bookとgender_sexualityに関するt-kawaseのブックマーク (9)

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    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

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    t-kawase 2020/01/24
    サークルの後輩の片岡君 @disk_kat の書評。すごく情報が詰め込まれているな、これ。この本も注文せねば。
  • 高学歴女子が新・専業主婦を目指す時代 - ohnosakiko’s blog

    かつて斎藤美奈子は『モダンガール論』の中でこう言った。「女の子には出世の道が二つある。立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである」。 「立派な職業人」とは古い言葉で言えばキャリアウーマン、「立派な家庭人」とはここでは、上昇婚で果たされるゆとりある専業主婦を指す。このが出たのは2000年。今でもこの命題は有効なのだろうか。 少なくとも高学歴女子に関しては、まず何をおいても「立派な職業人」になり「職業的達成」を果たすのが生きる道だという認識が持たれてきた。高い学歴の中で身につけた専門知識と技術を武器にキャリアアップし、結婚しても仕事をやめず家事・子育ては夫と完全分担。実現できるのはごく一部の人だとしても、結婚を志向する高学歴女子の目指すべき「理想」のライ

    高学歴女子が新・専業主婦を目指す時代 - ohnosakiko’s blog
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    t-kawase 2014/03/07
    この本、店頭で見て気になっていたんだよなあ。
  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波哲学講座・第12巻『性/愛の哲学』(2) 2009年9月刊 (写真は、田村公江氏の別著) 収録論文の田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作である。田村論文は、ポルノグラフィーと売買春を扱うもので、「制度としての性の商品化に反対する立場で、・・・制度としての売買春=買春機会を保証する社会のあり方に反対するのが、筆者の立場である。」(p170) ここでは、なぜ売買春は悪いことなのか、その論理を根源的なレベルで構築しようとする田村の議論を見てみたい。田村はまず、現代の日社会が売春に寛容である理由として二つを指摘する(172)。(1)貧困に迫られての悲惨な売春はすでに過去のものとなったという楽観的認識、(2)性は個人的な事柄であり、当事者の自己決定に委ねておけばよいというリベラリズム。この(1)(2)にそれぞれ対応して、売買春を条件付きで肯定する考え方が二つある。 まず

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌
  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波講座哲学・第12巻『性/愛の哲学』(1) 2009年9月刊 戦前から続く岩波哲学講座だが、今回、『性/愛の哲学』というテーマの巻が登場した。フロイト、ラカン、フーコー、バトラーなど、20世紀には「性」が哲学のテーマとして前景化し、ジェンダー研究も活性化したことが背景にある。全体を通読した印象では、収録論文はやや玉石混交か。その中では、小泉義之「性・生殖・次世代育成力」が鋭く、また田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作だ。観点が違うこの二つの論文の考察はともに、期せずして、"正常で健康な"男女の性愛それ自体が内包する非対称性、不平等性、強制性、暴力性、罪責性、原罪性などに行き着いている。 小泉論文は、そのタイトルが示すように、異性愛、生殖、子育てという論理的には独立でありうる三項が、人類の歴史においては三位一体のものとして扱われ、恐るべき強制力を持ってきたことに焦点

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌
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    t-kawase 2009/12/06
    面白そうだな。この巻だけでも買ってみるか。
  • 太宰文学と「残酷な神の支配」 - 熊田一雄の日記

    ─「神に問う、無抵抗は罪なりや」(太宰治「人間失格」) 宮地尚子さんが、太宰治の名作小説「人間失格」について、太宰が幼少期から受け続けてきた性的虐待との関連が全く論じられていないことを嘆いています(リチャード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005年、あとがき)。私は、小説「人間失格」が、「性的虐待を受けて育った男性の悲劇」に還元できるとは思いませんが、宮地さんの指摘はとても重要な視点だと思います。 けれども自分の性は、そんなお茶目さんなどとは、およそ対蹠的なものでした。そのころ、すでに自分は、女中や下男から、哀しいことを教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのようなことを行なうのは、人間の行いうる犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、いまでは自分は思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たという気持ちさえして、そうして、力なく

    太宰文学と「残酷な神の支配」 - 熊田一雄の日記
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    t-kawase 2009/05/06
    『人間失格』について。参考になる。グノーシス主義云々については保留。
  • 私は光源氏が嫌いだった - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    はじめて源氏物語を知ったのは与謝野晶子訳だったような気がする。母親がもっていた、現代語訳の日古典選集みたいなものがあって(筑摩書房あたり)、それに収録されていたのだった。夏休みの最中に突然引越しが決まって、その荷物の出し入れで奥にしまいこまれていたが幾つか出てきて、学校がはじまるまでの間の暇をなぐさめていた。 源氏物語というものがあることは知っていた。小学六年生のときだから、あるいは学校で歴史の時間に習ったのか(当時、小学校の六年の社会は、公民と日史を混ぜたような内容だった)、それとも別ので読んだのか。与謝野は随分とすでに古風な文体ではあったが、それほど抵抗なくするりと読むことが出来た。ただ、やはり、宇治十帖などは複雑に過ぎて、その面白さがわかったのはだいぶん後になってからだった。 それで、話は波乱万丈で、いくつか贔屓の登場人物も出来て、たいそう面白く読んだのだが、わたしは主人公で

    私は光源氏が嫌いだった - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
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    t-kawase 2009/02/01
    「あのあまりにも受動的でいてそれでいて据え膳は絶対逃さないすっぽんのような性欲をもった主人公」に思わず大笑い。若いうちは、もっと「禁欲」している小説読んでおいた方が良いよね。
  • それは<制度>の外の「教育」だった……『密やかな教育<やおい・ボーイズラブ>前史』 - さかさまつげ

    やおいやJUNEに教養主義の一面があることは、読者であったことのある人にとっては意外なことではありません。しかし、その意味、つまり、JUNEが登場する70年代以前の、もっぱら男性によって占有されてきた教養と何が違うのか、といったことになると、ほとんど言葉にされてこなかったような感じがします。この『密やかな教育』は、やおいやJUNE的教養のバックグラウンドとして常々その名を挙げられるヘッセ、ヴィスコンティ、三島、足穂から、24年組の少女マンガ家や栗薫に至る流れの中で何が変わり、何が受け継がれたのかを、作品そのものや肉声(竹宮惠子・増山法恵・佐川俊彦3氏へのインタビューを併載)をもとに具体的に示してくれるであり、前提とするにせよ批判的に読まれるにせよ、これからの議論のベースとなっていくだろうです。 男性たちのものとしての「教養」(それがしばしばホモソーシャルな絆の拠り所として機能してきた

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    t-kawase 2008/11/28
    あとで読むときの参考に。
  • 「悪い思い出は、忘れちゃいけない!」…『腐女子マンガ大系』への疑問 - さかさまつげ

    腐女子マンガ大系』は、「マンガ」が大学などでの研究対象として定着してきたことの、おそらく成果と言っていいのだと思う。アカデミズムのいち領域としての「マンガ学」をふまえての企画、ということ。 その上で、このの場合は、何しろあつかうのが「やおい」だから、社会学(フェミニズム)にも通じていて、なおかつ自分自身も腐女子(腐男子)な、30代中心の比較的若い論者が多いみたい。 腐女子の立場を大事にしつつ、新しい世代の論者が、マンガ学と社会学の知見を用いてやおいを肯定的に語る、という感じかな。いわば、アカデミズム版『オタク女子研究』というわけですね。上野・香山と、ハク付けもばっちりである。 その趣旨には賛成するし、また、そのメッセージが充分読み手に届くになっているんじゃないか、という気もするのだが、個人的には、少なからず違和感も感じている。それを言葉にしておこうと思う。 違和感の直接の原因は、や

    t-kawase
    t-kawase 2007/07/16
    僕もちょっと違和感(というか、物足りなさ)を感じているんですよね。このエントリで大分頭が整理された気がする。
  • 腐女子マンガ大系の前半感想。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない

    ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集=腐女子マンガ大系 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/06/01メディア: ムック購入: 1人 クリック: 105回この商品を含むブログ (86件) を見るなかなか全体的に面白かった。まだ読めてない部分もあるのだが、ちょっと既読となった前半部分の内容に触れてみる。 まず、三浦しをん×金田淳子の対談がウマイ!これから多くの論者が「腐女子」のメタなり、なんなりを語る上で、まず、やおい・BLと言えど、その内容の方向性・表現は多種多様であり、それゆえ簡単に腐女子も含めやおい・BLを一筋縄に解釈できない、ことを述べたのはよかった。 腐女子、と言えど、やおい・BLと言えど、それは一言で括りがたいほどに多義性を持っていて、その姿は一枚岩ではない。このことの指摘は、後の論考を読む私たちの、安易な腐女子理解(したつもり)を防ぐ予防線になったのではないか。「

    腐女子マンガ大系の前半感想。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない
    t-kawase
    t-kawase 2007/07/16
    細かい考察。
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