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ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (24)

  • フェミニズムについて - メロンダウト

    草津の件がまた話題になっていたのでひさしぶりにフェミニズムについてです。 現代フェミニズムとはいったいなんだったんだろうか・・・ 「草津町に来て謝るべきでは」虚偽認定された性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠町長の怒り㊤ - 産経ニュース 「世の中はひどい…言われっぱなしだ」性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠草津町長の怒り㊦ - 産経ニュース 草津オープンレターの件からずいぶん経つけれどいまだに話題になっている。 私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。 「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選

    フェミニズムについて - メロンダウト
    soitan
    soitan 2024/05/04
  • 機能は機能でしかない~恋愛と客観の狭間を考える~ - メロンダウト

    たにしさんが久しぶりにブログ書かれていた。相変わらず端的な文章を書かれる。もっと書いてほしい。あとブログ婚活がどうなったのか密かに気になっています。 ta-nishi.hatenablog.com 記事では情としての恋愛、機能としての恋愛について書かれていた。僕も昔、似たような記事を書いたことを思い出した。 plagmaticjam.hatenablog.com 「情から疎外され物象化されたうえに機能としての視座を向けられる婚活はつらい」とたにしさんは書かれていて、現状認識としてはその通りだと思うけれど、同時に思うのが機能と情はそれほど明確に分けられるものなのかということだ。今の婚活市場で求められるのはステータスやアフォーダンスであることは疑いようがないけれど、情としての恋愛だって「もともとは機能だった」のではないだろうか。(たにしさんには釈迦に説法な指摘だとは思うけれど) 情としての恋愛

    機能は機能でしかない~恋愛と客観の狭間を考える~ - メロンダウト
    soitan
    soitan 2023/01/29
    “「金は金である」「人の意見は人の意見である」という具合に峻別し、取捨選択する。そして主体を保つ。その「主体的我慢」の時間の末に「情」が宿るようになるのではないだろうか、なんてことを思ったのだった。”
  • ぼっち・ざ・ろっくのリアリティーについて - メロンダウト

    ぼっち・ざ・ろっくを全話視聴した。コミュ障陰キャ女子高生がバンドを組んで文化祭でライブするまでの物語だ。 最初に持った感想は「ロッキンオン読者から批判されそう」だった。ぼっちちゃんの承認に飢えてる感じはカートコバーンが忌避した資主義的消費構造そのものだったので、オールドロックファンからはなんか怒られそうだなと思ってしまった。今やロックも資主義に包摂されているのでそういう感覚を持つ人もいないのだろうけど。 あとはぼっちちゃんのあの暖かい家庭をつくった両親が娘に「ひとり」という名前を付けたのはけっこうなホラーなのではと思ってしまった。冷静に考えたらものすごく怖い。はっきり両親もロックに傾倒してると言ってくれれば娘に「ひとり」という名前をつけるのも腑に落ちなくもないのだが作中では父親がギターを持っていたという描写しかされておらず、母親にいたっては理想的なママでしかなかった。それがある意味で怖

    ぼっち・ざ・ろっくのリアリティーについて - メロンダウト
  • 物語をあてがわれるということ - メロンダウト

    ゲームオブスローンズ最終章でティリオン・ラニスターが「この世界で最も強いものは物語だ」と言っていた。最近、この言葉をとみに思い出す。 安倍元総理銃撃事件から一か月以上経ち、山上容疑者の生い立ちや境遇に同情する声が聞かれるようになってきている。いわく「山上は烈士である」「山上は現代のジョーカーである」など彼の物語に同情する声が少なくない。最近は山上ガールズなども出てきているみたいである。統一教会との関係も引き合いにしながら自力救済に至るしかなかった彼の境遇に同情が寄せられるのは自然といえば自然ではあるのかもしれない。 しかし思い返すに、僕たちはいつだって物語に振り回されてきた。昨今のフェミニズムに代表されるような女性の物語、SDGsのような地球の物語、弱者男性論などの男性の物語、戦争、差別など物語を導線に人が集まり群れをなすことでなにか大きなものが形成されていった。他人と物語を共有することで

    物語をあてがわれるということ - メロンダウト
    soitan
    soitan 2022/08/13
    “「物語を持っていない人が物語を持っている人に自己を委託する」というのが情報化社会において物語の奔流を生み出していると考えているからだ。その弊害はもはや無視できるものではない。”
  • 政治的問題に矮小化するということ~無敵の人について~ - メロンダウト

    ひろゆき氏がめずらしく神妙な面持ちで話をしていた。 www.youtube.com 先日、安倍元総理大臣が銃撃に遭い亡くなられたことで様々な意見が言われている。個人的にも様々なメディアを見ていたのだけどひろゆき氏の意見には深く考えさせられるものがある。 今回の事件は犯人が動機を供述しているため、いわゆる無敵の人による無差別殺傷事件とは異なるものだと言われているが、無敵の人と重なる部分も大きい。 はじめに事件の経緯を確認すると、犯人は派遣社員として勤務していたが仕事を辞め、マンションで一人銃火器を製造し犯行に及んだのが今わかっている経緯である。マンションの最上階に住んでいたという暮らし向きからするといわゆる「弱者」とは言い難いかもしれないが、しかし孤独であったことは間違いないだろう。 家庭を壊した宗教団体を恨み、その団体と関係していた安部元総理を狙うという事件の経緯を見ていると、その恨みをど

    政治的問題に矮小化するということ~無敵の人について~ - メロンダウト
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    soitan 2022/07/10
  • 「そんなこと言ってもしょうがない」への里帰り - メロンダウト

    最近、ひょんなことから小学生のサッカークラブでサブコーチをやるようになりまして酷暑の中を走り回っているのですが、子供と遊ぶのは良いもので、肉体的にも精神的にもデトックスになっているのだなと感じています。正直もう若くないのでしんどいのですが小学生に追いつけるように体力を取り戻していきたい日々です。 同時期にはてなブックマークも非表示になり、意図せずデジタルデトックスにもなっているのですが*1いろいろデトックスした結果、格的に「何が問題なのか」がよくわからなくなってきました。感覚的にはサウナで整いすぎて頭が回らなくなるのに似ているのですが・・・整うことでタスクの処理能力は上がっても思考を回転させることからは離れていってしまう感覚がある。物事や社会を考え、議論に参加しようとするにはストレスや負荷が必要なのでしょう。負荷をかけ、アンテナの感度を上げ、細部にまで思考を張り巡らせることで問題を問題と

    「そんなこと言ってもしょうがない」への里帰り - メロンダウト
  • ホロライブと非モテと正しさと愛するということ - メロンダウト

    おひさしぶりです。というか最近はいつもひさしぶりな気がしますが(笑) 時間がないというわけではないのですけどね。戦争が始まってからここに書いたことはなんだったのかと、悶々としていたりします。 あとVtuberをすこし見ていたのでそのへんの感想でもと思い、書いていきます。 今インターネットで最も大きな影響力を持っているのはYoutuberだと言われてるけどこれまであまり追ってはこなかったのですよね。何年か前に主要なYoutuberを軒並み見たことはあるのだけど好きな人は見当たらなかった。みんなキャラが強すぎるせいかあたりに近い感覚を覚えてしまったのだ。面白いのは面白いんですけどね。みんな動画を見せようとサムネイルを凝ったり字幕をつけたり過激なネタをやったりしていて、そんなYoutuberばかり見てるとサジェストされたホーム画面を見てるだけでお腹いっぱいになってしまった。何十万人も視聴者を抱

  • 事実確認的発話と行為遂行的発話の相克 - メロンダウト

    言及はしない(この辺境ブログを読んでいる方であればおよそ想像がつく話題なので)けれども、言論の価値は局所的で当然だと思うんですよね。 言論は啓蒙的であるべきだという立場は言論の価値を高く見すぎている気がしてならない。 ごく一般的に人には生活があり、生活による蓋然性があり、その蓋然性の中で想像できる範疇でしか物事を捉えられないように思う。仮に真理や目指すべき理想像、あるいは幸福の形があったとしても、それが夢や幻想に見えるぐらい「彼の実存」に蓋がかぶさっていれば啓蒙はそれこそハラスメント程度の意味しか持たない。 仮に言論がなにがしかの質をとらえたとしてもその質をインストールできるだけの容量(実存)を持っていないとキャパオーバーであるどころか、動作が重くなるだけなので有害だと言える。 その意味で啓蒙が機能するのはそれを受け取ることができる人に限られている。よく「助けることができるのは助けられ

    事実確認的発話と行為遂行的発話の相克 - メロンダウト
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    soitan 2022/06/18
  • 白饅頭noteを一年間読んで - メロンダウト

    一年ぶりに言及されていたので私も一年ぶり?に言及してみようかと思います。 note.com ※リンク先記事は有料です おそらくですが白饅頭氏は自分と同世代なんですよね。時代感覚として通底している部分がかなりあるように思う。どの記事だか忘れてしまったけど白饅頭氏は就活から逃げ出したことがあると書かれていた。就活そのものからなのか面接からなのかはわからないけど自分にも似た経験がある。弱く、センシティブで、何をして良いかわからない「狭間の世代」なんて呼ばれて、最も自由を「叫ばれた」世代だった。「何者かになる」なんてことが大真面目に言われ、個人でありながら共同的な存在感覚を持ちつつ、人材でもあり人間でもあり、孤独がかっこいいと言いながら孤独の意味など知らず、なにもかもが「生のまま」社会に放り出された世代。それが僕達だった。 自由に生きるべきと言われる一方大企業に就職することが勝ちであるという新旧の

    白饅頭noteを一年間読んで - メロンダウト
  • 日本には政治と経営があっても経済がない - メロンダウト

    もう「経済」が消えてしまったのかもしれない。 自分は経済学部出身ながら長年の労働によりそのほとんどを忘れてしまったわけであるが記憶の片隅から引っ張り出して書いていこうと思う。日には政治と経営があっても経済がない。それが多くの問題に通底しているように思うからだ。 ※かなりの長文(8000文字以上)のため、めずらしく目次をつけました。 はじめに ナョナリズムが消えグローバリズムが生活になった サブプライムローンを捉え返す 総量規制という緊縮 経済は美しさで回らない 市場を犠牲にするという方法論 経済学が閉じている 波頭さんが介護士の給料を月額で一律10万円引き上げるように提言されていた。正しい提言だと思う一方、これは政治と経営でしか経済を語れなくなった現状を示しているのではないだろうか。 www.minnanokaigo.com はじめに よく経済効率が悪しきものとして取り沙汰されるけれどこ

    日本には政治と経営があっても経済がない - メロンダウト
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    soitan 2022/02/19
  • 自由の代価、漂白される社会、マッチングアプリ~保守すべき自由とはなんだったのか~ - メロンダウト

    排除アートに類するものはもう何年も前から問題になっていた。開沼博さんが『漂白される社会』を書いたのは2013年。もう何年も前に読んだっきりなので細部までは覚えていないが、著書の中では売春島、ネットカフェ難民、貧困ビジネスなどについて書かれていた。この社会が「漂白」され周縁に押しやられた人々が持つリアリティーに光をあてただった。排除アートも同様の構造を持っている。喫煙なども近年になり社会から漂白されたものの代表と言えるであろう。開沼さんだけでなく最近だと朝井リョウさんの『正欲』も同様の問題意識を持つ作品だと言える。 オウム真理教の地下鉄サリン事件を原因として街中からゴミ箱が撤去され、公園で飲酒するような中年の日常も風景としてはなくなり、道路で遊ぶ子供もいなくなり、街はとても綺麗になった。一方で「アーキテクチャーとしての街」はどんどん不自由なものになってきた。一見すると清潔に見えても場所ごと

    自由の代価、漂白される社会、マッチングアプリ~保守すべき自由とはなんだったのか~ - メロンダウト
  • シラス「ニッポンの展望#8」を視聴したので西田亮介さんについての感想 - メロンダウト

    見た 宮台真司×西田亮介×東浩紀「2021年初夏の陣」【ニッポンの展望 #8】 @miyadai @Ryosuke_Nishida @hazuma #ゲンロン210523 ゲンロン完全中継チャンネル | シラス 個人的に西田さんが言いよどんでいるシーンが印象的だった。ああいう感覚はすごくよくわかる。見ていない人に向けて書いても意味不明だと思うので当該シーンの概要を書いておくと 宮台さんは「日社会は劣化している」と言う。タスクフォースの内でしか仕事ができない過度なコンプライアンス意識によって誰も責任を取らない社会になっていると。五輪のスポンサーとなっているマスメディアが開催について質問された時に解答できなかったことにも触れながら、政権や官僚及びそれを選ぶ国民が責任を回避して空気に従属することが日社会の劣等性であると。三島由紀夫的な空気がいまだに日社会を支配していると言う。東さんもそれに

    シラス「ニッポンの展望#8」を視聴したので西田亮介さんについての感想 - メロンダウト
  • 男性性と理性について - メロンダウト

    恋愛とか男性性みたいなものってなんなんだろうね。 「セックスを求める男性は女性に引かれる、まず男性は女性にセックスを求めるのをやめろ」というけれどそんなプラトニックな関係を築ける人は稀なわけで、恋愛する動機としてセックスがあることは間違いない。よく考えてみれば付き合うという関係性はセックスの同意以上のものではないわけで、人として関係するだけならわざわざそんな儀式めいたことを言う必要はない。直接的に言うと角がたつので回りくどく外堀を埋めてから告白するのが正しいとされているものの、結局のところ恋愛とセックスは切り離せない以上男性が女性にセックスを求めるのは卵が先かニワトリが先かみたいな話でしかないわけで。人間関係が先にきてもセックスが先にきてもとどのつまりセックスするのであればそれは事前の確認作業という意味以上のことではない。 その事前性が多くの人に言い寄られる女性の側にあるため女性が語る恋愛

    男性性と理性について - メロンダウト
  • 野党のジレンマ~コミュニケーションと議論の乖離~ - メロンダウト

    野党の支持率が軒並み1桁という報道を見た。 news.yahoo.co.jp 野党の存在感が薄れて久しいけれど、なぜここまで野党が支持されないかは議論されるべきではないかと思っていて、その理由を愚考したので書いていきます。 報道されているように野党の支持率が低いため、自民党がどのような振る舞いをしても問題にならない。選挙ではどうせ勝つという目算があるためだろう。それは事実としてそうであり、菅総理の支持率がいくら低迷しようともきたる選挙で自民党が勝つのは目に見えている。 自民党の一党支配の現政局において、野党がだらしないからだと批判するのは簡単であるが、はたしてそうなのだろうか。もちろん野党の立ち回りがうまくなかったということはある。主なものとしては前原誠司氏が旧民主党を分裂し、希望の党、小池百合子と合流しようとしたり様々な要素が絡んで今のような支持率の分布になっている。しかしながら民主党の

    野党のジレンマ~コミュニケーションと議論の乖離~ - メロンダウト
  • 無党派層叩きで儲けたい - メロンダウト

    かの事件は特異な個人の暴走として処理したほうが良いと思うけれど、事件とは無関係に男女の対立論が社会不安を引き起こしかねないレベルまできているように思う。トイアンナさんが以下記事で「嫌韓はその流行が終わり、女叩きがビジネスとして勃興してきている」と書いていた。 note.com 記事の総論としては賛同しかねる部分があるけれど、ジェンダー論がビジネスになっているのは事実としてそうなのだと思う。あるいは政治そのものがビジネスとなっている。 フェミニズム騎士団しかり、自らの糧を得るためにハリボテの思想を掲げ、それによって社会が右往左往するのはこの上なく不毛なわけであるが、しかしそういう不毛さが現実に社会を変えていっている。右左、男女に限ったことではない。少なくない人々がアイデンティティーポリティクスの餌となっている。ネトウヨ、リベラル、そして男と女。どの釣り針にいつくのかは、いってしまえば偶然

    無党派層叩きで儲けたい - メロンダウト
  • 戦争に負けた。それがすべてだったのではないか~加速主義、儀礼性、敗北主義~ - メロンダウト

    宮台真司さんが加速主義を提言している。加速度的に社会が駄目になれば人々は真の意味で連帯するようになるというものだ。社会が駄目になれば人が輝くと言う。簡単に同意できる話ではないけれど価値観の変遷という意味で言えば加速主義しかもうないのだろうな、という諦観が僕にもある。 リベラルのポジティブに見えて何も考えていない連帯、自民党の欺瞞的な政権維持戦略、個人主義によってバラバラになった我々、資主義を内面化した恋愛、格差社会による人々の断絶。これらをもう一度社会の地平に晒すことで「現実」を取り戻すと加速主義は言う。加速主義というスクラップ&ビルドは理論的には正しいのだろう。しかし、当然ながら加速主義には相応の痛みが伴うことになる。 社会が駄目になればその過程で傷つく人が必ず出てくることになる。直近でも中等症以下のコロナ患者は自宅療養にすると菅政権が発表している。駄目な人民は駄目な政府を選ぶようにな

    戦争に負けた。それがすべてだったのではないか~加速主義、儀礼性、敗北主義~ - メロンダウト
  • 「俺たちが無料で書く営みのなかには、もともと、かけがえのない何かが含まれていたのだと思う」ことができるのがすこし羨ましい - メロンダウト

    タイトルはシロクマさんの記事文中より引用させていただきました p-shirokuma.hatenadiary.com シロクマさんやphaさんがネット社会一番街の住人だとすれば私など末席も良いところではあるけれどブログ歴はそこそこ長いので「書くことがなくなった」にはすこし思うところがあります。このブログは一応5年ぐらい続いてはいるものの歴が長いわりに読者数も少ないし、ブロガーとしての実力がないのは痛いほど自覚しつつ、でもまあそういう評価とは離れた場所としてブログがあるのでそれもどうでもいいかなと思ったりします。そうしてのっぺりと続いてきたのがこのブログなのですが・・・ 過去記事で書いたことがあると思いますが、このブログの前にも別のブログを書いていました。その前はmixiなども書いていたのでトータルするともう10年近くネットに駄文を投稿し続けていることになるのですが、それにしてもブログとはな

    「俺たちが無料で書く営みのなかには、もともと、かけがえのない何かが含まれていたのだと思う」ことができるのがすこし羨ましい - メロンダウト
  • LGBTの政治的配置と弱者男性論の関係、自由の原罪、恋愛の外部性 - メロンダウト

    トイアンナさんの記事を読んだ。さすがにうまく整理されている。個人的に結論には同意できないけど概要としてはかなりわかりやすい。 gendai.ismedia.jp この記事を読んで、現在話題になっているLGBT理解増進法に関して思い出していた。かなり関係が深いニュースであるように思う。 lgbtrikai.net LGBT理解増進法に関しては自民党保守派の人々だけではなくLGBT当事者にも反対する人が少なくない。千葉雅也さんをはじめLGBTにたいして政治的な位置づけをおこなうこと自体に反対している人々がいる。ほっといてくれと。種の保存やら生産性やらいろいろ言われることがあるLGBTの方達だけれど、一部の当事者からすれば政治的な枠組みで性愛をとらえられること自体が嫌なのでしょう。LGBT当事者かつ哲学者である千葉雅也さんがそのように言っているのはことさら重く受け止めるべきではないだろうか。 性

    LGBTの政治的配置と弱者男性論の関係、自由の原罪、恋愛の外部性 - メロンダウト
  • ゾーニングに関する雑文 - メロンダウト

    駅へと歩いていたら、前からタバコを吸いながら歩いてくる女性がいた。アイコスだったかgloだったか。いまどきめずらしいなと思ったけど、その女性は僕に気づくとタバコを隠してすれちがっていってしまった。 深夜で誰もいないと思っていたのか。歩きながらタバコを吸っていた女性。僕に気づいた彼女は吸うのをやめてしまった。僕が彼女の自由を邪魔してしまったことにばつの悪さを感じ・・・僕も路上喫煙してみることにした。 深夜でほとんど人がいない駅前の繁華街。すこしわきに入れば完全に無人だ。歩いていき、コインパーキングに着く。空いたペットボトルを灰皿にし、タバコに火をつける。紫煙をたちのぼらせると、ひどく懐かしい感覚を覚えた。 ああ、昔はこうやって世界を接続していたのだ、と。 公的領域と私的領域は分けるべきだという議論がある。ゾーニングと言われるやつだ。エロなどがその筆頭に挙げられる。喫煙もいまはゾーニングすべ

    ゾーニングに関する雑文 - メロンダウト
  • いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト

    デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること

    いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト