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哲学に関するsuna_zuのブックマーク (1,021)

  • 仮講義「松浦寿輝の〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉」(Leçon 11)|栗脇永翔

    Olá ! Como vai ? それでは、はじめていきたいと思います。いきなりですが、タイトルが変わります(笑)。前回予告した通り、回数自体は129回くらい行く可能性があるのですが、ちょっと後で検索しづらくなる可能性があるのと、あと、さすがに129回「松浦寿輝の表象文化論」と書きつけてしまうと色々問題が起きそうな気もするので(苦笑)、ちょっと変えてみることにいたしました。一応、第2サイクル、次の9回くらいを上記のものにしようと思います。これも「突然」向こうからやってきたので、早速書き始めることにいたしました。 〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉というのは、ご存知の通り、フランスの「ポスト構造主義」を代表する3人の哲学者ないしは思想家です。わたしの元々の専門からすれば、「実存主義」のサルトルを「殺す」――としか言いようがないのですが(苦笑)――ことで思想のシーンの前線に躍り出ることになります

    仮講義「松浦寿輝の〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉」(Leçon 11)|栗脇永翔
  • 미국이 북한과 평화협정을 맺으면 입는 손해들

  • 「全てのものは変化する」への批判への反論

    「全てのものは変化する」というのは真理ではありますが、そうだとしたら、その真理は変化しないわけですから矛盾するのでは?という問いに対して 「『全てのものは変化する』ということを真理と名づけたのは約束事であり、約束ごとは「全てのもの」の中に含まれない。 数学者が存在するかぎり『正三角形』の定義が変化しないように」 と答えることは適切でしょうか?

    「全てのものは変化する」への批判への反論
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた、が…

    このエントリで主張したいことは2つある。 たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた。しかし、若者批判の意味で述べたのではなく、民主政体の比喩として言った わたし自身への戒め:ネット「だけ」を検索している限り、「見つからないのは、悪魔の証明」と嘯く資格はない。ネットに訊いている限り、得られる情報はウィンドウ枠から出られない 「最近の若者は…」とプラトン(紀元前427-347)が言ったとかいわないとか。わたしも調べたことがある。google センセイに訊くわけだ。「プラトン 最近の若者」か、あるいは、プラトンを「Plato」あるいは「Πλάτων」に置き換えて。文節を変えたり類語で広げたり、言語を変えたり、他のサーチエンジンしたり… 得られた中で、比較的まとまっている回答は、以下の通り。 「最近の若者はなっていない」という感じの文章は紀元前●●●年前から、石版?か何かに書かれていた。

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた、が…
  • 「メタマス!」読んだ - きしだのHatena

    チャイティン数Ωに関する。 チャイティン数とかいわれても、たぶん馴染みのある人は少ないと思うのだけど、一言であらわすと、とてもランダムな数。 ランダムな数は、それより短いサイズのプログラムで記述できないということなので、どうやって導出するかを書くには余白がたりない。導出方法が書けるなら、その導出方法のサイズの範囲でのランダムでしかないということになる。 ところで、このΩは、このの面白いところではない。というか、Ωを理解するには数学力が圧倒的に足りなかった。理解できる人には、面白いと思う。 それより、哲学とかソフトウェアのとして面白かった。 メタマス!―オメガをめぐる数学の冒険 作者: グレゴリーチャイティン,Gregory Chaitin,黒川利明出版社/メーカー: 白揚社発売日: 2007/09/01メディア: 単行購入: 7人 クリック: 115回この商品を含むブログ (31件

    「メタマス!」読んだ - きしだのHatena
  • 残響塾

    ノコリモノ memoranda shots 明日の失敗< ノコサレタモノ fragments 「意味の意味」 「〈飛び出す〉倫理」< 「病気五原則」 屋上解放 ノコシタモノ doodles love Liebe イノコリ fictional... 修学旅行の案内が来る バービーモモイの読めないが見つからない ノコギリクワガタ resurrected 残響通信

  • 筑波大学・社会学類ハードコア読書日記:『構造と力』(浅田彰著/勁草書房) - livedoor Blog(ブログ)

  • tabi0182 入不二基義「時間は実在するか」 : 内田洋平 BLOG

    あなたの生命的な躍動を萌芽させたい。あなたに宿った思索が「表現」に花開くために、縦横無尽に思索の種をまいていきます。 「なぜ過去があるのか?」 この問いに、さしたる目新しさはないだろう。ここのところ生々しさと嘘らしさを調停するモノに、関心がむおていたので、書で取り上げられる「見かけの現在」という言葉に良き感触をおぼえた。 校舎が聳える新御茶ノ水駅までに色々な者と車を共にしなくてはならない。私は1駅を過ぎるごとに「この人は誰なのか?」「なぜ、私の目の前に存在しているのだろう?」という驚きを問いはじめてしまう。そして、その驚きの種が「いたるところにあることに」視点がずれると、一気に飽きが覆ってくるのだ。この瞬間瞬間で僕は持続的存在としているらしい、そのことに飽きもある。 持続ゼロで、時間の一定部分ではない「瞬間」においては、どんなものも「動く」ことができないだけでなく、「静止する」こともでき

  • 【読書感想】目的への抵抗 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    ランキング参加中読書 目的への抵抗 (新潮新書) 作者:國分 功一郎新潮社Amazon Kindle版もあります。 目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書) 作者:國分功一郎新潮社Amazon 自由は目的に抵抗する。そこにこそ人間の自由がある。にもかかわらず我々は「目的」に縛られ、大切なものを見失いつつあるのではないか――。コロナ危機以降の世界に対して覚えた違和感、その正体に哲学者が迫る。ソクラテスやアガンベン、アーレントらの議論をふまえ、消費と贅沢、自由と目的、行政権力と民主主義の相克などを考察、現代社会における哲学の役割を問う。名著『暇と退屈の倫理学』をより深化させた革新的論考。 うーむ、「哲学講話」か……なんか難しそうだけど、Amazonの新書ランキングでけっこう売れているんだよなあ……他に指が動く新書も見つからないし…… みたいな感じで手にとった(実際はKindle版を買った

    【読書感想】目的への抵抗 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
  • 嫉妬からくる正義

    私の知り合いで、家の事は全部お手伝いさんに任せている人がいます。生家がお金持ちだからです。住んでいるマンションもきれいなところです。 仕事をする必要も無いので、やりたい事をやりたい時にやっています。時々ベンチャーに投資したりしているみたいですが、そこは詳しくはしりません。まあ、少なくともお金に関する事は心配してはいません。 稀に他人から解放されている人もいますが、多くの人は他人と自分の境遇を見比べます。先の様な話を聞く時に、平静を装いながら私たちは心の底になんだかずるいという嫉妬の様なものと、それから自分との境遇を見比べて不公平感が湧いてくる時があります。 そして、そらにその中から、それは結局他人の話だからとすぐ流れて行く人と、自分の中に何か流せないものが溜まっていくタイプにわかれていき、この後者のタイプの中に、さらに絡み始める人がいます。 こういうタイプの人はだいたい正義を持ち出します。

    嫉妬からくる正義
  • 2008年08月

    欲望機械を支える地面が、充実身体である。 充実身体の肌は、その提唱者であるガタリに言わせると、つるつるしているそうだ。 鏡面のようなものを、わたしはイメージする。 では、充実身体の肌の中身はどうだろう? そこは、到達不可能な領域なのだ。 こここそが、現実界なのだ。 社会的な機械や欲望機械も等しく機械である。 その部品や工程が異常に多いのが社会的な機械である。 機械の部品の一つとして、作動油がある。 ある時、機械から、作動油が漏れる。 充実身体の肌に落ちる。 肌は、油をはじくこともあれば、油が染み込むこともある。 機械の歯車は、シニフィアンだ。 作動油は、情動だ。 現実界と離接するならば、シニフィアンより情動を利用する方が、理に適っているのである。 非定型発達者は、充実身体内部からの影響に敏感である。 この影響とは刺激である。 定型発達者は、充実身体を覆う欲望機械からの影響しかわからない。

  • 03. 書評 浅田彰『構造と力』を読む | 山竹伸二の心理学サイト

    ■メニュー 精神分析研究 ・精神分析の基礎(2) ・精神分析を読む(15) ・『精神分析入門』完全読解(2) ・フロイト「自己を語る」(6) 精神病理学と心理療法研究 ・神経症・精神病を知るために(4) ・心理的治療を知るために(6) 哲学研究 ・哲学書を読むために(5) オリジナル論文・著作など ・発表著作と論文(4) ・書評とエッセイ(17) ・インタビュー(1) 著者プロフィール 公開講座のお知らせ 関連リンク集 (2003.7.5) 『構造と力』が思想書として驚異的な売れ行きを見せたのは、「ポストモダン」という言葉が思想の最先端を意味するようになっていた、八〇年代の前半であった。当時、学生だった私は、序文のアカデミズム批判に共感を覚えたが、論に読み進むと、聞いたことのない思想家や専門用語のオンパレードに圧倒され、少しへこんでしまった。 その後も私は、このを二度、三度と繰り返し読

  • 浅田彰『構造と力』の《クラインの壺》モデルは間違っていない

    浅田彰『構造と力』の《クラインの壺》モデルは間違っていない ~ 一トポロジストの異論 菊池 和徳 2002-03-28 作成(2009-04-26 更新) 0 導入 浅田 [A] は近代における貨幣-資の循環運動などをクラインの壺のモデルで表現した。山形 [Y] は浅田 [A] のクラインの壺のモデルは循環運動のたとえとしては間違っていると批判した。山形 [Y] の批判に対しいくつかの反論や疑問が寄せられたが,黒木 [K] は数学の立場から山形 [Y] の批判を援護した。黒木 [K] の援護が決定打となり,浅田 [A] のクラインの壺のモデルは間違っているが浅田 [A] の内容そのものは間違っていない,という説が広まっているようである。 実はそのような説こそ間違っている,というのがこの小論の主張である。この小論の目的は,山形 [Y] の批判と黒木 [K] の援護に対し異論を述べ,浅田 [

  •  「理念の不徹底という状態」と「理念自体の不徹底」の違い - 力士の小躍り

    思想やイデオロギーというものは、最終地点に根拠が無いということで、全ては宗教と同じであり、それ以上の根源に遡るのは不可能な、形而上学的なものです。 この「宗教と同じ」というのは、そのイデオロギーに完全なる根拠が無いという不安定さが「宗教と同じ」であるという意味であり、逆に言えば、その根源的な形而上学的な『神』を熱心に信奉するしかないところも同じだ。 例えば今、日は民主主義制度の中で生活しているわけで、人権思想を根底にした憲法で国家が縛られて運営されている。 民主主義というのは、万人に理性というものが備わり、啓蒙思想によりその理性をもって、平等に自由な考えで政治運営に参加するから、最良の政治形態であるという前提に成り立っている。 人間に「人権」などが備わっているなどとは誰も保証できないし、そもそも「理性」など誰もあるなどと言えない。もちろん「平等」でも「自由」でもない。そして、誰も森羅万象

     「理念の不徹底という状態」と「理念自体の不徹底」の違い - 力士の小躍り
  • 僕、「わたし」、「こころ」 非対称な私

    しかしここは当に現実の世界なのだろうか? 私は自分のまわりにある世界をあらためて見渡した。そこには私の見慣れたものがあった。窓から吹き込む風にはいつもと同じ匂いがしたし、あたりからは聞き慣れた音が聞こえた。 でもそれは一見現実の世界に見えるだけで、当はそうではないのかもしれない。これは現実の世界だと、私がただ思い込んでいるだけかもしれない。私は伊豆高原の穴に入って、地底の国を通り抜け、三日後に間違った出口から小田原郊外の山の上に出てきたのかもしれない。私が戻ってきた世界が、私が出て行ったのと同じ世界であるという保証はどこにもないのだ。 村上春樹『騎士団長殺し 第2部遷ろうメタファー編』、2017、新潮社、p.412、傍点は太字にした あるとき、突然、「わたし」に複数の人物の記憶が、まったく等価に、並列に、存在していることに気付いたとしよう。また、「わたし」の身体からは、どの人物の記憶が

  • ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』命題2.1~2.225を読解する

    命題2.1になると、突然こんな文章が出てきます。 2.1 われわれは事実の像を作る。 「像」(Bild)という新たな概念が出てきます。原語はBildですが、日語だと、絵・像・写像・写しといった意味です。ここでは、写しというニュアンスと、数学的な「像」というニュアンスの両方がこめられています。 なお、前回は飛ばしたのですが、実は命題2.0212にも「像」という概念が登場していました。 2.0212 そのとき、世界の像を(真であれ偽であれ)描くことは不可能となる。 「像」を「描く」といっていますが、「像を作る」とほぼ同じ意味ですね。 で、結局「像」とは何なのかという定義が出てこないわけですが、続きをもう少し読んでみましょう。 2.11 像は、論理空間において、状況を、すなわち諸事態の成立・不成立を表す。 2.12 像は現実に対する模型である。 「像」は「現実に対する模型」だそうです。ここでは

    ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』命題2.1~2.225を読解する
  • 「論理哲学論考」 - 穢れたこの世界を祝ってやる…

    論理哲学論考 (岩波文庫) 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2003/08/20メディア: 文庫購入: 29人 クリック: 278回この商品を含むブログ (201件) を見る 2月17日読了。2013年13冊目。 4年前つまり僕が高校3年生の頃から気になっていた哲学者であり、東大に来てから論考を読んだという人が周りにちらほらいたので僕も挑戦してみた。 内容自体は5章の途中から全く分からなくなりました当にありがとうございました。5章までは「命題」なり「トートロジーと矛盾」なり断片的には理解できた(つもり)だが、ではテクスト全体の論理を追って彼は何が言いたいの?って尋ねられたら沈黙せざるを得ない。というか哲学入門書ですらフレーゲに挫折した僕がフレーゲ云々言われてもよく分からない。 ということで僕の口からは何も語り得ないので印象に残った文章を抜粋する

    「論理哲学論考」 - 穢れたこの世界を祝ってやる…
  • 脳内地図 - ぶろしき

    RPGの世界地図に見る「世界の中心」問題 - いつか作ります - 断片部 おもしろ題の発想も凄いけど、それより何より ところで、一部では有名な話だが、ドラクエを始めとする一般的なゲームでは、世界は球体ではない。 知らなかった・・・というか気づかなかった。 確かに言われてみれば変だ。しかしおかしいのは分かったけどどうおかしいのかがもう一歩分からず。 ブクマコメントに『カセットの中のトポロジー』って言葉があったので検索したら出てきた。 なるほど。。。 ってちょい待ち。 えーとドラクエ地図ではどの南北の線、東西の線も長さは一緒になってるわけだから・・・単にドーナツ型にしちゃうとドーナツの内側の円周と外側の円周で長さが全然違ってしまうことに。これじゃまずいんではないのか。 ということはウロボロスか。8の字に端を繋げれば長さは等しくなる? でもそれじゃ別な問題が出てくるか。 真ん中の×の部分、

    脳内地図 - ぶろしき
  • イセルハーサの世界

    ドラクエの世界はトーラス状だという意見がある。 ただドラスレ英雄伝説の世界(イセルハーサ)は球体であることがエンディングで明らかになっているので トーラス状だとまずい。 まず、地図を上辺と下辺、さらに右辺と左辺を同一視、するとトーラスになる。 ただメルカトル図法の場合は 上図のようになって問題は無い。 ただRPGなどのマップで問題なのは、マップの上から下へ行った時、またすぐに上に出てしまうことだ。 来メルカトル図法のような場合、上から下へ行った場合、地球の裏側に当たる部分へ出てそこから下から上に向かうことなる。 南極を表すラインが中央付近にあるとも考えられるが、そのためにはその付近の地形が同じである必要がある。 (もともと1点であるのを線状で表したものであるため。) しかし、イセルハーサではそのようなことは無い。 ではこれを解消するにはどうしたらいいのであろうか。 まず最初に、マップの取

  • ドラクエの不思議

    カセットの中のトポロジー 「では弟よ。これは世界地図だと主張するわけだな」 「そうやろ」 1988年の、春のことだった。私たち兄弟は、またもファミコンを囲んで議論をしていた。今度は差さっているのは「ドラクエ3」のカセットだ。 「ドラゴンクエスト1では問題は無かった。ドラクエ2には多少問題があるが、まあ、架空の世界のことだ。しかし、ドラクエ3では決定的な間違いと言うしかない。これは世界地図とはいえないのだ」 「なんのこっちゃ、わかるように言うてえな」 「よろしい。では考えてみることにしよう。この『ドラクエ3』は、途中のクライマックスまでは、世界地図に似たマップの中を冒険することになる。オーストラリアの位置にあたる『アリアハン』から出発して、ヨーロッパから中東、さらにアジア、アメリカへと、世界を一周して敵の拠地を目指すのだ」 「せやな」 「地図は、まあ大体現実の世界地図そのものと言っていい。