心理に関するt_keiのブックマーク (38)

  • グチ もしくは、難しい(?)問題 - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    ■[駄]グチ もしくは、難しい(?)問題 21:41 1、戦後(教育)史を話すと完全に他人事*1って感じになる学生は、どうしましょう(現在との接点=歴史的現在を考えるためには、冷戦期や逆コースの政策とその当時の教育政策を、授業で取り扱う必要があると私は思うのです)。 これについて工夫の余地は、如何に。この問題は、おそらく「歴史(社会科学)ってなんのためやるの?」という問題に関わります。(少し飛躍があるかもしれませんが)、分かりやすいということは、内容が薄いということではない。分からないと認識した途端に関わりから撤退する人に、私≒教師はどうふるまえばいいのか? 2、「共産主義」「社会主義」という言葉が出てくるとすぐ「悪いもの」と決めちゃう学生(教職志望)に、どう私は対峙すればいいのか。おそらく彼は、「共産主義」「社会主義」についてはワイドショー的な知識しか所有していない。よって、「悪いもの

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    t_kei 2005/10/27
    「印象のコードで「悪いもの」と認識した途端に関わり」「から撤退する人」と、どう関われば良いのかと提起
  • 名前はまだ無い: こないだ言ってたことの続きを少々。

    t_kei
    t_kei 2005/10/23
    「○○について考えることは△△について問い直す契機となる」といった表現に付随する違和感について。
  • buches notiz - 死ぬ

    死ぬことに対する圧倒的な恐怖は、幼い頃から断続的に訪れる感覚のうちの一つで、私はその感覚が嫌いではない。 確かに恐ろしいのだが、生きているということを鮮明に意識させてくれるという意味では、悪くないのではないかと思う。 死ぬことへの恐怖には様々な言われ方があるが、一番印象に残っているのは『サクリファイス』の中で博士が述べる台詞、死ぬことに対する恐怖とは、その痛みに対してのものではなく、自分自身の存在が消え去ってしまうということへの恐怖なのだ、というような意味の台詞だ。私はこの台詞を聞いたとき、ああ、そうかもしれないと思った。確かに痛いのは嫌だが、死ぬのが嫌だと言うとき、私は痛いのが嫌だと言っているわけではない。 しかし、今はこれは嘘だろうと思う。それは単に自分自身が消え去ることへの恐怖であって、死の恐怖とは異なる。存在が消え去る=死と考えるのなら妥当だろうが、私にとって死の恐怖とはまた別の感

    buches notiz - 死ぬ
    t_kei
    t_kei 2005/10/11
    生に対する圧倒的な恐怖は、幼い頃から断続的に訪れる感覚のうちの一つで、僕はその感覚が嫌いではない。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…

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    t_kei 2005/10/10
    「○○人として誇る」という思考停止について。
  • OCN ニュース神のお告げでイラクに侵攻=ブッシュ大統領語る

    光ファイバー、格安SIMサービスなどといったさまざまなインターネット接続サービスを提供しています。 お客さまのライフスタイルに合わせてプランをお選びください。

    OCN ニュース神のお告げでイラクに侵攻=ブッシュ大統領語る
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    t_kei 2005/10/08
    神懸りなのは、最近選挙で大勝した、某国の首相も一緒じゃないか。
  • 連載第4回「当事者職員」として働いてみて‥その後 - おりふれ通信

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    t_kei 2005/10/08
    心について、人との関係性について、いろいろな事を深く考えさせられた。
  • 仏教の相対的世界観とイスラムの絶対的世界観 : ジェマ・イスラミアのバリ島テロ事件の惨禍と信仰の歪曲 カウンセリングルーム : Es Discovery

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    仏教の相対的世界観とイスラムの絶対的世界観 : ジェマ・イスラミアのバリ島テロ事件の惨禍と信仰の歪曲 カウンセリングルーム : Es Discovery
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    t_kei 2005/10/05
    論旨には全然賛同できないが、考える材料としてメモ。
  • 「きんも〜っ☆事件」の分析

    私はこの事件を後で知ったので、ほとんど内容を認識していませんでした。 で、今回あらためて、まとめサイト(店員の氏名等が書かれているので、リンクは貼りません)などを参照しましたが、せいぜい「オタがいっぱいいて、きんも〜っ☆」みたいな発言がわずか数行あるだけで、とてもではないけれども、それがネイサンズ社にねじ込まれ、ニュース扱いになるような重大な問題であったとは思えません。この程度のことは個人のブログであれば、誰でも書いていることです。「小泉を擁護する連中きんも〜っ☆」なんて、俺も何度も書いているわけで。 この問題の質はいくつかあるのですが、箇条書きすると、以下にまとめられるでしょう。 ・氏名や学校名など、個人情報の特定が容易であった。 ・店員であった。 ・批判した側の人間がオタクであるとは限らない この3つの質が組み合わさる形で、大々的な「祭り」になったのであろうと言うのが、私の見解。

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    t_kei 2005/10/03
    陰湿な行為が、どのような観念によって正当化されていたか。
  • かわいそうな子どもたち:うつ病と抗うつ剤について再考する

    Vol. 19, No. 6, June 2003 1. かわいそうな子どもたち:うつ病と抗うつ剤について再考する かわいそうな子どもたち:うつ病と抗うつ剤について再考する 「知らないことによって問題が起きるのではない、実際は知らないのに知っていると思い込んでいることが問題を引き起こすのである。」-ウィル・ロジャーズ。 ハロルド・S.コプレウスキー医師は最近ニュースレターで思春期のうつ病を認識し、治療することの重要性にについて有意義な論文を寄せている。十代のうつについての認識不足と、その病的状態に関する彼の意見は時宜を得たものであり、真実そのものである。さらに、彼が診断のさまたげとなっている様々な事柄をあげ、十代の若者やその親と実用的な協力関係を確立したことは賞賛に値する。しかしながら、十代に処方される抗うつ剤についての証拠をめぐる現在の状況に対するの彼の意見は、厳密な検証をもってこたえ

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    t_kei 2005/10/03
    うつ病治療(特に子どもに対しての)の常識に対する疑義。
  • 「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson

    出遅れ気味なのでブログでは、「百匹目の猿」をデバンクした有名な著作(英文)の翻訳をしてみようと思う。 --------(以下、Ron Amundson  "The Hundredth Monkey Phenomenon "の翻訳)--- Ron Amundson: "The Hundredth Monkey Phenomenon " first published in Skeptical Inquirer vol. 9, 1985, 348-356 (http://www.uhh.hawaii.edu/~ronald/HMP.htm) 超常現象について主張の論拠はいろんな形で示されています。たとえば、個人的な証言(「私は宇宙人に誘拐された」)とか、日常でのちょっとした不思議なこと(「夢に出てきた人からちょうど電話がかかってきたことはありませんか?」)とか、「古代人の知恵」なども。実際の

    「百匹目の猿」の嘘を暴いた"The Hundredth Monkey Phenomenon"by Ron Amundson
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    t_kei 2005/10/01
    いわゆる「百匹目の猿」現象への、詳細な反論の邦訳。
  • <政治・社会>この後に及んでマルクス主義 | そなたんパパの備忘録

    今さら、というか何と言うか、ネットサーフィンをしていたらこの間の総選挙に関するブログにぶつかった。 http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/d/20050914 このブログの筆者である佐々木氏は、『朝日新聞』の選挙に関する記事を紹介し、次のように述べている。 しかしブロゴスフィアの外側――特にマスメディアでの有識者たちの発言には、有権者を愚弄しているとしか思えないような内容のものも目立っている。たとえば投開票日の翌朝の朝日新聞の社会面には、何人かの有識者がコメントを寄せていて、田由紀・東大助教授は<経済的弱者が、政策的に手を差し伸べてもらうことよりも、「ぶっ壊す」ことを訴える小泉首相に、希望を見いだした可能性はある。現状が厳しいほど、単純なカリスマに自分を同一化して、「この人だったら何かをやってくれるかもしれない」と>と指摘した。相当に辛辣というか、弱者に厳しい

    <政治・社会>この後に及んでマルクス主義 | そなたんパパの備忘録
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    t_kei 2005/10/01
    「なんでそもそも大衆は革命を起こさないのかという問題」
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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    t_kei 2005/10/01
    …。「精神的な苦痛)を重視する神経症ではなく、脳内の神経学的異常や脳内ホルモンの分泌障害を根本原因」
  • 四国新聞社

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    t_kei 2005/09/30
    僕はむしろ「学校がおもしろくない」という子供に共感を覚える。(もちろん状況を肯定するわけじゃないけど
  • 産経Web【教育を考える】 - 「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く

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    t_kei 2005/09/28
    過剰な自意識に基づく科学・教育論。そこには、本当の「畏敬の念」なんてありはしない。
  • 【人生相談】回答します: たけくまメモ

    【悩み】早速相談させていただきます。現在33歳で、これまで楽しいこともあれば苦労もありましたが、この歳になっても未だに打たれ弱く、何かと落ち込みがちになる私。竹熊さんの元気回復法は何でしょうか? ささいなヒントでもいいので、いただけると嬉しく思います。(坊や哲さん) お答えします。俺もよく落ち込むのですが、その落ち込みの原因をよく考えてみると、まず99%は「他人の目を気にした結果」であることに気がつきます。「こんな恥ずかしいことをやってしまって、他人はどう思うだろう」と考えるとどんどんになっていっていくわけです。 しかしここで立場を変えてみたらどうでしょう。たとえば、自分が他人の失敗を見たとき、心の中で「あはは」と笑うことがあっても、すぐに忘れてしまうでしょう。その「他人の失敗」が、自分の生活に直接影響を及ぼすものでない限り、しょせん「他人事」ですので、どうでもいいわけです。 人間には、

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    t_kei 2005/09/24
    南アフリカにて「俺は世界で一番不幸な男だ」「村の友達には奥さんが8人いるのに、俺には3人しかいない」
  • http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=STORY&NGID=home&NWID=2005092101003918

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    t_kei 2005/09/21
    「ニートを深刻な問題ととらえているかとの質問にも、「非常に深刻」と「まあ深刻」を合わせると94・6%」
  • Kawakita on the Web - 『戦後60年』刊行記念 上野昂志+大塚英志トークセッション 参加

    青山ブックセンターで開催された『戦後60年』刊行記念の上野昂志氏×大塚英志氏のトークセッションに参加してまいりました。批評とか文壇とかマンガとか宮崎駿監督など様々なテーマについて語られましたが、僕が印象的だったことをまとめてみました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 『戦後60年』刊行の意味と歴史意識について 事件・出来事などを一つの時間軸に照らし合わせて、その時代の中でどのような評価を受けどのような影響を与えたのかというように読んでいくような作業がなされてなく、単なる「情報」として読み解かれている。 80年代にはまだ戦後からの時間軸が明確にみなに意識されていたので、逆に記号論やシステム論など非歴史的・脱歴史的な言葉を安心してカウンターとして使用できた。それが90年代以降カウンターにならなくなってきた。 今

    Kawakita on the Web - 『戦後60年』刊行記念 上野昂志+大塚英志トークセッション 参加
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    t_kei 2005/09/20
    「言葉の多義性が失われている。」
  • 名前はまだ無い: 「ニート」論の批判的検討(その2)

    4 結論  Aさんへのインタビューで重要なのは次の点である。すなわち、ひきこもってしまったことによって、換言すれば学卒即就職という「スムーズな移行」(小杉編 2005)からドロップアウトしてしまことによって自分が過剰なまでに準拠してきた価値を初めて意識化し、問うようになったのだが(*8) 、それでもなお、そうした価値へのこだわりを持ち続けているということ。このことは、「ニート」論では「ひきこもり」の全てを包含しえない、という報告の主張と直接的につながる。  新谷(2005)は、青年に対して働きかけを行なう側は何らかの「望ましさ」を想定しており、それを共有できない層にとってその働きかけは有効性を持ちにくいことを指摘している。だが、「ひきこもり」の当事者たちへ働きかける際の難しさは、彼らが「ニート」論において想定されている「望ましさ」に意味を見出せないことにあるのではない。むしろ、彼らは「働

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    t_kei 2005/09/20
    働くことへの「価値観を問う営みを保証することは」「「今のこの社会」のあり方を問い直す契機にもなる」
  • 名前はまだ無い: 「ニート」論の批判的検討(その1)

    1 問題の所在  近年「ひきこもり」に関わる人々の間では、当事者の高年齢化(伊藤ほか 2003)(斎藤監修 2004)や対人関係獲得後の閉塞状況(石川 2003b)を背景に、就労に対する関心が高まっている。2000年以降、「ひきこもり」論における重点はコミュニケーションの問題から就労の問題へと移行したことが指摘されているが(塩倉 2002)(*1) 、こうした中で「ニート」は「ひきこもり」を回収する形で登場してきたような印象を受ける(*2) 。  「ニート」は「学校に行かず、職業訓練も受けず、就職活動もしない状態」なので、「ひきこもり」も当然そこに含まれることになる(*3) 。また、「ニート」に関する諸議論でも「ひきこもり」はその一部として位置づけられている(*4) 。しかし、果たして「ひきこもり」を「ニート」に回収することは可能なのだろうか。  ここで着目したいのは、両者に関する議論の中

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    t_kei 2005/09/20
    働くことが当然であるという「そうした前提がまかり通っている社会のあり方までを問おうとする姿勢がある」
  • 研幾堂の日記

    Quemadmodum desiderat cervus ad fontes aquarum, ita desiderat anima mea ad te, "Veritas". Noli foras ire, in te redi, in interiore homine habitat veritas. An invenisti, anima mea, quod quaerebas? ΛΕΓΕ ΑΥΤΟΣ ΚΑΙ ΠΕΡΑΙΝΕ ex magna luce in intellectu magna consequuta est propensio in voluntate. 最新タイトル

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    t_kei 2005/09/17
    僕達は、いともたやすく本質からはずれてしまう。そして消耗し、気が付くと事態は悪化している。反省。