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テレビと星野淳一郎に関するtakaaki110のブックマーク (2)

  • 伝説のテレビマン・星野淳一郎とは何者だったのか - 盟友・吉田正樹の証言(後編)

    2017年12月1日、57歳という若さで亡くなったテレビディレクター・星野淳一郎氏。盟友・吉田正樹氏にその伝説を聞くインタビューの前編に続いて、後編ではウッチャンナンチャン、ダウンタウン、野沢直子、清水ミチコによるバラエティ番組『夢で逢えたら』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』(いずれもフジテレビ)でのエピソードを中心に紹介。さらに、吉田氏が会長を務める「ワタナベエンターテインメント」の快進撃の秘密にも迫った――。 左から 山中秀樹フジテレビアナウンサー(当時)、小須田和彦氏(『ダウンタウンのごっつええ感じ』プロデューサー、現・フジテレビスポーツ制作センター ニュース総括)、星野淳一郎氏、吉田正樹氏=1997年ごろ、編集マンの結婚式にて(吉田氏提供) コント台はほとんど書いていた ――星野さんと吉田さんは一緒に『夢で逢えたら』をつくりますね。 『夢で逢えたら』のとき、プロデューサーの佐藤

    伝説のテレビマン・星野淳一郎とは何者だったのか - 盟友・吉田正樹の証言(後編)
  • 伝説のテレビマン・星野淳一郎とは何者だったのか - 盟友・吉田正樹の証言(前編)

    2017年12月1日、伝説のテレビディレクターが亡くなった。星野淳一郎(享年57)。『夢で逢えたら』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』(いずれもフジテレビ)をつくった男である。 "楽しくなければテレビじゃない"を象徴する『THE MANZAI』『笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』(同)を生み、一時代を築いたフジテレビの名物プロデューサー・横澤彪氏の懐刀としても知られているが、人が表舞台に出るのを嫌っていたらしく、著作はもちろん、インタビューなどもほとんど残されていない。 こうして人物像も功績もベールに包まれているが、それを埋もれさすわけにはいかない。そこで、『夢で逢えたら』などを星野氏とともに手がけ、もっとも彼を間近で見てきた、元フジテレビ・現ワタナベエンターテインメント会長の吉田正樹氏に、その"伝説"の実像を伺った――。 星野淳一郎氏(左)と吉田正樹氏=1990年ごろ(吉田氏提

    伝説のテレビマン・星野淳一郎とは何者だったのか - 盟友・吉田正樹の証言(前編)
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