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WWDC24
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前ページのブログで、東大寺山古墳に葬られたのは武振熊命とした。ところうが厄介なことに『勘注系図』の18世孫武振熊宿禰の注記の中で、この人物は丹波熊野郡川上郷安田(たんばくまのこうりやすだ)に葬られたとする。武振熊は東大寺山に葬られたとする私の説と矛盾する。 後にこの謎が解けることになる。 先ず『勘注系図』の注記はは武振熊宿禰について次のように記す。 『息長足姫(おきながたらしひめ・神功皇后)、新羅(しらぎ)国征伐の時、丹波、但馬、若狭の海人三百人を率い水主(みずぬし)と為(な)って以って奉仕(つかえたてまつ)るなり。凱施(凱旋・がいせん)の后(のち)勳功に依り、若狭木津高向宮(たかむくのみや)を定め、海部直(あまべあたい)の姓を賜う、而(しこう)して楯鉾(たてほこ)等を賜う。品田天皇(ほむたてんのう・応神)の御宇(みよ)国造(くにのみやつこ)として仕え奉る故に海部直亦(また)云う丹波直、亦
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