千原兄弟、中川家、ダイタク、ミキの兄弟コンビ集結、芸人になるきっかけ再現 2017年8月29日 17:19 1669 3 お笑いナタリー編集部 × 1669 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 317 1327 25 シェア
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千原ジュニアといえば、何? 「大喜利」と答える人がいるだろう。「すべらない話」と答える人もいるだろう。「そつのない司会」と答える人もいるだろうし、「残念な兄を持つ弟」と答える人もいるだろう。私にとっての千原ジュニアは「コント師」である。彼が手掛けるコントは、とにかく面白い。松本人志の影響を多分に受けていると言われがちなジュニアだが、少なくとも、コントに関しては彼の世界観が完全に形成されているように思う。 しかし、残念なことに、ジュニアのコント師としての側面はあまり語られていない。恐らく、彼がテレビなどのメディアを通じて、コントを披露してきたタイプの芸人ではないからだ。いや、そもそもの問題として、彼が生み出すコントの世界はあまりテレビ向きではない。ジュニアのコントは、例えば「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」などの娯楽番組で放送されているような、見た目に明るくて楽しいコントとは一線を画し
本日(2012年6月23日)「めちゃめちゃイケてる!」でのやべっち寿司のコーナーにおいて、1時間後の「人志松本のすべらない話」番宣…と名を借りた「吉本最大のタブー」が破られた。楽屋フロア前にて、ナインティナイン、千原ジュニア、加藤浩次、桂三度(元ジャリズム渡辺鐘)…そして無関係のよゐこ浜口優が同じ画面に揃ったのだ。関西の2丁目劇場から通う演芸通はひたすら驚いた。共演回数は地上波においてゼロな吉本の3人衆だったからだ*1。 これはライター、演芸評論家*2が総力特集で全員インタビューや各周辺芸人の証言を得た立派な時代歴史ルポ作成を希望したいが*3、如何せん今日放送なので先々の話になる。さぁとりあえず困った。と困った私の手元に一冊の「永久保存版の雑誌」が目を留めた。 今では500円のぼったくり…いや適正価格になった往年の「やりすぎコージー」みたいな雑誌だが、昔は150円で「これは本屋で売ってよい
昨今のテレビお笑い界には、「個人芸から集団芸へ」という大きな流れがある。90年代半ばの「ボキャブラブーム」以降、個人が面白いネタを演じたり面白い話をすることよりも、その芸人がいかに巧みにいじったりいじられたりするか、つっこんだりつっこまれたりするか、という芸人同士の「絡み」の技術の方が重視されるようになっていった。 96年に東京進出を果たした千原兄弟が、最近までなかなか芽が出なかった理由はこのあたりにあると思う。当時、大阪でナンバーワンの知名度と人気を誇っていた彼らは、東京のバラエティ界に少しずつ定着しつつあった集団芸の流れにうまく乗ることができなかった。 特に、弟の千原浩史(現・千原ジュニア)は「ジャックナイフ芸人」と呼ばれるほどとんがった性格で、誰かにいじられるのが大の苦手だった。さらに、まさにこれからという時期にジュニアがバイク事故に遭うなどの不運も重なり、千原兄弟は長い受難の時代を
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