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暴力と後で読むに関するspectre_55のブックマーク (2)

  • 性的主体という言葉の難しさ - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    子どものセックスを論じるときに、「子どもは性的主体たりうるか」という問いが立てられる。ここで問題になるのは「児童虐待でない、子どもとのセックスはありえるのか」ということである。 これは、「レイプでない、男女間のセックスはありえるのか」と問うた、かの80年代のポルノ批判の変奏とも言える。男性と女性が対等でない社会状況の中で、男性と女性が対等なセックスができるわけがない。全ての男女間セックスは、男性による女性の性的搾取である。このムーブメントの中で、一部のフェミニストはヘテロセクシュアルからレズビアンになった(と主張した)。この人々がレズビアン・フェミニストである。*1 もちろん、このようなムーブメントには批判が繰り返され、気で「男女間のセックスは不可能だ」という人は、ほとんどいないだろう。男女間でセックスするときには、常にそこに女性差別の構造が孕まれる。それでも男女間で対等なセックスを志向

    性的主体という言葉の難しさ - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    spectre_55
    spectre_55 2008/03/15
    注にある"トラウマにとらわれていようがいまいが、厳しい状況におかれている女性が選ぶ/選ばざるを得ないのはセックスワークである"って指摘も重要
  • 良い妄想、悪い妄想(再録) - FemTumYum

    ひさしぶりにネット上をうろうろしていたら、やおい・ふたけっと系のサイトについて、とても興味深い議論が交わされていた。その話題自体は、「やおい系」というのは(おそらく)分野的にわたくしの専門であるはずのところにかなりかぶってくるテーマなのだけれども、不明にして殆どリサーチも考察もしていないので(そしてその割にかなりinflammableなトピックだし)とりあえず今は口を閉じておくとして。(などと書いてほうっておいたら、既に話はちょっと他へと動いてしまっていたのだけれども、まあ、以下はそこでの議論に直接関係があるわけではないので、そのままアップしちゃいます) その議論を読んでいてちょっと思い出したこと。というより、常にアタマのどこかに引っかかっていることなのだけれども。 クイア・スタディーズのゼミで、「性の商品化」はありやなしや(って何だか大上段ね)というテーマでのディスカッションがあった時の

    良い妄想、悪い妄想(再録) - FemTumYum
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