増田薫 @masudakaoru_ 思い出野郎Aチーム サックス(@O__Y__A__T) デザイン イラスト 絵画教室 マンガ 学生食堂ワンダフルワールド(連載中) いつか中華屋でチャーハンを(単行本発売中) オモコロ(不定期掲載)部屋 instagram.com/masudakaoru_/ 連絡先 mfzb224@gmail.com note.com/masudakaoru_/
江戸は蕎麦、京坂はうどん!: 東西の麺文化の違いを克明に記した『守貞漫稿』(その2) 歴史 文化 2020.09.12 第1回では、江戸と京坂(上方)の文化の違いにショックを受けた商人・喜多川守貞が、江戸時代の百科事典『守貞漫稿』を執筆し、後世に残そうと考えるに至った経緯を解説した。今回は、その文化の違いの具体的内容である「食」、なかでも和食の代表である「蕎麦(そば)」「うどん」を、同書から紹介していく。 17世紀にさかのぼる東西の麺文化の違い 『守貞漫稿』は、17世紀中頃から、蕎麦を提供する飲食店が登場したと記す。「二八蕎麦は寛文四(1664)年に始まる。すなわち価十六銭(文)を云うなり」(十六文=約520円)一方の京坂では同じ頃、蕎麦より温飩(うどん)を好む人が多かった。蕎麦も提供してはいたが、温飩の人気が高かったので、屋号も「温飩蕎麦屋」だった。価格はやはり十六文。 現在も「関東は蕎
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