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historyとfighterに関するtachisobaのブックマーク (9)

  • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) 飛行可能なゼロ戦でも模造機なら収蔵対象にならないよね

    ゼロ戦の売却が記事になっている。サンスポ「日人所有の唯一の零戦が海外流出へ」がそれだ。 注目すべき点は、模造品であることを指摘する記述である。従来、ゼロ戦里帰りの寄付金事業では「回収したゼロ戦を修理した」といった前提があった。これはサンスポ記事にも痕跡が残っている。「石塚氏が所有している機体は、1943年に三菱で製造された零戦22型第3858号機。」の部分が該当する。 だが、今回の記事ではその説明と矛盾する記述が続いている。「朽ち果てていた」機体を「ロシアでほとんどの部品をリバースエンジニアリング」して「新造」したとされているからだ。 同機はパプアニューギニアのラバウル付近で朽ち果てていたが、1970年代に米国のサンタモニカ航空博物館により回収。その後ロシアでほとんどの部品をリバースエンジニアリングにより、製造当時同様に新造して復元された。 https://www.sanspo.com/

  • 【軍事のツボ】日本人所有の唯一の零戦が海外流出へ (1/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

    離陸準備する零戦22型3858号機。前を歩くのは石塚政秀氏、尾翼に手を添えるのが柳田一昭氏=2017年6月、茨城・竜ヶ崎飛行場(撮影・梶川浩伸) 第二次世界大戦で日海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(零戦、ゼロ戦)は、現在世界中で飛行可能な機体は5機のみ。そのうちの1機は日人所有で、2017年6月、戦後初めて日人パイロットの操縦により日の空を飛んだとして話題になった機体だ。しかし維持費の問題からオーナーが売却を決意せざるを得なくなり、海外に流出することがほぼ確実となった。ただオーナーは国内動態保存の望みも捨てきれず、契約が決まるまでの残された数カ月に「なんとか日が手を上げてくれないか」と話している。 現在、飛行可能な零戦を所有している唯一の日人は、ニュージーランド在住で、フライトジャケットなどを製造販売する「THE FEW」を経営する石塚政秀氏(57)。そして石塚氏が所有して

    【軍事のツボ】日本人所有の唯一の零戦が海外流出へ (1/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
  • 【銀幕裏の声】第二次世界大戦の主役は零戦だけに非ず 高速艦爆でアクロバット飛行、グラマン振り切った男(上)(1/4ページ)

    【銀幕裏の声】第二次世界大戦の主役は零戦だけに非ず 高速艦爆でアクロバット飛行、グラマン振り切った男(上) 零戦搭乗員の人生を描いた邦画大作「永遠の0(ゼロ)」や、真珠湾攻撃をテーマにしたハリウッド映画「パール・ハーバー」など国内外の戦争大作に登場する日軍機は圧倒的に零戦が多い。だが、元日海軍艦上爆撃機「彗星」搭乗員、大野徳兵衛さん(90)はこう反論する。「敵艦に爆弾を投下するために急降下し、艦砲射撃に身をさらすのが艦爆(艦上爆撃機)の仕事。航空戦で命を懸けていたのは零戦搭乗員だけではないのです」と。最高速度が零戦よりも速かった彗星。「追跡してくる米グラマン機をよく振り切りましたよ」と大野さんは豪語した。(戸津井康之) 零戦との連携プレー 南洋での初陣は圧勝 昭和19年、南洋の上空。高度約5千メートル、敵戦闘機の大編隊の約1千メートル上空で、大野さんは日海軍九九式艦上爆撃機(九九艦爆

    【銀幕裏の声】第二次世界大戦の主役は零戦だけに非ず 高速艦爆でアクロバット飛行、グラマン振り切った男(上)(1/4ページ)
  • 「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか?(栗原 俊雄) @gendai_biz

    特攻。今日では美化されて語られることの多い「十死零生」のこの作戦。一方で、はたしてその戦果がどの程度だったのか、が語られることは少ない。毎日新聞記者・栗原俊雄氏が、ある特攻隊員の証言と史料をもとに、歴史の闇に斬り込む。(前編はこちらから) 「特攻の記憶」 目の前に、「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機(一式陸攻)が飛んでいた。護衛のゼロ戦に乗っていた野中剛(1925年生まれ)は突然、「耳元でバケツを打ち鳴らされたような音を聞いた」。そして機体後部に「ガン」という衝撃を感じた。 1945年3月21月。海軍鹿屋基地(鹿児島県)から特攻隊が飛び立った。一式陸攻18機を基幹とする「神雷部隊」である。護衛のゼロ戦は30機。敵は九州沖南方の米機動部隊(航空母艦=空母を基幹とした艦隊)であった。一式陸攻は爆弾、魚雷も搭載できる軍用機だが、この日は初めての兵器を胴体に抱いていた。 その兵器こそ特攻のために開発さ

    「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか?(栗原 俊雄) @gendai_biz
  • まさか図面あるとは…隼製造「幻の飛行機工場」 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    旧日陸軍の主力戦闘機「隼(はやぶさ)」製造のため、終戦直前の1945年に山梨県の旧田富村(現在の中央市)に完成した「立川飛行機甲府製造所」について、工場の建屋の配置や建設過程を示す平面図が見つかった。 中央市教委が戦後70年の節目に合わせて実施した独自事業で探し当てた。終戦後、工場の資料が散逸し、全容が分からなくなり、「幻の飛行機工場」と呼ばれていたが、関係者からは「県内の戦争遺跡を解き明かす貴重な資料だ」と驚きの声が上がっている。 同製造所は当時、軍用機を製造していた「立川飛行機」(現在の立飛ホールディングス)の工場。 国や同社は戦況の悪化で、土空襲の不安から、生産拠点を分散させるため、釜無川左岸(中央市山之神付近)を選定し、1943年から建設を始めた。 当時を知る関係者の証言などから、工場の稼働は45年春頃とみられるが、物資が不足しフル操業しないまま終戦を迎えた。その後、取り壊され

    まさか図面あるとは…隼製造「幻の飛行機工場」 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 紫電改、最強伝説の謎に迫る

    紫電改、最強伝説の謎に迫る 「日にまだこれほどの精強部隊がいたのか」。先の大戦末期、日の敗戦が決定的となった中で土防空に奮戦する戦闘部隊があった。第三四三海軍航空隊。旧日海軍が最後に実用化した新鋭戦闘機「紫電改」を主力とする部隊だった。戦後70年たった今も語り継がれる最強伝説の謎に迫る。 「日にまだこれほどの精強部隊がいたのか」。先の大戦末期、日の敗戦が決定的となった中で土防空に奮戦する戦闘部隊があった。第三四三海軍航空隊。旧日海軍が最後に実用化した新鋭戦闘機「紫電改」を主力とする部隊だった。戦後70年たった今も語り継がれる最強伝説の謎に迫る。

    紫電改、最強伝説の謎に迫る
  • 朝日新聞デジタル:零戦を祖国の空に 修復され米現存の1機、「帰国」探る - 社会

    【動画】「帰国させたい」 日人所有の零戦パプアニューギニアで回収された際の機体=石塚政秀さん提供修復が進められる機体=石塚政秀さん提供修復され、飛行試験をする機体=石塚政秀さん提供日での登録を目指す零戦=石塚政秀さん提供石塚政秀さん  【野村周】1945年の終戦までに約1万機が製造された零戦。今も空を飛べるのは4機とされる。ただ、そのすべてが今はアメリカ国籍だ。このうちの1機を日に「帰国」させようと試みる人がいる。 「零戦」フォトギャラリーはこちら  栃木県出身で、いまはニュージーランド在住の石塚政秀さん(52)。パイロット用ジャケットの製造会社を経営するかたわら、航空専門誌などで執筆活動も続けている。  太平洋戦争の初期、零戦は高い運動能力、長い飛行距離、高速の3要素を実現し、日のものづくりの力を世界に示した。2008年、「かつての日の財産を日に」と石塚さんは動き出した。1年

  • 烈風改:幻のゼロ戦後継機…設計図、群馬で発見- 毎日jp(毎日新聞)

  • 大日本帝国軍の航空機:ハムスター速報

    大日帝国軍の航空機 Tweet カテゴリ画像系 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/11(日) 00:15:03.75ID:t3lZ8/jr0 大まかな説明しかしないが皆かわいい飛行機達です 喧嘩せずに見守ってやってください 3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/11(日) 00:16:48.12ID:+95whOH70 一式陸攻はまだか 7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/11(日) 00:17:39.31ID:S7n1yUiV0 震電マダー? 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/11(日) 00:17:19.33ID:t3lZ8/jr0 10式艦上戦闘機 他国のエンジンや技術を盗んで作ったハイブリッドな子 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:20

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