ハフポスト日本版の「#私たちのフェミニズム」、高崎順子氏の「もっとフラットに“フェミニズム”を語る機会はないだろうか。専門家でなくても、より身近な“私ごと”として、この言葉に触れられないだろうか」という問いかけには共感できるし、初っ端に西村博之氏を据えるということは賛否両論上等で、シャンタル・ムフ氏の闘技的民主主義のようなアプローチなのかな、と期待していたところ、後編で竹下隆一郎編集長が出てきて「前編の記事にはたくさんのご批判をいただきました。記事ではこうした企画意図や取材のルールについての丁寧な説明が不足していたと感じています」といい、西村氏の見解について注釈を入れるべきだったと反省・謝罪の弁を入れていて思いっきりズッコケた。 ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?(ハフポスト) 家事分担の偏り、女性政治家が少ないこと。ひろゆきさんと