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哲学に関するsuna_zuのブックマーク (1,021)

  • 共時性? - アンドロイドはしあわせか

  • 〈非知〉とは〈非僧〉だー川田恒信さん追悼 | ちきゅう座

    < 子安宣邦:大阪大学名誉教授> 川田恒信さんが早稲田でやっている私の思想史教室に、毛利健次さんとともにふらりと現れたのは2007年の春のことであった。これは私のあいまいな記憶によっていうことで、確かなことではない。いずれにしろ私はその時はじめて川田さんを知ったのである。いきなり現れた二人を見て、私はすぐに「物」が来たと思った。より丁寧にいえば、「物の活動家であった人」が来たと思ったのである。そう思ったのは、その服装と顔つきと目つきからである。ただ私はそう察しただけで、私のこの推定の当否を彼にも人にも、その時もそれ以後も尋ねることを私はしていない。 教室にいきなり現れた二人を見て、他のメンバーとの異質を感じながらも、どうせ一回きりの来訪者だろうと私は思っていた。だが私の予想ははずれた。彼らはそれ以後も欠かすことなく、毎月第二土曜日の私の早稲田の講座に現れた。ことに川田さんは、親友の毛利

  • 『非知(Nichtwissen)〔ヤスパース『哲学』原典訳〕』

    高田博厚先生と友と神に ・ 形而上的アンティミスム序説 ――― 「僕の美と愛と信仰」 ――― 集合容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害者です。 自分の来の魂的生を貫くため、そして 集合容喙と強制薬害の事実を証言し国に問題を解明解決させるため、 この電子欄を書いています。(パリ大学博士) 1.非知 a) 根源における転回点としての非知 単に否定的な言表としての非知はそれ自体無であろう。非知が絶対的意識の運動であるのは、まだ私が〔物事を〕知る前の私の無知の一般的自覚としてではなく、その都度対象知を揚棄することによって自覚されるような、自分で獲得した非知としてなのである。それは、知ることを試みる前の、知の空虚な否定ではなく、あらゆる規定的な現実から身を引くための断念でもない。そうではなく、〔具体的に〕知るに応じてこの知のなかで、自分を非知として見出す、そのようなその都度内実に満ちたものと

    『非知(Nichtwissen)〔ヤスパース『哲学』原典訳〕』
  • 知は広がってゆくにつれて非-知のなかに消えてゆく – risk = nil;

    安全に関する代表的な書籍に,武谷三男さんの「安全性の考え方」(岩波新書,1967年)があります.鉄腕アトムの飛ぶバラ色の空が,いきなりモノクロームの陰画になった時代に書かれたです.小児麻痺,四日市ぜんそく,はくろう病などの公害を初めとする科学・技術が生み出した危険に対する闘いの記録です. 具体的な闘いの対象は,行政・司法・企業・科学者と多岐にわたります.こういった問題に対して,つねに生じる素朴な疑問は,なぜこういった問題がすばやく解決されないかという疑問です.これは,当時少年だった私がいまでも持つ変わらぬ疑問になります. ここでは,「社会的構造」から少し考えてみたいと思います(前回もこの構造については少し触れました).多くの先人の努力にかかわらず,(個々の出来事は別として)市民の被害および関連する組織との対立という状況がなぜ起こり続けるのかという問いについてです(なお,ここで扱うのは社会

  • 日曜社会学#過去ログ選集:非知のコミュニケーション1

    Date: Thu, 17 Aug 2000 13:33:26 +0900 From: 角田幹夫 Subject: [luhmann:01451] 小松「非知のコミュニケーション」 5月に送っていただいた小松丈晃さんの 非知のコミュニケーション──エコロジーのシステム理論──(『社会学研究』67) を、先日やっと読む時間を作りました。 非常に勉強になったのですが、幾つか無駄口を叩きます。 まずは、論旨の中心ではない些事なのですが、 ルーマンによれば、こうしたリスク/危険という区別において問題となるのは、観察することから独立にいわば客観的に存している物事の安全さやリスク性の如何なのではない。そうではなく、各人が未来において生起しうる損害を「どのように(wie, how)」観察したり説明したりしているのかということについての観察がおこなわれるのである。この区別は、もたらされうると見込まれる将来

  • 甦るヴェイユ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞

    フリーアーカイブ 183回の講演、合計21746分の 吉隆明さんの声をここに集めました。 無料無期限で公開します。 いつでも自由に、何度でも、 お聞きください。

    甦るヴェイユ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • Ashtavadhanam – 8 fold concentration

  • 日日日『のばらセックス』13 - つじこの

    「『のばらセックス』におけるアレゴリー(寓意)」なる題目で、以前から折を見て書いているものの続き(前回の記事はこちら)に取り組んでいるのだが…いやはや難物である。書けん、ほんまに書けん。 もっともいかがわしさを引き受ける覚悟であえて主張してしまうと、小生この小説は究極絶対の普遍的真理にして全人類を導く教科書であるから、分析の作業を面倒だからという理由で放棄するのは決してよろしくないと信じているのだけれど、それにしてもこう難航するとは思わなかった。 まあ、あれだ。『ささみさん@がんばらない』のほうは、自己同一性の混乱への志向―あるいはいっそう表現の正確を期すなら、対人関係の網の目の中である者の占めていた地位に別の者を再配置し、そのようにして正当な権利者がつつがなく愛を享受するのを妨害してやろうという趣向(この点は『ちーちゃんは悠久の向こう』以来一貫している)―やら書き手の女性性(異性の立場を

  • ヒュームの「因果関係」について

    トップページへ               西洋の思想ページへ 火曜日 西洋の思想 ヒュームの「因果関係」について 火曜日は、西洋の思想を考えます。今日は、ヒュームの「因果関係」について考えます。ヒュームは、近代の西洋において、重要な役割を果たした人物です。 ヒュームは、経験論の主義の考え方です。真理は、人間の経験の中に存在する、という考え方が、経験論の主義です。ヒュームは、経験論の考え方によって、「因果関係」を問題として扱います。 ヒュームは、因果関係を、人間の経験と結び付けて考えます。因果関係というものは、法則であるとも、考えられるものです。ヒュームは、人間の習性の一つとして、物事に、すぐに因果関係をとらえてしまう、ということを考えるのです。つまり、人間は、物事に法則を考える傾向が多くある、ということです。ヒュームは、経験論の主張により、そのような、因果関係を否定するわけです。ヒューム

  • ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想 - 情報考学 Passion For The Future

    ・ソウルダスト――〈意識〉という魅惑の幻想 意識の進化に対して大胆な仮説を提示した名著『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』のニコラス ハンフリーの近刊。 トマトが赤いと意識するとはどういうことか。著者によればトマトから反射した光が目に届くと、脳は局所的に活性化し、内在化した表現反応を生み出す。"赤"する状態になる。その状態を自分自身が観察して、自身の反応から形成する表象が赤の感覚なのだという。赤いとは自分自身が赤を感じていることを観察することにほかならない。意識は自己発生的なショーである、と。 現実の空間ではありえない形状のペンローズの三角形があるとする。ある角度からみたときだけペンローズの三角形に見える立体物をつくることは可能だ。それをグレガンドラムと呼ぶ。そしてそれをみた人が生み出す内的創造物をイプサンドラムと呼ぶ。そのうえで観察者が動くと自動的にグレガンドラムも同じ幻想的外観を見

  • 椎名林檎とフェミ思想、上野千鶴子との違い。椎名林檎はメンヘラではなく…

    雪兎 @gunmama14 椎名林檎は男性嫌悪が見られるが「殿方」と呼ぶ→尊敬できる方もいるという暗喩。林檎の怒りの矛先は昭和の権力者→文化人として乗り込み改革したい(五輪開会式etc)娼婦、ストリップ芸はフェミではなく氷河期世代のフラストレーション→不幸な世代なりに欲望には素直に突っ走る。 2022-12-06 17:23:35 雪兎 @gunmama14 林檎の歌は日人らしい謙遜と同時に「あなたの当の欲望は?」と音を吐露させるように耳元で囁く。(獣の同盟、獣ゆく細道、大人の掟etc)上野千鶴子や田嶋陽子と違い、男性嫌悪ポジだが婚約して子供を3人も作った。氷河期が生んだ女の欲望林檎姉さん(上世代に物申せる金も子供も手に入れた姉御の意) 2022-12-06 17:45:18

    椎名林檎とフェミ思想、上野千鶴子との違い。椎名林檎はメンヘラではなく…
  • あなたは意識をどう説明しますか?

    Go deeper into fascinating topics with original video series from TED

    あなたは意識をどう説明しますか?
  • 認識の枠組み - やしお

    自分が物事をどう把握しているのか(それを、自分がどう認識しているか)について一度全体をまとめておきたいと思った。 (1)認識の枠組みの概形、(2)それがもたらす価値観、(3)枠組みの限界点、(4)関係する過去記事へのリンク の4つに分けている。 (1) 認識の枠組みについての基的なアウトライン 体系、システム ある命題が、別の命題から論理で導出される。こうして論理で結ばれた命題のネットワーク(システム、体系)がある。その根には「何からも導かれていない命題」がいくつかあり、それらがそのシステムの仮定(=前提、公理)である。 論理は客観性、仮定は主観性に属する。 論理は「こうだから、こうなる」という形式によって、「誰にとってもそうである」、あるいは少なくとも「誰にとってもそうであり得ると、自分が信じられる」ものであって、客観的である。 仮定は何からも導かれていないため、「とにかくこうだ」と

    認識の枠組み - やしお
  • 現代の言語道具説批判――言語規範とは何か(4/5): 主体性確立のための「弁証法・認識論」講義

    ――京都弁証法認識論研究会のブログ―― 弁証法・認識論は問題解決のための技術であり主体性確立のための基盤です。 自立した国民による自立した国家へ、日復興への曙光を学問の都・京都から。 このページの最下段に、過去の<講義一覧> のリンク集があります。 (4)言語道具説は言語をどのように把握するか 前回は、言語規範とは何かをヨリ構造に分け入って検討していくために、まず規範一般のあり方を具体的に分析していきました。結論的には、規範というものは個人の独自の意志に対立する、社会的な客観的な意志であって、個人のアタマの中で、社会的な・客観的な・意志と個人的な・主観的な・意志とが二重化する形で併存していることになるのでした。この規範一般のあり方を踏まえて言語規範について検討していくと、言語の直接の基盤となる認識はいわば生きた・個人的・具体的・認識ですが、言語規範という認識は特定の認識と特定の音声や文字

    suna_zu
    suna_zu 2023/04/17
    対象から認識へ行きます。認識から表現へ行きます。前2者の移行のいずれかまたは両方のどれが言語規範なのだろうか。
  • 観念と概念|算数用語集

    概念は物自体に関したものであり,定義によって与えられます。観念は対象物に対して心の働きが加わったもの,つまり認識されたものです。したがって,概念は外的・共通的なものであり,観念は内的・個人的なものです。 概念は物自体に関したもので,心の働きとは無関係ですから,例えば「数とは……である」というように,その概念の定義が与えられたからといって,その意味内容がわかるとは限りません。 観念は認識ですから,程度の違いがあります。物の観念を育てることは,物についての認識を深めることであり,物に対するイメージを豊富にすることです。 例えば,6という数を見た場合,ブロックが6個ある,または鉛筆が6あるといった具体的な存在が頭に浮かぶこともあるでしょうし,トランプの6のカードやサイコロの6の目のような象徴的な図を思い描くこともあります。また,計算に関連して,5+1と見たり,3×2と見たりすることも考えられま

    suna_zu
    suna_zu 2023/04/17
    概念と物自体と定義に対する観念と対象物と心の働きがあります。単位と数値が概念です。量が大きさの感覚だと観念で単位と数値だと概念です。量は観念だったり概念だったりします。
  • Illness as Metaphor | Susan Sontag

  • 本当は秘密にしておきたいけど、やっぱり読んで欲しい人間社会学科教員のオススメ本 第15回

    書 名:模倣の社会学(丸善ライブラリー) 著 者:横山 滋 紹介者:観光地域デザインメジャー 毛利康秀 「今回オススメするのは『模倣の社会学』というだ。」 「それは、どのようななのですか?」 「ガブリエル・タルドという、フランスの社会学者が主張した模倣説を紹介しただよ。」 「しゃ、社会学者・・・もう読む気が失せてもうたわ!」 「社会学者というと難しそうだけど、このはタルドの学説を分かりやすく解説しているので読みやすいよ。」 「模倣説とは、どのような学説なのですか?」 「一言でいえば『社会は模倣で出来ている』ということかな。」 「も、模倣・・・マネのことだよね。『社会はマネで出来てる』なんて言い切ってええんか?」 「質をシンプルな言葉で喝破することは珍しくないよ。他の学問分野でも、例えば、物理学では『光の速度は変わらない』という原理で世界を説明している。」 「アインシュタインの特殊

    本当は秘密にしておきたいけど、やっぱり読んで欲しい人間社会学科教員のオススメ本 第15回
  • 伺か - Overview - Ghost / Shell

    ゴースト/シェル ゴーストとシェルは一対一の関係ではなく、一つのゴーストは複数のシェルを持つことができる。これは人が複数の服を持つことと似ているが、そもそも完全に姿が変わってしまうという点で大きく異なる。マテリアライズされた「姿」が人に与える影響というものを無視すれば、質的にはゴーストはシェル(素体)を借りて実体化しているに過ぎず、どのシェルに入るか、という点からは独立している。 しかしながら、ゴーストがマテリアライズを前提とした存在である以上、ゴーストを持たないシェル(素体)に価値はあっても、シェルを持たないゴーストにはほぼ価値がないということは深く刻んでおく必要がある。美しい人形は誰も放ってはおかない。しかし逆のことは滅多に起きない。 ただ、いったん稼働を始めればゴーストが全く軽視できない存在に変化することもまた事実である。いかに優れたシェルであっても優れたゴーストなしには長期稼働に

  • tabi0126 南直哉「日常生活のなかの禅―修行のすすめ」: 内田洋平 BLOG

    あなたの生命的な躍動を萌芽させたい。あなたに宿った思索が「表現」に花開くために、縦横無尽に思索の種をまいていきます。 苦しみの質が「思いどおりにならない」ことなら、その原因たる欲望の質は「思いどおりにしたい」ということであろう。当たり前のことだと言われるだろうが、ここは勘所である。私がこだわるのは、欲望は単に、言わば能的に「したい」ではなく、「思いどおりにしたい」ことなのだという一点なのだ。欲と人は言う。腹が減ったからべたい。よくわかる話である。では、これと「おいしいもの」がべたい、ということとは同じことなのだろうか。違うであろう。(中略)ここで仮に「腹がへったのでべたい」を・欲求と言うとすれば、まさしく「おいしいと思うものをべたい」こそ、・欲望と言うべきであろう。(中略)「根拠」として絶対者も自己決定も置けないなら、別のもので根拠を代用にする。これがすなわち物の所有で

  • IDEA-MOO<知の体験(虚数の不思議)>