人生に関するtaku-rockin-bluesのブックマーク (7)

  • クソみたいなラーメン作ってる

    2022/9/5 深夜にすいません。コメントをすべて読ませていただきました。 当にありがとうございます! 心臓がバクバクいってどうなるかと思いました!! ひとまずは転職を目標にしたいと思います。転職は今しかできないので…… 転職活動で納得のいく結果にならなかったら、弊社で上を目指そうと考えています。 重ね重ね、ありがとうございました。 (以下文) 深夜にすまんな。増田利用者の中では若手な方だ。30代前半の会社員男。たまに短文を投稿するくらいで、基は読んでるだけになる。 仕事のことで気になってることがある。転職を考えている。それとも働き続けた方がいいのか。人生経験豊富な増田の先輩方のご意見を伺いたい。 子どもの頃からずっと憧れだったラーメン作りの仕事。此処からキャリアを始めることができて、幸せな方だったと思う。今は辛い。無気力だ。やっていける気がしないし、やりたくもない。 今すごい精神

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  • 大器晩成の偉人たち 「もう手遅れ」の絶望と、「まだこれから」の希望のあいだで - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

    「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」 「それは、何の事なの?」 「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」 (太宰治「津軽」) 老い。 もともと厳しいこの人生を、こいつがさらに厳しくさせているように思えてならない。 「人生百年時代」などというが、何事かを成すなら早い方がいいに決まっている。 脳の研究によると、細胞やらシナプスやらの活動ためには、幼いうちから経験を積むことが必要だという。 プロの演奏家を目指すのに、年をとってからでは遅すぎる。 一流のスポーツ選手になりたいなら、子供のうちから競技に取り組んでいることが必要だ。 中年以降に名声を得るクリエイターたちにしても、十代・二十代から力を発揮し、評判の基礎を固めている。 早い

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  • 「夢を追いかける」ことは美しいことではないと思う - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

    (文・湊 うさみん) Aさんはミュージシャンを目指し、バンドをやっていました。インディーズでそこそこ売れたものの、そこそこ止まり。プロとして生計を立てるまでには至りませんでした。 その後、音楽をやめてフォトグラファーになりました。あらかじめ音楽が失敗に終わったときにセーフティネットを用意していたそうです。 努力は人一倍していた自信がある 昔、私は小説家を目指して投稿を続けていました。小説家になりたかったというよりは、なりたい職業が何もなくて、消去法で小説家を選んだ感じです。 ショートショートや短編も書いていたから、書いた作品数は100を余裕で超えます。 人生を頑張らない人間がひきこもりになると思われがちですが、この時の私はものすごく頑張っていました。8時間バイトをして、帰ってきたら小説を書くというサイクル。これだけ頑張っているのだからプロになれるだろうと確信していました。 20代の後半に差

    「夢を追いかける」ことは美しいことではないと思う - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-
  • 【炎上の正体】批判意見を怖がらなくていい理由【情報発信の障壁】

    なんだかんだ現在の俺はYoutubeチャンネル登録約4万人、Twitterフォロワー7,000人くらいになってて、日々賛辞から暴言まで多種多様な反応を貰えるようになった。 一年前の俺はまだ認知もされてない弱小ブロガーだったことを思うと、こんなに多数の反応を貰えるとは夢にも思ってなくて驚いてる。 俺は全体的に配慮に欠ける発信が多いから批判コメントを貰いやすいんだけど、別段それが悪いことだとは思ってないし直す気もない。 ただ、たまに「どうして批判に耐えられるの?」って聞かれることがある。 ということで今回は批判を恐れて発信できない人向けに、俺なりの批判意見との向き合い方を解説する。

    【炎上の正体】批判意見を怖がらなくていい理由【情報発信の障壁】
  • 3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会..

    3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会社で仕事をしている。 この増田を書いて数ヵ月後、 あなたが尊敬できなかった上司はその怠惰さのせいで地雷を踏み抜いて訴訟沙汰を起こし、職場が分かれてもう3年顔を見ていない。 その余波で、あなたも勤めるオフィスが変わり、周りの人もほぼ別人になった。 あなたが大嫌いだった人とも、今や一年に一度顔を会わせるかどうかというところだ。 オフィスが移ってからも、しばらくあなたは誰のことも信用できずにいるけれど、なんとか少しずつうまく付き合えるようになってきた。 あなたのしてきた仕事は少しずつ形になり、あなたの持つささやかなスキルは職場で役割を得始めている。 通勤時間は30分伸びたけど、あの頃よりずっと朝起きやすい。 あのとき荒れ放題だった部屋は友人を招ける程度に片付いている。 ストレスと薬の副作用で20kg増えた体重は、ほんの少しの努

    3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会..
  • 引きこもって20年経ったが外に出たい

    もう39歳で人生詰んでるのはわかってるけど、この状況から出たい。どうしたらいいかわらないけれど。 親はもう70歳でこれまでずっと心労だけかけてきて申し訳ない。 なんで引きこもりになったのかはずっと積み重なってたことだけど、最終的にはバイトで休むときにシフトに入る代わりの人を見つけられなかったから。当に馬鹿な理由だ。 馬鹿みたいなことだけど、出来なかった。 中高といじめられてきて高校をなんとか卒業したときはボロボロだった。大学受験なんてやれる精神状態じゃなかった。 母は浪人すればいいと許してくれたが、父は浪人は許しても受験勉強もしないでゴロゴロ家にいるのは許さないと言われた。 それでファーストフード店のバイトの面接して受かって、でもバイト内でもどんどん馬鹿にされていって単純な仕事もミスばかりする無能で、そしてシフト代わることを頼まれると断れなかった。 どんどん休みたい人のシフトを交代してた

    引きこもって20年経ったが外に出たい
  • 何がしたいのか分からないまま人生が終わった

    小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。ゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

    何がしたいのか分からないまま人生が終わった
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