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掃除・片付け
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今日はあれをやらなければならない。 明日はこれをこなさなければならない。 後ろ向きに生きていると、やる気はどんどん失われていく。 タスクをノルマのように捉えて、完了したら取り消し線を引いてToDoリストから消していく。 仕事はそれでいいだろう。 しかし、プライベートまでそういうタスクのこなし方をしてしまうと、人生はどこか味気ないものになってしまう。 「楽しみなことがたくさんある」 「待ち遠しい予定がある」 そう思いながら生きる時間を増やしたい。 対価を得るための時間とそうではない時間。 そのたてわけを明確にすることが必要なのかもしれない。 限りある時の中で、誰の人生を生きているのかわからない時間ばかりを過ごしていたら、生きる気力は失われていく。 歳を取ってからも生き生きとしている人がいる。 逆に、「いつ死んでもいい」と口にする若者がいる。 その差は、人生に対する主体性の有無によるものなのだ
昨日の記事で2101日連続での投稿となりました。 2000日を超えてからも、私は毎日ブログを更新し続けて、気がつくと100日を超えていたようです。 ひとまず、この100日間の変化を確認します。 前回2000日連続更新は1月の終わりでした。 そこから記憶を辿ると、なかなか忙しい日々を過ごしてきたように思います。 ・出張をした ・年度が変わった ・出産に対する意識の高まり ・モヤモヤすることが多かった 仕事は2月が忙しさのピークで、そこから3月4月は少し落ち着いていました。 年度が変わり4月に入るとプライベートでモヤモヤすることが続き、精神的に堪える時期が続きました。 人は社会的な生き物。 努力が報われなかったり、コミュニティから阻害されているように感じると、暴力を振るわれるのと同じように、身体的な苦痛を感じるストレスホルモンを分泌するそうです。 ここしばらくは「世知辛さ」を感じることが多かっ
時折仕事をしている時間はあったが、10連休だった今年のゴールデンウィーク。 ようやく長い休みが終わることになる。 明日からは忙しくなるだろう。 そのための英気を養うことができたかと聞かれると、「できた」とは言えない。 妻の実家との関係で結構多くの休日を費やしたことから、気を使う休みだった。 出産を間近に控えているので仕方がないといえばそうなのだが、家にいても気を使う時間は多かった。 それでも何日かは自由に過ごさせてくれた妻には感謝しなければならない。 出産に対して不安を口にすることが増えてきた。 文字通り、出産は「命懸け」なのだから不安になるのは当たり前だ。 私はといえば、生まれた後のことばかりを考えて不安になっている。 ライフステージが大きく変わる出来事。 大変なことがたくさんあるだろう。 それでもしばらくは二人で力を合わせてやっていくしかないのだ。 その中で、これまで経験したことのない
中日7-7ヤクルト 現地で参戦してきました! 5時間を超える熱戦でしたからね。 終わったのは23時すぎ。 私が参戦する神宮の中日戦は毎回泥試合になる印象ですが、今回も同じく泥試合でした。 しかも先行しながら9回に追いつかれるという、 完全な勝ち試合を落としての泥試合ですからね。 得るものがありませんでした。 スワローズの中継ぎが弱いことを象徴するような試合です。 セットアッパーの清水と抑えの田口がいないわけですから、戦力はガタ落ちです。 盛り上がる展開で3-0から逆転をして、村上のダメ押し2ランホームランまで飛び出し、3-7としましたが、7回と9回に2点ずつを取られて、結果として延長12回までに決着つかず引き分けです。 これで勝てないのですから、どうしようもないですよね。 これまでの4連勝に水を差すような引き分けですので、翌日以降への影響が心配です。 とにかく逆転負けが多いスワローズ。 先
「ありえないほどに、我らは尊い」 まさにミセスの真骨頂。 とことん人生を肯定する彼らの楽曲に励まされる若者は多いだろう。 一人一人の人生に散りばめられた宝物。 それは近くにあるはずなのに、 どうでも良い何かに目隠しをされて、 それに気がつくことができない。 愚かさに気がついた頃にはもう遅い。 それでも、暗闇の中をもがき苦しみながら、 その大事な宝物を探して、生き続ける。 とにかく生きる。 生きる。生きる。 生きてほしい。 歩みを止めてしまったら、 絶望に支配されてしまったら、 「何よりも尊い、あなた」を損ねることになる。 人は宇宙。 無限の可能性を秘めている。 それを信じることができるか否か。 そこに人生の分かれ目があるのだろう。 憎しみを向けている相手も、 道具のように利用している画面上の誰かも、 等しく尊い存在なのだ。 誰もが特別。 自分も他人も。 誰もが尊い。 Mrs. GREEN
大型連休の真っ最中。 モヤモヤすることはたくさんあるけれど、 体は少し落ち着いている。 連休野崎に私を待ち受けているものは、 大きな渦だ。 自分の力で争うことのできない大きな流れに巻き込まれて行く。 実力だけではどうすることもできない、 「運」の要素がものすごく強い世界に飛び込んでいくことになるだろう。 それを乗り越えて行くためには、 強い精神力が必要だ。 今までの私から、さらに進化をしなければならない。 強い体を手に入れたい。 私の体は無理の効かない体になってしまった。 歳とともに神経をコントロールする力は衰えて行くのだろう。 ちょっとしたことに過敏になりがちで、うまくコントロールすることができない。 赤子と同じように、思ったことをそのまま口にしてしまう老人の姿をよく見るが、あれは神経をコントロールする力の弱まりによるものなのかもしれない。 スフィンクスの謎かけ。 朝は4本足、昼は2本足
最近モヤモヤすることが続いている。 主に店員関係だ。 セール品のはずなのに、買った後でレシートを確認したら割引されていなかった。 歯医者で「大したことはない」と言われて治療を始めたのに、いざ治療をしてみると大変そうにしながら、「普通は抜歯をするのに」とこぼされる。 その後、痛みがあると言うと「抜歯が必要」と手のひら返しをされた。 整体院では、予約時間に遅れたら、次の予約があるから対応できないと言われ、無断キャンセル扱いにされて、キャンセル料を取られた。 私の確認不足に非があるといえば、確かにそれはあるだろう。 しかし、なんとも嫌な思いばかりする。 そうすると、次からは同じような思いをしたくないから、より細かい確認をしようと思う。 それがまたストレスだ。 世知辛い世の中になったと感じる。 コロナ禍を経て、サービス業は客に対してシビアな対応をするようになったのか。 「行き届かないサービス」が目
ある研究によると、幸せに最も寄与する要素は、タイトルの通り、人生をコントロールしている感覚だそうだ。 つまり、それを持っている人は「幸福」ということになる。 自分の好きな時に、好きな人と、好きなことをすることができる。 そう考えると、それができることは幸せにつながっていると感じる。 お金で買える一番価値のあるものは「自由」だ。 自分の人生を生きている実感を得るためには、自由が必要だ。 だからこそ、主体性を持って行動を決めることが重要となる。 例え、嫌だと思うことであっても、それに対して主体性を持って臨むことができれば、それは自分で選び取った行動となる。 つまり「自由な時間」を過ごしていることと同じになる。 何事に対しても、自分にとって学びになるという思いで取り組むことが大事だ。 その主体性の積み重ねで幸福度は増していくのだろう。 先進国で最低と言われる日本の幸福度。 敷かれたレールの上を、
一生そばにいるから 一生そばにいて 一生離れないように 一生懸命に 恋愛の賞味期限は3年と聞く。 それを過ぎてからは、 恋愛とはまた別の形の「愛」を育む必要があるのだ。 人は不思議なものだ。 同じ人との関係が同じように続いているのに、 その人に抱く感情は時と共に変わっていく。 同じ感情を一生留めることは並大抵のことではない。 それこそ「一生懸命」になる必要があるのだろう。 「一生を懸けて」 その言葉の重みは行動に現れる。 その場限りの燃え上がる感情に支配されて前に進むことは容易い。 そこから先の長い期間、約束を守り続けることができるのか。 常に試されることになる。 結婚とは、そういうものなのかもしれない。 菅田将暉『虹』
「役職」を持っていることは、必ずしもいいことばかりではない。 責任を押し付けられるし、部下から「できて当たり前」というプレッシャーを「あてがわれる」のだ。 高い給与の対価として、いざと言う時に責任を取らなければならない。 それが暗黙の了解となる。 そもそも「役職」は「役割」の一つなのだから、必ずしも能力が高い人が役職が高くなるわけではない。 むしろ、能力以外のところ、 人間関係やタイミングなど、巡り合わせで決まることの方が多い。 それでもまだ、役職と能力が比例するというような考えは根強く残っているのだ。 だからおかしなことになる。 特に今の時代は、若者からすれば管理職は罰ゲームのように扱われる。 部下の立場が強くなりすぎて、かつてないほど会社組織が社員に対して過保護になる。 その結果、管理職にかかる負担はどんどん増えていき、給料が高かったとしても、割に合わなくなっている。 新卒社員がカジュ
米国の内科医という外国人にとっては非常に狭き門を潜り抜けた著者の勉強法が書かれた本だ。 従来の繰り返し読む方法や、テキストの内容をノートにまとめる方法は「効果がない」と言うエビデンスから始まり、科学的に根拠のある効果の高い学習方法を記載している。 その粋たるものが「アクティブリコール」と呼ばれるものだ。 それは、学習した内容を見返すことなく、白紙の紙に書き出したり、声に出したりして、直後に振り返りを行うというものだ。 人に教えるつもりで思い起こすと、より効果的だという。 それにより、長期的な記憶への定着率がぐんと上がる。 インプットしたことは、アウトプットをした方が良いということだ。 同じようなことが、樺沢紫苑さんの『アウトプット大全』にも同じことが書いていた。 インプットしてから2週間に3回以上アウトプットすると、その情報は「重要な情報」と脳が判断して、記憶に定着しやすくなる。 インプッ
春だからだろうか。 とにかく日中も眠い。 夜は十分に睡眠時間をとっている。 それでも眠いのだ。 この時期になると、 私は体調を崩すことが多い。 花粉なのか。何か別のアレルギーなのか。 それとも、気温の寒暖差によるものなのか。 それはわからない。 今年も少し長い期間、 すっきりとしない体調で過ごしている。 冬が春になると、 多くの人は活動的になるのだけれども、 私の場合は、そうではない。 体調が優れず、家で過ごすことが増える。 5月くらいまでは、そういう期間が続く。 原因はよくわからないけれど、 例年同じような感じだ。 今はとにかく眠い。 毎朝、冬眠から起きたクマのように、 動かない体を無理やり起こしている。 昔はこんなことはなかったはずなのに。 体質が変わってしまったのだろうか。 暖かくなって、気が緩むことが原因なのだろうか。 とにかく眠いのだ。 そういう時期もある。 そう割り切って、やら
便宜上、意見を求められるという機会は多い。 特にビジネスの場では、ステークホルダーに対して「確かに確認した」と言質を取るために意見を求めるということがある。 意見を求める時点で、選択肢はあらかじめほぼ決まっているのだが、あくまでも便宜上確認をしておく必要があるため、確認するのだ。 そういう時に回答をミスしてしまうと、結構大変なことになる。 「沈黙が華」 1対1のやり取りではない場合、そういう場面では意見を述べないことが正解となるケースは多い。 そこで余計な意見を述べてしまうと、そこからまた議論が始まり、決まることも決まらなくなる。 「こうした方が良いのではないか」 先日、私はその便宜上を見誤り、意見を述べてしまうことがあった。 上の人たちの中では、ほぼほぼ決まっていたことに対して、私が意見を述べたことにより、再調整を検討しなければならなくなったようだ。 その時に私は学んだ。 「余計なこと」
驚くほど早い3ヶ月間だった。 気がつくと、3月が終わろうとしている。 そこで私は6年間ブログを続けていることに気がついた。 2018年3月21日は私がブログを始めた日だ。 例年、この日には周年記事を書いていたが、今年は忘れていた。 3月の終わりを意識して思い出す。 そういえば、6周年を迎えていたはずだ、と。 私のブログに対する意識は薄れているのだろう。 見方を変えれば、ブログが当たり前のように生活に根付いているとも言える。 6年ともなると、感慨深いものはない。 特に節目と言える数字でもないのだ。 敢えて表現をするならば、小学校に入学してから卒業するまでの期間だ。 それだけの期間、私はブログを続けてきたということになる。 そう考えると長い期間だ。 私は30代の多くをブログと共に過ごしてきたということになる。 これから先のビジョンは全くない。 私はこれから先、どのようにブログと接していくのだろ
独身の期間は、自分のためだけに生きていれば良かった。 持てる時間の全てを、自らの成長に費やすことができたのだ。 人は成長を実感できないと枯れてしまう。 しかし、その成長している感覚を、他の誰かに委ねることができたならば、自分は成長していなくても、成長した実感を得ることができるのかもしれない。 その最たるものが子供だ。 子供が生まれたら、自分の時間の多くを子供に費やすことになる。 その結果として子供が賢く成長してくれて、そちらで成功体験を掴むことができるのであれば、自分自身の成長は二の次となる。 良いか悪いかは別として、おそらく独身のままでいた方が、自分自身の成長に貪欲でいられるのではないだろうか。 むしろ、自分の成長を突き詰めることくらいしかやることがなくなり、自分を高めることに取り憑かれたような人間になる傾向が強いのかもしれない。 自分1人でたどり着けるところには限界があるのだ。 そこか
衝撃のニュースが世間を賑わせている。 大谷翔平選手の通訳兼マネージャーである水原一平さんが、違法なスポーツ賭博を行なっており、ドジャースを解雇されたとの報道があった。 解雇の直前、チームのミーティングで、本人から「自分はギャンブル依存症だ」とのカミングアウトがあったようだ。 大谷翔平選手への影響はともかくとして、今回は依存症について少し考察したい。 私は過去にこういう記事を書いた。 tureture30.hatenadiary.jp ギャンブル、アルコール、恋愛、ゲームなど、 世の中には多くの種類の依存症があるけれども、 気が付かないうちに、人は何かの依存症に陥っている可能性がある。 そして、私は自分を含む多くの人が、この「成功体験」依存症に該当するのではないかと考えている。 「経験を信仰する生き物」 どうしたって過去の経験に基づき、行動規範を決めて生きるのが人間だ。 失敗から学び、成功を
多くの痛みを引き受けることで、人の痛みを知ることができる。 その繰り返しの中で人は本当の意味で優しくなることができるのだ。 「痛み」を経験していない「優しさ」 どこか薄っぺらい。 苦悩が深ければ深いほど、その薄っぺらさに苛立ちを覚える。 今の時代は、表面的にうまくやることばかりを求められる時代だ。 反射的に、当たり前のように口を突いて出る「優しい言葉」 そこに心はこもっていない。 薄っぺらい「優しさ」。 相手のことを思いやる気持ちが根底にあれば立派だ。 思考を経て、相手に対する思いやりを源泉として発せられる言葉には力がある。 そうではなく、反射的に口から出る優しい言葉。 私たちは、それをコミュニケーションを円滑に運ぶための道具として利用してやいないだろうか。 それが癖になってやいないだろうか。 相手に優しさを向ける時、今一度自分の心と向き合う必要があるのかもしれない。 今向けようとしている
人の思考は千差万別だ。 例えば、「りんごが落ちた」という事象一つとっても、何も感じない人もいれば、逸話の真偽はともかくとして、ニュートンのように世界の真理に及ぶ人もいる。 仕事中に寝ている人を見て「自分は忙しいのに、こいつは暇なのか」とイライラする人もいれば、家庭環境の悩みや病気を懸念して心配する人もいる。 これだけ考え方が多様なのだから、相互理解は難しい。 それでも私たちは、同じ空間で同じチームとして働くことを求められる。 それならば、無理をしてでも、お互いの考え方を「受け入れる」ことはできなくとも、理解しなければならないのだ。 自尊感情の低い人ほど、他人に対してマウントをとりたがる。 他人に対して誇れるものを見つけると、それを拠り所にして自分の価値を認めたがるからだ。 そういう人と接する時の態度として気をつけなければならないことは、その人のプライドを傷つけないようにすることだ。 少しで
今の私の生活が、私の望む未来につながっている。 それを確信できるほど、私は後悔なく生きてなどいない。 とことん自分を追い込んで、「これ以上はできない」というくらい無駄なく生活を組み立てている人ならば、今の自分の生き方が、望む未来につながっているという確信を持つことができるのだろうか。 いや、そうは思わない。 そうやって自分を追い詰める人ほど、「まだまだできることがあるはずだ」という強迫観念に囚われて、自分の「イマ」に満足できないように思う。 要は「心の持ちよう」なのだ。 未来を肯定的に捉えることのできることは、特殊能力なのかもしれない。 未来に希望が待ち受けていると信じていれば、どんな苦難に直面していようとも、未来を信じて前進することができる。 そういう力が私には足りないのかもしれない。 難しいことは考えずに、これだけ頑張っているのだから、今の私を肯定してあげたい。 季節の変わり目だからか
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズを手掛けた山崎貴監督が満を辞してメガホンを取った意欲作。 後輩から「絶対に見た方が良い」と、あまりにも勧められるものだから、遅ればせながら映画館で見た。 米アカデミー賞で、アジア映画初となる視覚効果賞を受賞。 私が見た直後の一報に驚いた。 庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、「日本vsゴジラ」の構図だったのに対して、山崎貴監督は、『人間vsゴジラ』を描きたいと語る。 政府からも見放され、自分の大切な人、大切な街を自らの手で守らなければならないということを突きつけられた人々。 極限まで研ぎ澄まされた、純粋な「人間vsゴジラ」を見事に描き切った作品だ。 結論から述べると、見て良かった。 この映画は映画館で観るべき作品だと思った。 初代ゴジラに対するリスペクトが十分に感じられる、昭和の雰囲気漂う世界観。 安易なハッピーエンドでは終わらない、 「それでも生きてい
私はよくブログで「信念は諸刃の剣である」と書いている。 信念を持つことで、自分の生きる道を定めることができる反面、その信念に沿わない対象に対する寛容さを失ってしまう。 イスラム教原理主義者を称するテロリストがわかりやすい例だ。 彼らは、アラーの名のもとに、他国を侵略し、人を殺すことを正当化する。 そこまでは行かなくても、自分の信念を押し倒すために、周りに対して好戦的な人がいる。 彼ら、彼女らは、それをぶつける相手に何を求めているのだろうか。 多くの場合、中途半端な議論だ。 その結果、相手を言い負かして自分が正しいことを証明することが目的だ。 誰かと比較しないと、自分の存在価値を認めてあげることができない。 そんな「エセ信念」の持ち主。 彼ら、彼女らに取って、信念とは自分が人と比べて優れていると証明するための道具なのだ。 本物の「信念」を持っている人は、それを自分の生き方に落とし込むことを目
普通は「努力」している人を見ると応援したくなる。 しかし、自他ともに認める「努力家」なのに、応援したいと全く思えない人がいる。 「努力」の方向性が自慰行為の人。 自分が気持ちよくなるためだけに努力をしている人。 そういう人を見ると気持ちが悪くなる。 もちろん「努力」は自分のためにするものだ。 しかし、あまりにも周りに配慮がなく、周りから認めてほしいとばかりに壮大に自慰行為をされると、どうにも気持ち悪く映る。 上には媚びて、下にはマウントを取る。 それが常となっていると、周りからはどんどん信頼を失っていく。 結局は「人間性」なのだ。 少し前に「ギバー」即ち「与える人」という言葉が流行っていたが、人から搾取するだけの人からは、人がどんどん離れていく。 自分のことが大好き過ぎて、他人は自分を引き立てるための道具だと捉える。 他人からしてもらったことに対して、その場限りの感謝を伝えることがあっても
昨日投稿した記事は2100個目の記事でした。 2000を超えてからも着々と毎日投稿を続けて、先日連続投稿日数も2000を超えました。 もはや節目と言えるかどうかもわからない数字ですが、この100日間の変化を確認します。 2000記事を投稿した時期は、11月の終わりでした。 妻のつわりが大変だった時期だと記憶しています。 そこから私の忙しさは速度を増し、2月までは目まぐるしく過ぎていきました。 今では妻のつわりは落ち着き、出産に向けて順調に進んでいます。 今は少し落ち着いています。 またしばらくすると忙しくなることが予想されますが、今は妻と2人で過ごす最後の期間を享受したいと考えています。 ここ最近は、夫としての私もすっかり板につき、後輩から結婚の相談を受けることがあるくらいです。 あれだけ婚活がうまくいかずに苦しんでいた腐れ童貞の私が、他人の結婚相談に乗るようになったのですから、人生はわか
過酷な2月を経て、3月は少し落ち着きそうだ。 ちょっとした旅行の予定もある。 ひとまず英気を養って、4月以降に予想される大変な日々に向けての精神的な下準備をするための期間となりそうだ。 今年も既に6分の1が終わった。 仕事と家庭との両立。 難しいバランスで綱渡りを迫られる2024年。 前半は準備で後半は実践。 今は着々と準備を進めなければならない。 キャリアにとっても大きな転機となるかもしれない。 実力を身につける時期の終わりは近づいている。 これまでどれだけの経験を積んできたのか。 それを否応なしに求められる年齢となる。 もはやポテンシャルが評価される年齢ではない。 可能性の狭まりを感じる年齢だ。 「ミッドナイトクライシス」 私もそれを感じる年齢になった。 今の時代は本業だけでなく、副業の方で自ら天井を取っ払う人もちらほら出ている。 世間的にもそれを推奨される風潮となった。 国や社会が老
ある動画を見ていて、勉強になったと思うこと。 それが「無利子の分割払いは使うべき」という考え方だ。 私は基本的にほとんどのものを一括で購入している。 それは借金をすることが嫌だからだ。 だから自然と分割払いに対する「負のバイアス」が働く。 手元に支払えるだけのお金があるならば、そこで精算して仕舞えばいいじゃないか。 基本的にはそう考えて生きていた。 しかし、無理しならば分割払いの方がお得と言う動画の根拠を聞いて「なるほど」と思った。 例えばiPhoneの分割払いの場合、36ヶ月の分割となるので、支払いが終わるのは3年後となる。 その間に物価は上がり、私の賃金も今よりは上がる可能性が高い。 つまり、時が経てば経つほどに、相対的に支払い金額の価値が下がるのだ。 もちろん健康で働き続けることができれば、と言うことにはなるが。 私の性格上、お金が余っているからといって、無駄なお金を使おうとは思わな
前の閏日は2020年2月29日でした。 当時はコロナ禍真っ只中。 これから世界はどうなるのかと誰もが思っていた頃。 私は失恋の痛みを引きずりながら悶々としていたようです。 その時の私はどのような記事を書いていたのか。 それを確認してみました。 tureture30.hatenadiary.jp 音楽記事でした。 365日では足りない。 毎日あなたのことを考えている、と言う切ない乙女心を歌ったHYの名曲です。 それを閏年に持ってくるあたり、昔の私は凝った記事を書いていましたね。 この曲で、別の機会にも記事を書いていました。 tureture30.hatenadiary.jp 心に刺さる名曲。 今年は一日多く、想いを伝えるチャンスがあります。 一日多く、幸せな時を刻むことができます。 一日多いことをポジティブに捉えて、 今年一年間を前向きに歩んでいきたいところです。 早くも2月が終わります。
「やらなくても生きていけること」に対するアプローチ。 そこに「主体性」があるかないかで、経験値は大きく変わる。 「やるべきこと」と捉えるのか、それとも「やらなければならないこと」と捉えるのか。 それが「役割と使命」の違いなのかもしれない。 生きている中で、やらなければならないことは当然ある。 生活のため、家族のため、今の環境に対する責任を全うするためにやらなければならないこと。 それ以外の時間をどう捉えるのか。 それで人生の姿勢が変わるのだ。 「休む」時間にも主体性を持つ。 自分の体には「休むこと」が必要なのだと捉えて、何においても休むための時間を確保する。 それはそれで主体性のある時間の使い方だと思う。 私は私の時間を自分の意思で使いたい。 例え、それが「やらなければならないこと」だったとしても、自分のために時間を使えるように主体性を持って取り組みたい。 そのためには、ポジティブであり続
大変な1週間だった。 ようやく家でゆっくりできるようになった。 明日からはまた仕事だ。 あまりゆっくりと休む余裕はなさそうだ。 ここしばらく毎年2月は忙しい気がする。 そういう時期なのだろうか。 3月は少しゆっくりしたい。 気がつくと2月が通り過ぎていく。 今年は閏年で29日まである。 夏季オリンピックイヤーだということを思い出す。 パリオリンピックだ。 前回の東京から3年。 私の人生は大きく変わった。 あの時には想像していなかったスピードで、どんどん私は望む未来を手に入れている。 3年もあれば人生が変わるのだということを実感する。 3年後の私はどこで何をしているのだろうか。 今の段階では思いもしないところで、思いもしないようなことをしているのかもしれない。 希望を持ち続けたい。 どんな環境にいたとしても、私は私の望む未来を手に入れて、望む方向へと進み続けている。 そんな実感と共に生きたい
私は寝るときに明かりを「消す派」だ。 睡眠時は可能な限り暗いほうが、 睡眠の質が高まるというデータがあるらしい。 だけれどもここ最近寝苦しいから、 豆球をつけて寝てみた。 すると不思議なことに夜中に目覚めることがなくなった。 心理的な作用だろうか。 それともたまたまだろうか。 プラセボだとしても効果があるならばそれでいい。 「暗闇は死の象徴」 無意識が訴えかけてくるのだ。 「ビクッ」となって目覚めるとき、 大抵は神経過敏状態になっている。 心が落ち着かずに、 窓を開けて外の風にあたりながら、 しばらく心を落ち着かせる。 それでも落ち着かなければ、 寝巻のまま自転車に乗って少しブラブラする。 睡眠が苦手になってしまったのだ。 睡眠が得意な人ならば、 明かりを消したほうが睡眠の質が上がるのだろう。 だけれども、 睡眠が苦手ならば明かりをつけたほうがいいのかな。 しばらく実験してみようと思う。
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