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慢性的な腰痛に悩まされている俺だが、年越しから年明けにかけて我慢できないレベルになっていたのである時ツイッターで見かけて以降気になっていた「きたの整骨院・鍼灸院」に実際に行ってみた! 外部リンク:きたの整骨院・鍼灸院ホームページ きたの整骨院・鍼灸院の場所やらアクセスやらなんやら きたの整骨院・鍼灸院は東京都江戸川区にあり、都営新宿線「瑞江」から徒歩10分ぐらいのところにある。瑞江駅は急行は止まらず各駅停車のみなので乗る電車には注意しよう! www.google.com プロフィールにもある通り俺は船橋に住んでいるのでかなり助かった。 これが北海道とか九州とかにあったらさすがに行けなかったが、1時間もかからないところにあるのはありがたい。 ちなみに俺はなぜか瑞江より前の篠崎で降りてしまい、瑞江に行こうとしたらまた本八幡に戻ってしまうというなぞの行動をとってしまった。 それはさておき同院は保
世界の歴史に大きな影響を与える人物がいる。 父チンギス・ハーンは間違いなくその種類の人物であるが、その跡をついだオゴタイもまた大きく世界史に影響を与えた人物であろう。 www.myworldhistoryblog.com チンギス・ハーンの3男 オゴタイが生まれた年も、他のモンゴル民族同様定かではない。 モンゴル民族にとっていつ生まれたかはそれほど重要ではない。歴史を遺すこともまた重要ではなく、そもそもそのような概念もなかった。 オゴタイが歴史に登場し始めるのは、父チンギス・ハーンが西夏や金に対して大規模な攻勢をかけた頃である。 チンギス・ハーンは、モンゴルよりも東側をカサル、カチウン、オッチギンといった3人の弟達(母ホエルン)、西側を4人の息子達に任せるという構想をもっていたようで、金の遠征から戻ると4人の息子達と共に西へと兵を進めていった。 オゴタイはイスラム国家ホラズム・シャー国を攻
よほどの三国志マニアでも、諸葛亮孔明亡き後から晋が中国を統一するまでのストーリーを知っていることは少ないであろう。 物凄く簡単に言えば、孔明の北伐を阻止した司馬懿が曹操の子孫達からクーデターによって魏の覇権を奪い、その息子達である司馬昭と司馬師にその地位は受け継がれ、やがて司馬懿の孫の司馬炎が呉を滅ぼし三国は統一される。 数多の英雄が活躍した結果が司馬懿一族による簒奪と統一になる訳だから、人気がないのももっともだ。 しかも司馬炎たるやかなりの暗君で、統一された晋王朝は王族である司馬氏一族がお互いに相争うことで衰退していき、五胡と言われる異民族の侵入によって滅びてしまう。 「華やかな暗黒時代」と評される五胡十六国時代および魏晋南北朝時代であるが、その始まりを知る者は少ない。 今回は五胡十六国時代の端緒を開いた劉淵について見て行こう。 弱体化し、分裂し、奴隷となっていた匈奴 中国の歴史にとって
絶対的権力は腐敗するという言葉があるけれど、権力が大きくなればなるほどそれに応じて狂った時に歯止めが利かなくなるのが世の常なようで、権力が一極に集中している国家ではしばしばとんでもない君主が出てくるのは過去も現在も同じこと。 中でも中国とローマの皇帝の狂い方はその権力の分尋常じゃなく、イカれた皇帝のオンパレードだったりする。 今回はその中でも特にイカレ具合の大きい魏晋南北朝に誕生した「宇宙大将軍」こと侯景について見て行こう。 混乱の魏晋南北朝 魏晋南北朝時代というのは中国の歴史の中でも特にイカれた君主の多い時代として世界史マニアの間では名高い。 そのようになってしまった発端は三国志にあると言っても良い。 孔明の死んだあとの三国志の話を知っている人は少ないと思うが、ものすごく簡単にs説明すると司馬懿が魏に対して起こしたクーデターが成功し孫の司馬炎が3国を統一して統一王朝晋を建国した。 中国に
日本の世界史教科書の中で、ローマ最大の戦いともいえるファルサロスの戦いが載っているものはないが、同時にニケーア公会議について載っていない教科書もない。 日本の教科書編纂者にとって、ローマそのものの命運よりもキリスト教の教義を確認した会議の方が重要だったということであろう。 世界の支配者は現在「WASP」だと言われる。 ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの頭文字をとったものだ。 これらはイギリスやアメリカの支配者層であり、第二次大戦に敗れた日本は当然のようにその影響下にある。 「世界史」というのは、ある意味キリスト教の歴史でもある。 先進国と言われる国々の中で、キリスト教国家でない国はない。もし日本を先進国であるとするならば話は別だが、もはや滅びゆく以外にない日本を先進国とするのは無理があるであろう。 話がそれたが、現在の先進国の指導者でキリスト教の影響下にない者などいない。 そし
人材の質は常にその国家の命運を分ける。 ローマ帝国があれほどまでに強大になったのも共和政、帝政と優秀な人材が出てきたからであるし、また社会構造的にどのような民族や価値観、宗教観をもったものでも活躍できるシステムが整っていたからであろう。 ホルテンシウス法やリキニウス・セクスティウス法の施行により平民でも出世できるようになっていたし、事実初代ローマ皇帝アウグストゥスは貴族の出身ではない。 時は移ろい6世紀、東だけとなったローマ帝国は再び地中海の覇者となる。 それを実現したのは歴史の教科書ではユスティニアヌス帝ということになっているが、実際には今回の主人公であるベリサリウスの功績と言ってよいであろう。 スキピオ・アフリカヌスの再来 「ローマ衰亡史」を書いた18世紀後半のイギリス人史家エドワード・ギボンは、ベリサリウスを大スキピオの再来と評価した。 www.myworldhistoryblog.
テオドシウス帝はあらゆる世界史の教科書に必ず出てくる皇帝である。 それはローマ帝国内でキリスト教を「国教化」した人物であり後継者に東西分割したローマをそれぞれ継がせた人物であるからである。 そんなテオドシウス帝は一体どんな人物であったのか? くわしく見てみることにしよう。 神の下僕に過ぎない テオドシウス帝の人生を一言で表すとしたら「神の下僕」の一言であろう。 実際に彼の人生はミラノ司教であったアンブロシウスの操り人形であったに過ぎない。 どうしてそうなってしまったのか? テオドシウス帝はローマ帝国の将軍テオドシウスの子供として生まれた。 この人物はヴァレリンティウス1世の片腕ともいうべき活躍をした人物であったが、ゲルマン民族が大移動を開始した375年に反乱を企てた罪で処刑されていた。 実際に反乱を企てていたかはわからないが、テオドシウスはそのままスペインでの生活を余儀なくされた。 しかし
宮崎県と言えば地鶏! ということで地鶏が美味しいと評判のお店「ぐんけい 隠蔵」に行ってきた!! www.instagram.com ぐんけい 隠蔵(かくしぐら)概要 ぐんけい 隠蔵は宮崎駅から徒歩20分ぐらいのところにある。 www.google.com 駅からちょっと遠いので観光で行くのはちと辛い面もあるが、バス停などは近いし結論から言っていく価値はある。 このお店はうましであった。 立地は宮崎の中でもアレな場所にあるので女性は少し行きにくいかも知れないが・・・ 営業時間は曜日に関係なく17:00からで24:00までやっている。 日曜日でもやっているので安心である。 tabelog.com ぐんけい 隠蔵行ってきた! 込み入ったところにあるがかなりわかりやすい外観である。 扉にも中々趣がある・・・ような気がする! コースもあるようだが今回はアラカルトで頼んだ。 写真は豆腐のサラダ。 これ
先日六本木で行われた「トルコ至宝展」に行ってきた。 オスマン帝国の至宝が展示されていて、その繁栄ぶりがよくわかるよく催し物だった。 煌びやかな王冠には当然として水筒にまでダイヤだのエメラルドだのの宝石類がちりばめられていて、全盛期宮殿には料理人だけで1200人もいたという。 至宝展ではドイツやフランス、イギリスに日本などからも送られた贈り物が展示されていて、まさに世界中の富が溢れていた様が見られ、残念ながら写真撮影が禁止だったため写真はないのだが、金が余って余ってしかたなかったんだろうなぁという感想さえ持った。 後代にはウィーンを包囲し、料理はイタリア料理やフランス料理の基礎となり、モーツァルトやベートーベンに「トルコ行進曲」を作らせるにいたったオスマン帝国だが、意外なほどその建国については知られていない。 そこで今回はオスマン帝国初代皇帝オスマン1世とオスマンの建国史を見てみようと思う。
16世紀は世界的に動乱の年であった。 スペインやポルトガルはアメリカ大陸への進出をはじめ、ドイツやイギリスでは宗教改革が起こり、極東の日本では100年に渡る戦国時代の真っただ中。 そのような世界的な戦乱の時代を迎えた16世紀の主役は誰であったか? 1人だけ上げるとしたらオスマン帝国第10大スルタンであるスレイマン大帝の名前があがるであろう。 スペインはその強大な武力でアメリカ大陸の支配を進め、7つの海を制覇しようとしていたが、ついぞスレイマン大帝率いるオスマン帝国には歯が立たなかった。 今回は16世紀世界の覇者であり、最強のスルタンであるスレイマン大帝について見て行こう。 サーヒブ・キラーン スレイマン大帝は1520年、25歳の若さでオスマン帝国第10代目スルタンに就任した。 父は冷酷王と言われたセリム一世。 www.myworldhistoryblog.com オスマン帝国が最もその領土
第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはわずか2年間しか大統領職になかった。これは歴代でも3番目に短い記録であるのだが、それでも最も人々の印象に残っている大統領であり、歴代でも確実に上位に入る大統領である。 大統領になる前のJFK ケネディ家はアメリカの中でも比較的新しい家系で、19世紀にアイルランドで起こったじゃがいも飢饉の際にアメリカに移住してきた一族である。 アメリカの支配者層はピルグリム・ファーザーズの時代からWASPである。すなわち白人でありアングロサクソン族でありプロテスタントでなければアメリカの支配者にはなれない。 もう少し言えば基本的にはイギリス、ドイツ系などが中心で、たまにオランダ系などの例外が出てくるぐらいで、アイルランド系はアメリカの支配者層とは異なり、その面でもケネディはかなり異質な存在であると言える。 アイルランドはイギリスのあるグレートブリテン島の隣に
アメリカは共和党政権になると戦争を開始する。大体12年周期でアメリカは戦争していると言い、それぐらいになると新たな軍備が必要となるからだ。 二次大戦後共和党政権は軍産複合体との癒着を繰り返してきた。 ジョージ・ウォーカー・ブッシュはそのような共和党の大統領の代表であろう。 大統領になるまでのジョージ・ウォーカー・ブッシュ ジョージは1946年コネチカット州でジョージ・H・W・ブッシュの長男として生まれた。 www.myworldhistoryblog.com まさに政治一家と言え、祖父も政治家、父も政治家、そして息子も政治家、弟のジェブ・ブッシュもフロリダ知事となっている。 大学も父と同じイェール大学で、1968年に歴史学の学士号を取得し、後にハーバードでMBAを取得、後にテキサスの石油工業会社に就職。共和党の大統領は産業資本家の後押しを受ける人物が多かったが、ブッシュ親子のように自らが産
ジャニー喜多川さんがお亡くなりになって2日が過ぎた。 俺は特にジャニーズファンという訳ではないしもちろん会ったことなどはないが、なんだか寂しい気持ちである。 一つの時代が終わった。 率直にそんな感想がある。 それと同時にジャニー喜多川さんの死やその存在にはいろいろなことを考えさせられたので、折角ブログも始めたし記事にしたいと思う。 まずは故人を偲び、功績を称えたいと思う 日本のマスコミを狂わせてしまった人物でもある 隠蔽され続けてきたジャニーズのスキャンダル SMAP解散に見られるマスコミとの力関係 姉と姪の暴走をコントロールできなくなってしまった マスコミが報道しないジャニー喜多川氏のスキャンダル あまりにも腐ったマスコミ ジャーナリズムの精神の欠片もない まずは故人を偲び、功績を称えたいと思う ジャニー氏が日本の芸能界、ショービジネスに与えた影響は計り知れない。古くは郷ひろみ、たのきん
「俺は張飛だぁ!文句のあるやつはかかってこい!文句のない奴もかかってこい!」 三国志に出てくる人物の中で、本場中国では張飛が一番人気があるらしい。 三国志を書いた陳寿が元々蜀の出身だったこともあり、三国志の話は古来より漢王朝の末裔である劉備玄徳が善玉で、漢を滅亡させた魏およびその後継である晋は悪玉であったと言っても良い。 元代や明代になるとその傾向は加速し、羅漢中によって三国志演義が書かれた時には張飛は完全に主役の1人となっていた。 今回はそんな張飛の話。 ちなみに張飛の前につく「燕人」というのは、燕の国の人と言う意味で、張飛の出身地の琢県一体を中国では伝統的に燕と言ったことに由来するのである。 劉備、関羽の弟として流浪の旅に出る 豹の頭に虎の髭、身長は優に2mを超え、声はまるで雷のようによく響く。 劉備が立て札の前で泣いている時、声をかけたのが張飛だった。 劉備は天下が大変な時に自分は一
トゥルイの名は、その重要性を考えると恐ろしいほどに日本での知名度が低い。 日本の歴史教科書において名前が載っているのはチンギス・ハーンとオゴデイ・ハーンとフビライ・ハーン、あるいはフレグぐらいのものだろう。 トゥルイと聞いてピンと来る人がどれぐらいいるだろうか? フビライ・ハーンとフレグの父親と聞けばピンと来るかも知れない。 フビライ・ハーンは漢民族の南宋を滅ぼし日本侵略である元寇を行った人物で、我々にもなじみが深い。 今回はチンギス・ハーンの息子達の中でも特に才能に恵まれていたトゥルイについて見て行こう! チンギス・ハーンの末子 チンギス・ハーンには5人の妃と数百人の愛人がいたが、後継者となりうるのは正妻ボルテの息子達だけだった。 長男ジョチ、次男チャガタイ、三男オゴタイ、そして末子のトゥルイ。 トゥルイは1192年に生まれたとみられ、父テムジンがチンギス・カンになった際には14歳であっ
人類が誕生してから、一体どれほどの時間が経っただろうか? 数え切れぬほどの人が生まれ、そして死んでいった中で、全ての人類に影響を与えた人間というのは少ない。 人類に影響を与えた度合い、ということになれば、チンギス・ハーンの影響は計り知れないであろう。 世界史上最大の帝国を創り上げた最強のカリスマ、あるいは無慈悲な侵略王、最盛期には人類の半分が住んでいたと言われるチンギス・ハーンの生涯について見て行こう。 草原の蒼き狼の末裔 あらゆる国の創成期は神話にて始まる。 日本ではイザナギとイザナミ、そしてアマテラスノオオミカミから始まり、旧約聖書ではアダムとイブから始まったように、モンゴルにも伝説がある。 それは蒼き狼(ボルテ・チノ)と白き雌鹿(コアイ・マラル)からモンゴル民族が誕生したという神話、あるいは伝説で、その子孫がチンギス・ハーンの所属するボルジギン氏であるという。 モンゴル高原は常に力の
世界史上で最も偉大な人物は誰か?ということを考えた時、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアことキング牧師の名は外せないであろう。 マルティン・ルターの名前を付けられた キング牧師は、1929年ジョージア州で生まれた。 ジョージア州は別名ディープサウスとも言われ、アメリカ合衆国の中でも特に黒人差別の激しい地域であった。 19世紀後半、リンカーン率いるアメリカ合衆国は奴隷解放宣言を出し、南部のアメリカ連合国を破りアメリカを統一した。しかし旧連合国領内においては黒人差別は根強く、KKK(カー・クラックス・クラン)のような人種差別団体が支持を集めるような有様であったという。 キング牧師の父マイケルもまた牧師であった。彼は息子に同じ名前を付け、後に息子と共にマルティン・ルターと改名した。16世紀半ばに宗教改革を起こした人物の名である。マルティン・ルターを英語読みするとマーティン・ルーサーになる。ル
世界史の中でも苦手な人が多い分野である東南アジア史 今回はインドネシアの歴史について簡単に振り返ってみましょう。 現在のインドネシアと地理的特徴 インドネシアは現在人口2億3000万人を抱える巨大国家(世界第4位)で、首都はジャワ島にあるジャカルタとなっています。 インドネシアは大小12000を超える島からなる島嶼国家となっており、特にスマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島、スウェラシ島、ニューギニア島の5つの位置は覚えておきましょう。 気候は熱帯性に区分され、気温は1年を通してほぼ同じですが、雨の量は季節によって大きく変わり、雨季と乾季に分かれます。 5月から10月ぐらいまでが乾季、11月から4月ぐらいまでが雨季となり、赤道に近いということもあってスコールと言われる集中豪雨が頻繁に起こります。 宗教的はムスリム(イスラム教徒)が多く世界最大のイスラム国家となっています。 *他のイスラム系国
一体、今までどれくらいの映画を見てきたのだろう。 数えたことはないし、数えられもしないが、沢山の映画を見てきたと思う。 かつて、このブログで今まで見て来た中でのトップ100を記事にした。 www.myworldhistoryblog.com ある意味この記事によってこのブログが世に出たと言っても良いぐらいの記事だ。当時のはてぶ最高記録を叩きだし、実に多くの人に読んでもらった。 ランキングの1位は記事をご覧いただければお判りになる通りスターウォーズである。 何回考えてもスターウォーズである。多分生まれ変わってもそれは変わらないであろう。 ランキングベスト100では1シリーズ1つのランクインだったが、その縛りがなければいくつもランクインしていたことであろう。 という訳で今回は人類が生み出した最高の映画、スターウォーズシリーズの歴代ランキングを記事にしたいと思う。 第11位:最後のジェダイ EP
スターウォーズ関連の映画が公開されるたびに朝から映画を見に行くのがいつの間にか習慣になっている。 今回は本流とも言えるエピソード9。 今作はなんというか、感想が述べにくい作品だったように思う。 駄作ではなかったが傑作ではない。 エピソード8で壊れた色々をなんとか立て直したのがエピソード9という感想が一番強い。 ついに判明したレイの正体 エピソードⅧで最もガッカリしたポイントはレイの両親は何でもない、もう迎えに来ないのを知っているだろう?みたいなところだった。 いきなりあんたとんでもないフォースを使えるし、ルークの子供とかレイアの子供とか色々妄想していたし、それこそ皇帝の遺児みたいな妄想もしていたのだが、特にそういうこともないというのがエピソード8だった訳だが、9では一転してレイが皇帝パルパティーンの孫であることが判明する。 正直、判明するタイミングが悪すぎる気がする。8であったら良いのかも
結論から言うと2019年は私の人生でもワースト3には入る年になってしまった。この記事を書いている現在、かなり精神的に参ってしまっていて、まるで食欲がなく、この3日間で良く見積もって3食ぐらいしか食べておらず、その内2回は吐き出してしまうというぐらいには弱っている。 この記事を書き始めたのは日曜の午後14時ぐらいからだが、当然のように今日は何も食べていない。そんな訳だからこの記事の内容もかなりのものになるだろうことが予想される。そもそもこれも何度目かの書き直しだったりもするし、こんなものを書くべきでもないし公開すべきでもない、そう思って書いている途中で消したりもした。 この記事は書かなくてもいいし、書かない方がいい、そんな記事になるかも知れない。 でも、この記事を書かなければこのブログは完全に死ぬだろう。 ブログを継続するのは実に難しい。このブログは去年の12月末に開設されて以来、まだ1年経
ここ最近悪女と暴君の記事を書いてきたので、今回は人を褒め称える記事を書きたいと思う。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com 今回のテーマは「世界の歴史で活躍した偉大な女性ランキングベスト50」。文字通り世界史で活躍した女性たちをランキング形式でお伝えしていきたいなと思いますのでおつきあい願えれば幸いです。 てな訳で前置きが長くなってしまうのもアレなので早速ランキングに行ってみよう! 第50位:最も成功した女性起業家「ココ・シャネル」 20世紀を代表するファッションデザイナー。貧しい生まれながらもその美貌と才覚で世界でもその名を知らない人が稀と言えるほど強力なブランドを築き上げた。 ココ・シャネルが世界の歴史上最も成功し、最も著名で最も偉大な起業家であることは誰しも認めるところであろう。 しかしココ・シャネルの母国での評判
今回の記事は前回の記事に寄せられた「女性ばっかり悪く書かれるのはおかしい!!」というコメントから始まった。 www.myworldhistoryblog.com 他にも「暴君のランキングはないの?」みたいなコメントもいただいたし、確かに女性のランキングだけだと男女平等に反するのかも知れない。ということで今回の記事を書き始めた訳だが、とにもかくにもエライことになったなという感想である。 前回の記事もある意味狂気に彩られていたが、今回の記事はもはや狂気そのものと言って良く、前回みたいにこの記事の感じを簡単に書くと以下のようになるだろうか。 前半:暴君というより「暴君的な人物」 中盤:完全なる暴君(悪漢)、段々と感覚がおかしくなってくる 後半:酷すぎて同じ人類として生まれたことを恥じるレベル 特に後半は人類の狂気が集まっている。タイトルにもあるように超閲覧注意である。 全部書き終えてからこの前文
きれいなバラには棘があるというけれども、その美しい容姿の裏に猛毒を抱え込んだ女性がいる。 彼女らは悪女と言われしばしば歴史の表舞台に現れては大暴れをするわけだが、恐ろしさの中にもどこか魅力を感じる人物ばかり。そこで今回はそんな世界史に名が残るような悪女たちの伝説をまとめてみたいと思う。 ちなみにこの前文は記事が書き終わってから書いている訳だが、書いた感想としてはこんな感じになっているかなと思う。 50位~35位:悪女と言ってもねぇ、誰でもそういう部分はあるからねぇ、そうでもないような気がするねぇ 34位~25位:うん、これは悪女だね 24位~8位:ヤバイ、背筋が凍るレベルだ… 7位~1位:規模が違い過ぎて現実感がない。段々感覚がマヒしてくる 特に後半はどこか遠くで起こったのことのように感じてくるし、自分の中の常識も段々と亡くなってくるのだけれど、恐ろしいことにこの記事に記載されていることは
三国志、好きか? 俺は好きだぜ! もはや好きを通り越して人生の一部になっていると言っても過言ではないかも知れない。 三国志、それは人類が生み出した最高の物語。 小学校低学年の時初めて買ってもらったスーパーファミコン。一緒に買ってもらったのはスーパーマリオと三国志だった。 当時はよく父親とテレビで三国志で対戦していて母親に文句を言われたっけ。 その後は「アニメ版三国志」やその原作の漫画「横山光輝三国志」その原作の小説「吉川英治三国志」を経てもう絶版になってしまったけれども光栄から出ていた「爆笑三国志シリーズ」を出るたびに勝っていた。 大人になってからも漫画「蒼天航路」やアーケードゲーム「三国志大戦」などにはまってしまい、ついにはこんなブログまで作ってしまったぐらいだ。 そう、「俺の世界史ブログ」は元々は三国志の特化ブログにしようとしていたぐらいなのだよ。。 という訳で今月のベスト100シリー
アメリカという国は日本と違って「連邦制度」を取っており、それぞれの州は「国」のようなもので、それを連邦政府およびアメリカ大統領がまとめる形になっている。 アメリカ大統領の権力は絶大で、議会に対してはヴェトーと呼ばれる拒否権を持っているし、核兵器さえ使用することが可能である。 アメリカの政治はカリスマともいえるアメリカ大統領が引っ張る形となる訳なのだが、その出身州はかなり偏っている。 50以上も州があり、今までアメリカ大統領になったのは44人なので全部の州から大統領が出るということはあり得ないのだが、44人中半分に当たる22人はわずか4つの州の出身者に限られている。 という訳で今回はアメリカの歴代大統領の出身地をまとめてみた。 ちなみにアメリカはその成立過程から大きく北部と南部に分けられており、南部は以下のようにさらに南、西、東に分けられる。 The South Atlantic State
久しぶりにブログ運用関連の記事を書こうと思う。 250日連続でブログを続けた結果 疲れた! 継続は力なりというが、これはかなりしんどかった。1000日連続でブログを投稿している人とかいるけれどやっぱすごいわ。 多分自分も続けようと思えば続けられると思うんだけれど、連続ブログ更新はキリがいいのでここいらで一端方向転換しようかと思う。 モチベーションは無限ではない ブログを初めて3か月ぐらいは、まるで無限にモチベーションが湧いてくるような気がするが、そんなことはない。必ずどこかで急速にモチベーションが落ちる。 これは当たり前なのだが、おおよそ人間が何か計画を立てる時にはモチベーションの低下をそこに内包してはいない。割と多くの物事がモチベーションの低下によって失敗に終わっているけれども僕たちはその原因に気づいていないんだ。 ブログはモチベーションが続く限りチャンスがある媒体だ。でもそのモチベーシ
ドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任はアメリカ史上最大の悲劇であるとともに最大の喜劇である。 大統領になるまでのドナルド・トランプ ドナルド・トランプは1946年にニューヨーク州に生まれた。 父はヴィルヘルム一世およびビスマルク治下のドイツ帝国からアメリカ合衆国に移住したフレデリク・トランプの息子フレッド・トランプで、不動産王としてニューヨーク全体で27000を超える建物を建設した人物でもある。 ドナルドは父の後を継ぐべく不動産の専門学科のあったペンシルベニア大学を1968年に卒業、父の経営する不動産会社に就職した。 1971年には父から経営権を譲られ、ホテルやカジノ、ゴルフコースなどを次々に買収、そして何の政治的な経験もないまま2000年には大統領選に臨もうとする。その後2016年に大統領選に出馬し、まさかの当選を果たす。 第45代アメリカ合衆国大統領 さすがにドナルド・トランプ
史上初の黒人大統領である。 アメリカ建国以来、黒人は常に差別に晒され続けてきた。南北戦争までは奴隷として使役されていたし、南北戦争後も迫害され続けた。 アメリカ建国から300年、アメリカの歴史は大きく変わった。 大統領になるまでのバラク・フセイン・オバマ バラク・フセイン・オバマは1961年ハワイで生まれた。父はケニアで生まれた黒人、母はカンザス州で生まれた白人である。 父はイスラム教徒であったがオバマ自体はプロテスタント系キリスト教徒であり、1964年には両親が離婚、以後オバマは母と共に暮らすことになる。 やがて母は人類学者となりインドネシア人と再婚、オバマは小学校時代をインドネシアで過ごす。 その後1971年には母方の祖父母と暮らすためにハワイに帰国、高校卒業後はカルフォルニア州にあるオクシデンタル大学に入学し、2年後にはコロンビア大学に編入、政治学などを学ぶ。 卒業後はニューヨークに
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