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掃除・片付け
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12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。。 [25] ニュージーランド⑤ 南島の3 スチュワート島 《 オーバン港 》 1976年1月2日 午前8時15分にブラッフ港を離れた「貨客船ワイルア」は、強い風の吹き荒れるフォーボー海峡(Foveaux Strait)を横切ってオーバンに到着。 10時10分に最終目的地であるオーバンの桟橋に足を降ろす。 下船と同時に、2人の男の人が「クラウン・レーンジで自転車を押し上げている あなたを見た」と言って話し掛けて来たので
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。。 [25] ニュージーランド④ 南島の2 ブラッフ 《 ブラッフ港 》 1976年1月1日。 先ず、飛行機の予約をするためNACの支店に行くが、この日は閉店。 次いでG・T・B(Government Tourist Bureau)に行く。 ここも閉まっていたが、ドアにいろいろと貼ってある紙を見ると、スチュワート島へのフェリーは1日1便で、午前8時ジャストに出港というのが目に入った。 明日までフェリーは無いため先を急ぐ
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。 [25] ニュージーランド③ 南島の1 ピクトン 《 ピクトン港 》 1975年12月19日。 ブライトウォーター(Brightwater)に帰ると言う人と話しているうちに、南島の入口となるピクトン(Picton)の町が見えて来る。 そして、ピクトン(Picton)の町は だんだんと大きくなってくる。 午後6時20分、南島のピクトンに上陸。 バス停には多くのパイプザックをかついだ旅行者がバスを待っている。こういう所は
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。 [25] ニュージーランド② 北島の2 ウェリントン 《 ウェリントン港 》 1975年12月19日。 午前10時15分。 ルイスに見送られてオタキを出発。 無理だろうとは思うが、午後2時20分発のフェリーに乗る予定で首都のウェリントン(Wellington)に向かう。 国道1号線は、ポリルア(Porirua)で自然とモーターウェイになっていたため、今度は引き返して一時的に離れ、再び1号線に戻るとウェリントンだ。 「
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県㉒ 与那国島 与那国町 この島も、彼が私を手にした時点で実行できるか否かは別に5つの目標を立てたうちの「民間人が行くことが可能な東西南北端に立つ」の西端に立った島であるため、彼はもちろん私も思い入れが強い。 初めて渡った1985年12月31日は飛行機を利用しての渡島だったが、この島も「どうしても船でも渡りたい」という気持ちが彼にはあり、私達は11年後の1997年2月に船で再訪した。 なお、港湾とは全く関係ありませんが、この島も彼のサイクリングに於いて「一回のみの貴重な体験」を1986年1月2~3日にさせていただいており、、当ブログの『5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[25]沖縄県
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑰ 竹富島(竹富町)、黒島(竹富町) 竹富町-1 ◎竹富島 竹富町竹富 初めて竹富島に降り立った時、地元のおばさんに声を掛けられ「こちらは暖かいですね」と言ったところ、「寒いよ~」と言われていた。 雪の積もる福井から来た、腕まくりをした登山服にニッカボッカ―姿の彼に対し、おばさんはダウンジャケットを着ていたにも関わらず寒そうだった。 なお、30年後の2010年に彼が社員を連れて訪れた際の写真も公開しますので、比較して見て下さい。 《 竹富東港 》 1980.12.30 竹富東港から見る石垣市…竹富町竹富 2010.06.28 竹富東港から見る石垣市…竹富町竹富 ※社員旅行にて 2010
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑮ 石垣島-1 石垣市-1 《 石垣港 》 飛行機から見た港周辺と石垣市街をまとめて見ました。 1980.12.29 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1980.12.30 上空から見る石垣市街と石垣港…石垣市 1985.12.31 上空から見る石垣島市街と石垣港…石垣市 1988.01.29 石垣市上空から見る石垣港(左手)…石垣市
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑭ 多良間島 多良間村 この島も彼が大好きな島。そして私も…… 私達は1988年1月に飛行機を利用して行きましたが、船でも行きたかった彼は28年後の2016年2月に私を連れて再訪しました。 《 普天間港(多良間港) 》 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」から見る普天間港…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」に積載された私。低い方の穴部にいます…多良間村 2016.02.26 「フェリーたらまゆう」に積載された私…多良
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑬ 伊良部島 宮古島市-5 伊良部島の玄関として活気があった当時。 そして、港にある「伊良部町離島振興総合センター」には『郡民一致!伊良部架橋で21世紀への道を拓こう』とのスローガンが掲げられていた。 あれから17年後に伊良部大橋は開通し、私達は翌年の2月、この橋を渡る事を目的に3度目の宮古島に渡りました。 彼は港湾ではありませんが、この目的を達成した時の写真も公開するそうです。 《 佐良浜港 》 1998.02.22 佐良浜港に接岸する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市伊良部- 1998.02.22 佐良浜港に接岸する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市伊良部 1998.02.
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑫ 大神島-2、池間島、来間島、 宮古島市-4 ◎大神島-2 《 大神漁港 》-2 2016.02.28 大神漁港…宮古島市平良大神 2016.02.28 大神漁港。右手上に見えるのは大神小中学校跡のブロック塀…宮古島市平良大神 1998.02.24 大神海運の「ニューかりゆす」から見る大神漁港。右手の建物は大神小中学校…宮古島市平良大神 2016.02.28「スマヌかりゆす」から見る大神漁港 2016.02.28「スマヌかりゆす」から見る大神漁港 1998.02.24大神海運の「ニューかりゆす」から見る大神漁港と大神島 2016.02.28 大神海運の「スマヌかりゆす」から見る大神漁
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑩ 宮古島-1 宮古島市-1 《 平良港 》 私達はこの港を2回利用しており、1回目は伊良部大橋の架橋前に伊良部島への往復、2回目は彼が好きな多良間島に船でも行きたかったため、28年振りの再訪の際に往復で利用しました。 伊良部大橋の架橋については、1988年当時すでにスローガンとして掲げられていました。 1998.02.22 宮古フェリーの「第三かりゆし」から見る平良港…平良市※写真はブレています 1998.02.23平良港に停泊する宮古フェリー㈱の「うぷゆう」…宮古島市平良 2016.02.26 仲宗根豊見親墓から見る平良港に停泊する「フェリーたらまゆう」と伊良部島 …宮古島市平良
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑨ 渡名喜島 渡名喜村 「渡名喜島の屋敷は道路よりも低くなっている」と本で読んだ時、彼の頭では考えられないこの風景をみるため、日帰りで渡島しました。 そして、実際に目にするとともに、地元の方から「暴風対策」である事を聞いたそうです。 なお、港湾ではありませんが渡島の目的だったこの写真も彼は公開するそうです。 《 渡名喜港 》 2014.10.17 下船を待つ「フェリー琉球」に積載された私…渡名喜村 2014.10.17 渡名喜港に停泊中の「フェリー琉球」…渡名喜村 2014.10.17 渡名喜港に入港して来た「フェリー琉球」…渡名喜村 2014.10.17渡名喜港に接岸直前の「フェリー
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑧ 粟国島-2 粟国村 《 粟国港 》-2 2014.10.19 粟国港から見るマハナ…粟国村 2014.10.19 粟国港から見るマハナ…粟国村 2014.10.19粟国港に停泊中の「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.19 粟国港船客待合所と自動車を積載中の「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.19 粟国港に停泊する「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.19 「フェリー粟国」に積載され、私と一緒に那覇に向かう山羊さん…粟国村 2014.10.19 「フェリー粟国」から見る粟国島船客待合所とマハナ…粟国村 2014.10.19 「フェリー粟国」から見る粟国島船客待合所…粟
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑦ 粟国島-1 粟国村 《 粟国港 》-1 彼は、「ヤマトゥガー」と「マハナからの風景」を見たくて粟国島に渡りました。 そして、運良く『粟国島「ア」の国まつり2014』が粟国港で開催された日だったため、宿のご主人に誘われて彼はこの祭りも楽しんでいました。 なお、港湾ではありませんが「ヤマトゥガー」の写真も公開すると彼は言っています。 2014.10.18 粟国港に接岸する「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.18 粟国港に接岸する「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.18 粟国港に接岸する「フェリー粟国」…粟国村 2014.10.18 粟国港と「フェリー粟国」…粟国村 2014
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑥ 伊江島 伊江村 平坦な島に聳える城山。 私達は島を一周した後、彼は城山に登り、私は登山口に鍵も掛けられずに立て掛けられて待っていました。 ちなみに、山頂からは島全体が見渡せるとの事です。 《 伊江港 》 2017.02.04 城山から見る伊江港…伊江村 2017.02.04 城山から見る伊江港…伊江村 2017.02.04 城山から見る伊江港…伊江村 2017.02.04 伊江港に停泊するフェリー「ぐすく」…伊江村 2017.02.04 伊江港にて…伊江村 2017.02.04 伊江港にて…伊江村 2017.02.04 フェリー「ぐすく」から見る伊江港…伊江村 2017.02.04
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県⑤ 久高島 (南城市-2) 定年まで残すところ2ヵ月を切った2017年2月5日。 彼は「定年の年に行く」と決めていた久高島に、私と共に降り立ちました。 そして、有休を取った最後の旅行を、「島でのルール」を守って走りました。 なお、久高島船待合所で売っていたイラブ―の燻製について、「店の奥さんに『写真を撮っていいですか』聞くと、『いいですよ』と言われ硝子戸を開けて撮影し易くしてくれたのが嬉しかった」と彼は私に話しており、今回はこの写真も公開すると言っています。 ちなみに、店から出て来た彼は「イラブ―は食べる時間が無かったが、待合所で売っていた『海蛇の粉』(※イラブ―の粉末)を買って来た」とも
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 沖縄県④ 沖縄本島 (南城市-1) 《 安座間港 》 彼は、久高島には「定年の年に行く」と決めていたそうだ。 これを実現するため、私達は安座間港から久高島に渡りました。 そして、神の島の「島でのルール」は、昔ながらの考えとスタイルで乗り続けていた彼には非常に合ったようです。 なお、船舶は往路は「フェリーくだか」、帰路は高速船の「ニューくだか」を利用しました。 2017.02.05 安座間港…南城市知念安座間 2017.02.05 安座間港に停泊する「フェリーくだか」…南城市知念安座間 2017.02.05 安座間港に停泊する「フェリーくだか」に積載された私…南城市知念安座間 2017.02.
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑬ 与論島 私達は、鹿児島から沖縄に続く薩南諸島の主な島々を走行し、最後に残ったのが与論島でした。 1990年12月に種子島を走行してから屋久島、口永良部島、奄美大島、加計呂麻島、喜界島、徳之島、沖永良部島を走り、この島を走るまでに26年2ヵ月が経っていました。 ちなみに、彼は三島村の3島(竹島、硫黄島、黒島)も走るつもりで交通機関と宿を予約していましたが、大雪のため福井県から出られず列車、船、宿の全てをキャンセルしています。 《 与論港 》 2017.02.03 与論港…与論町 2017.02.03与論港旅客待合所…与論町 2017.02.03与論港旅客待合所…与論町 2017.0
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑪ 喜界島 私達は、喜界島へは往路は鹿児島新港から、復路は鹿児島新港へ何れも夜行便での渡島となりました。 なお、帰路に於いては予定時間を過ぎてもなかなか来ないため、彼は地元の方にこの事について聞くと、遅れる事については特に珍しい事でもないようで、何も気にしていない様子だったそうです。 《 湾 港 》 2000.10. 「フェリーあまみ」から見る入港時の湾港…喜界町赤連 2000.10. 湾港に入港…喜界町赤連 2000.10. 湾港に接岸した「フェリーあまみ」を背に…喜界町赤連 2000.10. 湾港旅客待合所…喜界町赤連 2000.10. 湾港旅客待合所…喜界町赤連 2000.10
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑨ 奄美大島(奄美市、瀬戸内町-1)、 ◎奄美大島 ・名瀬市 《 名瀬港 》※この港は利用していません 1996.02.27 おがみ山公園から見る名瀬港と名瀬市街…名瀬市 1996.02.27 おがみ山公園から見る名瀬港と名瀬市街…名瀬市 ・瀬戸内町 《 久慈漁港 》※この港は利用していません 1996.02.24 久慈漁港…瀬戸内町久慈 《 古仁屋港 》 加計呂麻島に渡った際、往路は瀬相港、復路は生間港を利用して日帰りで戻った。 翌日、彼は水中観光船「せと2」で大島海峡の観光に行き、帰って来て彼が言うには、「陽が射すと、海底にあるサンゴの美しさは何とも言えない」との事。 こ
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑧ 口永良部島(屋久島町-2) ◎口永良部島 《 口永良部漁港 》 この島は、当時は屋久島から種子島に戻る航路の経由地だったため、停泊中の30分間のみの滞在だったが意外と走れた。 彼も私も30分間の停泊中に下船させて頂けるとは思いもよらず、今も「ラッキー」としか言いようがないと思っています。 しかし、この島での経験が、初めて渡った青ヶ島での彼の甘い考え「30分あれば少しは走れるだろう」に繋がってしまった。 1990.12. 口永良部漁港に停泊する「第二太陽丸」…屋久島町口永良部島 1990.12. 口永良部漁港にて。右手の白い建物は上屋久町役場口永良部出張所(※当時)…屋久島町口永良
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑦ 種子島(南種子町)、屋久島(屋久島町-1) ◎種子島 《 島間港 》 1990.12. 島間港…南種子町島間 1990.12. 島間港…南種子町島間 1990.12. 島間港に停泊する屋久島行きの「第二太陽丸」…南種子町島間 1990.12. 「第二太陽丸」にて見る種子島…種子島海峡 ◎屋久島 《 宮之浦港 》 1990.12. 宮之浦港に停泊中の「第二太陽丸(上屋久町営※当時)…屋久島町宮之浦 1990.12. 「第二太陽丸」から見る宮之浦…屋久島町宮之浦 1990.12. 「第二太陽丸」から見る宮之浦…屋久島町宮之浦 1990.12. 「第二太陽丸」から見る宮之浦…屋久島
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑥ 南大隅町 《 根占港 》 この港は2回利用しており、1回目は「日本列島中央部縦断」の時、2回目はこの時に断念せざるを得なかった佐多岬の手前約2kmの地点から岬までを走行して完結した40年後で、いずれも山川港に向かった。 彼の記録には次のようにある。 1974年8月19日 佐多に戻って山川に渡る予定だったが、着いてみると最終便は出た後だったので、明日の出発時間が早い根占まで戻る事にした。 根占の町はちょうどお祭りらしく、人の往来が激しく、花火が何発も打ち上げられていた。 その花火を見ているうちに、何だか俺を祝福してくれている錯覚に陥った。 そして、やっと「日本本土中央部縦断」が終わ
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑤ 薩摩川内市-2 (下甑島) サイクリストとの挨拶について、彼は相手に無視されるのを承知で最期までこだわっていたが、逆に驚かされる事もあった。 2015年3月の下甑島。 この島で彼は「100%と言っても過言で無いほど、すれ違った子供から大人まで歩いている方には声を掛けられ、車を運転している方からは目礼されるという、かつてない経験をした」と言っていた。 この事については本当に驚いたようで、「甑島」とテレビ等で流れると彼は今も この話を持ち出している。 ちなみに、彼が走行中に全く見ず知らずの人から挨拶されたのは、1990年12月の種子島が初めてで、歩いて帰宅中の女子中学生からの「こんにちは
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県⑤ 薩摩川内市-1 (上甑島、中甑島) ◎上甑島 《 里 港 》 私達は甑島を走った際、この港を3回利用ました。 2015.03.20 里港に接岸した「フェリー ニューこしき」…薩摩川内市里町 2015.03.20 下甑島の長浜港に向け出港した「フェリー ニューこしき」から見る里港 …薩摩川内市里町 2015.03.22 下甑島の鹿島港を出て、里港に接岸した「フェリー ニューこしき」 …薩摩川内市里町 2015.03.22 里港に接岸した「フェリー ニューこしき」…薩摩川内市里町 2015.03.23 串木野新港に向かう「フェリー ニューこしき」から見る里港…薩摩川内市里町 2015
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県③ いちき串木野市、南さつま市 ◎いちき串木野市 《 串木野新港 》 私達は、甑島列島を走るためこの港を利用しました。 甑島列島については「行って見たい」というだけで、特に目的や見たいものが有るのでもなかったようです。 しかし、この旅行で彼は思いもよらない経験をしており、これについては後日に甑島列島で紹介すると言っています。 2015.03.20 串木野新港に停泊中の「フェリー ニューこしき」…いちき串木野市西薩町 2015.03.22 串木野新港に帰港した「フェリー ニューこしき」…いちき串木野市西薩町 2015.03.20 「フェリー ニューこしき」から見る串木野新港旅客待合所…
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 鹿児島県① 鹿児島市-1 《 鹿児島港 》 彼の1974年8月17日の記録より。 吉松を過ぎて栗野、横川、溝辺を通り、加治木に入る手前で錦江湾および桜島を見た時は、一瞬なんとも言いようのない気持ちになった。 本当に鹿児島にやって来たんだ! 本当なんだろうな? という気持ちで一杯だった。 加治木を通り、鹿児島に入った。 桜島に渡り、何にも知らない俺は「火山灰降下注意」の中を東桜島まで行き、東桜島小学校のテント張りの車庫にもぐり込んで寝る。 何日振りかでラジオのスイッチをひねると、全く予想もしていない、トンデモない事が起きていた。 どうも風が強いなとは思っていたが、何と台風が目の前に来ているとは
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [24] 熊本県 熊本市、天草市 ◎熊本市 《 熊本港 》 彼が大好きな「くまモン」と初めで出会ったのが熊本港でした。 しかし、表情の単調な「熊」を見たその時の思いは、「大人気と書いてあるが、何でこんな熊が人気あるのだろう」でした。 ちなみに、丁度1年後に新八代駅で表情豊かな「くまモン」と再開した時には一転してファンとなり、2019年の2月には私と一緒に「くまモンスクエア」を訪れている。 2011.07.17 九商フェリー「フェリーくまもと」から見る熊本港…熊本市西区 ◎天草市 《 牛深港 》 1993.02or03. フェリーから見る牛深港…天草市牛深町 1993.02or03. 牛深港に着き下
12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在) 港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。 なお、船舶は実際に利用したものです。 [23] 長崎県⑤ 五島市-2 福江島 福江島には、鬼岳からの風景を見るためと郷土玩具の「バラモン凧」と「日の出鶴」の二種類の凧を入手するため、41年振りの渡島となりました。 鬼岳頂上からの風景について彼は、「写真で見るより素晴らしかった」と鍵も掛けられずに鬼岳園地で1時間ほど待たされていた私に話したほか、二種類の凧も手に入れることが出来ました。 《 福江港 》 2016.10.26 「フェリーオーシャン」から見る福江港と鬼岳…五島市 2016.10.26 「フェリーオーシャン」から見る福江港…五島市 2016.10.26 「フェリーオーシャン」から見る福江港と鬼岳…五島市東浜町 2016.10.26
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