常者のための
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