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資料・文献と点鬼簿に関するspectre_55のブックマーク (3)

  • 矢川澄子 - Wikipedia

    矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 2002年5月29日)は、日の作家・詩人・翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。 来歴・人物[編集] 教育学者・矢川徳光の5人姉妹の次女として東京府北豊島郡王子町大字王子312番地(現・東京都北区王子)に生まれ、生後まもなく、東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷7丁目1117番地(現・東京都豊島区雑司が谷)に転居。園児としてキリスト教系の幼稚園で過ごす[1]。高田第五尋常小学校(現在の目白小学校)1年の時、1938年1月、東京市世田谷区新町に転居。深沢尋常小学校(現・世田谷区立深沢小学校)に転入。1943年、府立第十一高等女学校(現・東京都立桜町高等学校)に入学。1948年、同校を5年で卒業し、旧制の東京女子大学外国語科(後の英文科、当時は3年制)に入学、1951年に卒業[2]。岩波書店の社外校正者を経て、1

    矢川澄子 - Wikipedia
    spectre_55
    spectre_55 2007/08/29
    澁澤龍彦がタチの悪いDV&モラハラ野郎だった件。
  • ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと: 極東ブログ

    今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。 ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ

    spectre_55
    spectre_55 2007/08/19
    “彼が戦後すぐに見たものからすれば、日本は通常兵器で敗戦に追い込むことができた。しかも、本土上陸による十万人規模の犠牲者を要せずとも可能だった。”
  • ジョー・オダネル氏追悼

    ホットエントリー経由、http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/joe_odonnell_6972.html で ジョー・オダネル氏の死去を知る。 氏には、十数年前、 今思えば先記事にもあるの出版後、おそらく講演などのため来日していたのであろう時期に 一度会ったことがある。 当時私は小学5年生か6年生だった。 終戦後の日で撮った写真、ホワイトハウス付のカメラマンとして撮った歴代大統領の写真を見せてくれた後 氏が取り出したのはレントゲン写真の束だった。 氏自身のレントゲン写真だ。 背骨にはぐるぐるとワイヤーのようなものが巻きついているように見え、 「エッフェル塔のようだろう」と 氏は笑った。 長崎・広島で被爆し、何度も手術を受けていると聞いた。 「空港で金属探知機のブザーが鳴ってしまうからね、 旅行のときには、こうやって

    ジョー・オダネル氏追悼
    spectre_55
    spectre_55 2007/08/19
    “背骨にはぐるぐるとワイヤーのようなものが巻きついているように見え、「エッフェル塔のようだろう」と氏は笑った。”
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