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historyとruinsに関するtachisobaのブックマーク (16)

  • 謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも:朝日新聞デジタル

    飛鳥時代の巨大な石張りの掘割(ほりわり、濠〈ほり〉)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、石の抜き取り穴や排水溝など古墳の横穴式石室の痕跡とみられる遺構がみつかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が1日発表した。遺跡が7世紀中ごろに築造された未知の古墳だったことが確定し、「小山田古墳」と命名された。 一辺約70メートルの飛鳥時代で最大級の方形の古墳の可能性が高まった。これほど巨大な未知の古墳の発見は異例。被葬者像をめぐり、7世紀前半に即位した舒明(じょめい)天皇(593~641)か、乙巳(いっし)の変(大化改新の発端、645年)で滅ぼされた豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし、?~645)との見方が出ている。 2014年に県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、多数の石材が張りつけられた掘割が出土。古墳の濠や居館、庭園などの見立てがあった。 今回、掘割の約65メ

    謎の遺跡、未知の巨大古墳だった 被葬者は蘇我蝦夷かも:朝日新聞デジタル
  • バルト海に発見された、水没した9,000年前の集落

  • 封印を解かれた「キリストの墓」の新事実 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

    イスラエルのエルサレム旧市街にある聖墳墓教会で、イエス・キリストの遺体が埋葬されていると伝えられる墓の調査が行われた。墓を覆い包むように建っているこの教会は、何世紀にもわたって破壊や修復が繰り返されてきたが、これまでに判明した調査結果からは、来の墓の一部が今も残っているらしいことがわかってきた。(参考記事:「『キリストの墓』数世紀ぶりに開けられる」) この墓はキリスト教世界で最も神聖な場所で、石灰岩の洞窟の壁を削って作られたもので、「石墓」と呼ばれている。石墓の上には、遅くとも西暦1555年、あるいはそれよりも数世紀前から、大理石の板がかぶせられていた。この覆いが設置されたのは、熱狂的な巡礼者が墓から石の欠片を記念品として持ち去るのを防ぐためだと言われている。 大理石の覆いが外された10月26日の夜、ギリシャのアテネ国立技術大学の保存担当チームが行った最初の調査では、覆いの下に敷かれてい

    封印を解かれた「キリストの墓」の新事実 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
  • 滋賀 彦根の遺跡に巨大建物跡 巨大勢力の拠点か | NHKニュース

    滋賀県彦根市にある弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、規模の大きな建物や、鉄製品を作っていた跡などが見つかりました。この場所に巨大な勢力の拠点があったと見られ、専門家は中国歴史書『魏志倭人伝』に記述のあるクニの1つの可能性があると指摘しています。 最も大きなものは、古墳時代前期の3世紀前半ごろに造られたと見られる縦16メートル、横11メートルほどの建物で、柱を据えた穴の直径は最大で1.5メートルに及んでいます。 これは、この時期の建物としては、奈良県桜井市にある邪馬台国の候補地の1つ、纏向遺跡の建物に次ぐ大きさだということです。 また、周辺の23棟の建物の跡から、焼けた土が混じった鉄の塊や破片など、合わせて6キログラム余りが見つかったほか、倉庫と見られる建物の跡も確認されました。 遺跡では、これまでの調査で、今の静岡県から鳥取県に至る各地の土器も確認されていて、市の教育委員会は、この場

  • 「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) - 日本経済新聞

    米ボストン美術館には大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)出土とされる古代の鏡や大刀などが収蔵されている。「1872(明治5)年、堺県(現堺市)の県令(知事)が立場を悪用して仁徳陵を発掘した際に持ち出した品」。こんな説が小説などを通じて広まっている。確かにこの年、堺県が「墳丘を清掃して石を取り払ったら穴が開き、石室を見つけた」との文書を国に提出している。これが意図的な発掘だったというのだ。出土した

    「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) - 日本経済新聞
  • ツタンカーメンの墓の“隠し部屋”、発掘調査に暗雲 「100%の確証が必要」

    古代エジプト王・ツタンカーメンの墓に隠し部屋がある可能性をめぐり、エジプト考古省が現時点では発掘調査を行わない方針を示した。 古代エジプト王・ツタンカーメンの墓に隠し部屋がある可能性をめぐり、エジプト考古省は5月8日、現時点では発掘調査を行わない方針を明らかにした。同国のハリド・アナニ考古相は「さらなる技術的・科学的な検証が必要」と話し、「100%の確証がなければ、壁に穴を開けるわけにはいかない」としている。

    ツタンカーメンの墓の“隠し部屋”、発掘調査に暗雲 「100%の確証が必要」
  • ストーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表

    英国の研究チームの発表によると、ストーンヘンジの建設に使われた石の一種、ブルーストーンが採石された場所と時期が特定されたという。(Photograph by Jim Richardson, National Geographic Creative) 英国の考古学者チームが2019年2月に学術誌『Antiquity』に発表した調査結果により、ストーンヘンジに使われている石の一部がどのように採掘・輸送されたかが明らかになった。 調査チームによると、5000年ほど前にストーンヘンジの建設に使われた特徴的な「ブルーストーン」が、英国ウェールズにある新石器時代の採石場2カ所で切り出されたことを示す数々の証拠が発見されたという。(参考記事:「沈黙の巨石 ストーンヘンジの謎」) かつてストーンヘンジに立っていたと推定される約80個のブルーストーンのうち、現在残っているのは43個。ブルーストーンはストーン

    ストーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表
  • 古代神話のオシリスの墓、発見

    シャフトを下るとそこには…ナイフをもった悪魔の間が… ルクソール西岸シェイフ・アブデル・クルナのネクロポリス(死者の町)で、古代神話オシリス神の墓をそっくり模した3200年前の墓が見つかりました。 オシリスの墓といえば古代エジプト最古の都のひとつ、聖地アビドスにある神殿「オシレイオン」が有名ですよね。 今回見つかったのはもっと年代の新しい墓で、構想的にはオシレイオンとほぼ同じ。冥界を統べる神オシリスの像(エメラルドに輝くご神体)は、中央の円天井の礼拝堂にあり、地下に続くシャフト(下図の中央にある竪穴)を9mおりると第1層の地下室、さらに6mおりると第2層の地下室2間に至ります。 ナイフを持った悪魔のレリーフが印象的な霊安室があるのは、中央礼拝堂の西側(上図では左側)にある空き部屋の前からシャフトを7m降りたところ。そして、同じシャフトを一番下まで降りていくと、そこには残骸だらけの部屋が2間

    古代神話のオシリスの墓、発見
  • 南米 ティティカカ湖で新たな発見 NHKニュース

    南米のボリビアとペルーにまたがるティティカカ湖の底から、インカ帝国時代の石像やおよそ2000年前の陶器のかけらなどが見つかり、この地域の古代文明の解明につながるかどうか注目されています。 ボリビアとベル-の標高およそ4000メートルにあるティティカカ湖では、ボリビアとベルギーの合同調査団が2か月前から湖底に沈んでいる文化財の調査を進めており、8日、これまでに2000以上の文化財を見つけたと発表しました。 中には、およそ600年前のインカ帝国時代の動物の形をした石像や、およそ2000年前の金メッキが施された陶器のかけらなどがあります。 隣国のチリから運ばれたとみられるものもあり、調査に参加している研究者は、この地域がスペインの植民地になる前から周辺地域と交流があったことを示すものだとしています。 この地域では、スペインに征服される前に当時の人たちが文化財を隠すために湖底に沈めたという言い伝え

  • ナスカで新たな地上絵 2人並んだ人物像 山形大が発表 - MSN産経ニュース

    ナスカで見つかった地上絵を3次元のCGを用いて再現した図(上)。下は再現された地上絵を上からなぞりかたどった図(山形大提供) 山形大は12日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ台地で、2人の人物が並んだ地上絵を新たに見つけたと発表した。左側の人物が、右側の人物の体を切った場面の可能性もあるとしている。 山形大によると、左側の人物は縦約13メートル、横約7メートルで頭部が逆三角形。右側は縦約14メートル、横12メートルで頭部は円形。右側の人物は頭部と胴体の間に、大きな隙間がある。 ナスカ台地周辺で出土した土器との比較などから、紀元前400年から同200年の間に描かれたと推定される。 多くの地上絵は、地表の石などを取り除いて作った「線」で描かれているが、今回の地上絵は小石を積み上げたり、取り除いたりして描いているという。

    tachisoba
    tachisoba 2013/04/12
    ゆるキャラに慣れた日本的な感覚で解釈してるような。この感覚は世界的な賛同を得られるのだろうか。
  • Sin City: It's the most moving exhibition of the year, capturing the moment entire families were burnt alive in Pompeii. But it also reveals how utterly depraved the Romans were

  • 「日本の古墳から古代ローマ帝国のガラス細工が発見」海外の反応 : 暇は無味無臭の劇薬

    京都府長岡京市にある宇津久志1号墳(5世紀前半)で出土していた重層ガラス玉が、1~4世紀の帝政ローマ領内で製造されたものと同成分だったことが分かり、長岡京市埋蔵文化財センターと奈良文化財研究所が21日、発表した。重層ガラスとしては国内最古級という。 奈良文化財研究所の田村朋美研究員は「中国南部でも同時期の重層ガラス玉は見つかっており、海路で日に伝わった可能性もある」としている。 宇津久志1号墳は一辺約7メートルの方墳で、1988年に、管玉などの副葬品とともに最大で直径5ミリの重層ガラス玉3点が出土したが、成分分析されていなかった。 同研究所が昨年度、蛍光エックス線分析で調査した結果、3点全てに金箔が付着していたほか、ガラスを溶かす際に、ローマ・ガラスの特徴である「ナトロン(蒸発塩)」を用いていることが判明。当時、帝政ローマの領内だったエジプトにはナトロンの産地があり、シリアと並んでローマ

    「日本の古墳から古代ローマ帝国のガラス細工が発見」海外の反応 : 暇は無味無臭の劇薬
  • スペイン洞窟壁画:4万年以上前、欧州最古と判明- 毎日jp(毎日新聞)

  • 松江・石屋古墳:国内最古の人物埴輪群 力士や武人など初 - 毎日jp(毎日新聞)

  • ストーンヘンジの石の起源、ついに判明!

    ストーンヘンジの石って5000年前の人類が160マイル(257.5km)離れた場所から運んできていたんだそうですよ! ひゃー! 英レスター大の地質学者ロバート・イクサー(Robert Ixer)博士とウェールズ国立博物館のリチャード・ベヴィンズ(Richard Bevins)博士が9ヶ月かけて記載岩石学(岩石に含まれる鉱物およびその組成関係を調べる学問) を応用して起源を辿ってみたところ、最初に並んだ列石のひとつはウェールズ州ペンブロークシャー近在の露頭「Craig Rhos-y-Felin」が起源と判明しました! ストーンヘンジの岩の起源が分かったのは、これが初めて。 観光写真でお馴染みの、そそり立つ岩(通称・サルセン石。何世紀も後に追加された)ではなく、輪の中の岩ですけどね。 そんな一枚岩ってほどでもないんですが、それでもかなりの大きさですから、「これだけの岩を一体どう運んできたのか?

    ストーンヘンジの石の起源、ついに判明!
  • Is the curse of Tutankhamun about to strike Downton?

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