カンテサンス文章1 いわゆる怪談の舞台、あるいは導入として多いのは、 やはり「肝試し」によるものだと思います。 理由は色々とありますが、それを体験するであろう人が、 怪異やそれに類するものに対し能動的に接しようとしている点は大きいでしょう。 忌むべき因縁のある廃墟に無断で潜入する。 友人と連れ立って、深夜のダムに車を走らせる。 あちらからやって来るのではなく、 こちらが接触を試みた結果として、何らかの恐ろしい現象に遭う。 そんな場合であれば、消費者側も安心して怪談を楽しむことが出来るのです。 何も悪いことをしていないのに不条理な体験をしてしまうのであれば、 それは理不尽であり、明確な意味も分からない話になってしまいます。 その点、自分から怪異を求めており、多くの場合は愚かな行為者として描かれる「肝試しに行く人々」が体験した話であれば、 特に良心が痛むことも無く、彼らが怪異に恐れ戦く姿を楽し