月亭可朝 昭和の芸能界を赤裸々告白(下)…舞台の合間は暇でついつい女性と仲良く 拡大 落語家・月亭可朝(79)は現在もっとも昔かたぎの芸人の1人と言えるだろう。酒、女、バクチ、最初の師匠・三代目林家染丸からの破門。破天荒の見本のような生き方を貫いてきた。亡くなった人間国宝・桂米朝さん一門の筆頭弟子でありつつ“歌笑曲”「嘆きのボイン」を歌って80万枚の大ヒットになった。型破りな男の生きざまの激白を(上)(下)で。以下は(下)。 -「嘆きのボイン」がヒットした頃、可朝師匠は30歳くらい。多額の印税も入ってさぞモテたのでは。著書「真面目ちゃうちゃう可朝の話」は60歳ごろの執筆で、親密な関係になった女性の数が100人と書かれている。 数なんか自慢にならんけどな。寝つきにくいとき、羊が1匹、2匹って数えるやろ。僕は眠られへんときは自分がいった女を北から思い出すねん。北海道から。女1匹、女2匹や。70