Tweet 「森君、G1初優勝、おめでとう」 などと書いてヒット数をあげるような姑息な手段だけはとりますまい。 ということで、 ◎消えるか?「新宿二丁目」日時:3月13日(金) 18:00開場 19:00開演 まで、関連する?ことどもを、思いつくままに、綴っていくつもりです。悪文駄文ですが、ご容赦のほどを。よろしくお付き合い下さい。 ・・・ネット上では大人げない振る舞いをする人々をさして「厨房』と呼ぶが、対して現実の中学生を「リアル厨房」とよぶように、ネット上では本物の中学生の方を、スタンダードならざるものとして有徴化する。だから「リアルゲイ」という言葉を聞いたときは衝撃的だった。 (『ユリイカ 2007年6月臨時増刊号 腐女子マンガ大系』「ゲイに共感する女性たち」=石田仁) やおい/BL業界では現実のゲイは「リアル」とあえて註釈をつけなければならないほど、全く興味を持たれていないのである
子どものセックスを論じるときに、「子どもは性的主体たりうるか」という問いが立てられる。ここで問題になるのは「児童虐待でない、子どもとのセックスはありえるのか」ということである。 これは、「レイプでない、男女間のセックスはありえるのか」と問うた、かの80年代のポルノ批判の変奏とも言える。男性と女性が対等でない社会状況の中で、男性と女性が対等なセックスができるわけがない。全ての男女間セックスは、男性による女性の性的搾取である。このムーブメントの中で、一部のフェミニストはヘテロセクシュアルからレズビアンになった(と主張した)。この人々がレズビアン・フェミニストである。*1 もちろん、このようなムーブメントには批判が繰り返され、本気で「男女間のセックスは不可能だ」という人は、ほとんどいないだろう。男女間でセックスするときには、常にそこに女性差別の構造が孕まれる。それでも男女間で対等なセックスを志向
ひさしぶりにネット上をうろうろしていたら、やおい・ふたけっと系のサイトについて、とても興味深い議論が交わされていた。その話題自体は、「やおい系」というのは(おそらく)分野的にわたくしの専門であるはずのところにかなりかぶってくるテーマなのだけれども、不明にして殆どリサーチも考察もしていないので(そしてその割にかなりinflammableなトピックだし)とりあえず今は口を閉じておくとして。(などと書いてほうっておいたら、既に話はちょっと他へと動いてしまっていたのだけれども、まあ、以下はそこでの議論に直接関係があるわけではないので、そのままアップしちゃいます) その議論を読んでいてちょっと思い出したこと。というより、常にアタマのどこかに引っかかっていることなのだけれども。 クイア・スタディーズのゼミで、「性の商品化」はありやなしや(って何だか大上段ね)というテーマでのディスカッションがあった時の
⇒ちょいと不謹慎だが、こういう話しは男同士で男視線で話すと笑い話なんだ.. ⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071111205453 ⇒ちょいと不謹慎だが、こういう話しは男同士で男視線で話すと笑い話なんだ.. ⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071209162602 ⇒絶望した!女に絶望した! ⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071218120417 ’89〈上〉 (河出文庫―橋本治コレクション) 作者: 橋本治出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1994/01メディア: 文庫 クリック: 3回この商品を含むブログ (12件) を見る ’89〈下〉
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