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英国をルーツにしたジョースター家を巡る数奇な物語を描いたマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」。1987年1月1日発行の「週刊少年ジャンプ」で連載を開始し、今年で25周年を迎えた大河作品だ。単行本はシリーズですでに100巻を超え、その累計発行部数は8000万部を上回っている。 連載25周年に当たる今年は、NTTドコモからコラボモデルのスマートフォン「L-06D JOJO」が1万5000台限定で8月に発売され、予約受け付け後すぐに終了する店が続出。ローソンなどのコンビニでも、コラボスナックなどを揃えたキャンペーンが展開され、グッズの売り上げが伸びている。 また、10月からは初のテレビアニメが放送開始。現在は1部の「ファントムブラッド」を舞台に、主人公のジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの成長と対決の物語が描かれている。7~8月には作者の荒木飛呂彦氏の出身地である仙台市で初の原画展を開催。そ
「ニフティ」「はてな」「GREE」を経て、最近フリーのプログラマとして新たなキャリアをスタートさせた伊藤直也さん。スタートアップと大手企業の両方を経験した伊藤さんが考える「理想のキャリア」とは? エンジニアの理想のキャリアとは? WEB・IT業界は、できてまだ数十年の若い業界である。第一人者たちが未だ現役ということも少なくはなく、それゆえ業界における理想的なキャリアというものが確立されているわけでは決してない。エンジニア一人ひとりが試行錯誤しつつ、自らのキャリアを模索していかなければならないのが現状だ。だからこそ、見識ある先達たちが自分のキャリアをどのように考え、どういったキャリアを選んでいるのか知ることが重要なのではないだろうか? そこで今回は、スタートアップと大手企業の両方を経験した伊藤直也さんに、エンジニアにとって理想のキャリアとは何なのか、考えを伺った。 エンジニアが、企業に属する
話題のiPhoneテザリングサービス「t.free」を開発したのは、米国出身のクリストファー・テイトさん(24)だ。17歳で著名なネットサービスを作り、その後来日して5年。「技術の力でもっと自由につながりたい」と、サービスを作り続ける。 この夏、期間限定で公開された「t.free」が大きな反響を呼んだ。iPhoneを利用し、Mac OS X搭載機をインターネットに接続できる無料のテザリングサービスで、ITベンチャーのコネクトフリーが開発。iPhoneに専用アプリをダウンロードしたり、“脱獄”させる必要のない画期的なサービスとして人気を集めた。 「便利すぎておそろしい」「助かってます!」「神ツール」――Twitterにはユーザーの喜びの声があふれ、開発したクリストファー・テイトさんに届く。テイトさんはコネクトフリーの社長兼開発責任者で、1988年生まれの24歳。京都に住み、日本向けサービスを
ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃 編集長:Kazuhisa カメラマン:田井中純平 12→ ファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)黎明期の1985年12月にアイレムから発売された,「スペランカー」という作品をご存じの方も多いだろう。自分の身長程度の高さから落ちるだけで死んでしまうという,「テレビゲーム史上最弱」と讃えられた(?)冒険家が主人公として活躍するアクションゲームだ。ひ弱な主人公の伝説は,当時その難度に歯ぎしりしたファンから,その頃まだ生まれていなかった若いプレイヤーにまで広く伝えられ,発売から27年が経過した現在も愛され続けている。 「みんなでスペランカー」 そんなスペランカーをこの時代にリメイクし,「みんなでスペランカー」として,日本の現地法人と共に自社ブランドでリリースしている
「ICO」と「ワンダと巨像」のリマスター版を迎えて。上田文人というゲームデザイナーは,何を考えて作品を創るのか――日本が誇るゲームデザイナーがみっちり語る2時間 編集長:Kazuhisa カメラマン:田井中純平 12345→ 2000年3月に登場した「プレイステーション 2」(PS2)の興奮が一段落した2001年末に突如登場した,アクションアドベンチャーゲーム「ICO」。そしてそれから4年後,「プレイステーション3」(PS3)発売が見えてきた,PS2最終期とも呼べる2005年11月に颯爽と登場したアクションゲーム「ワンダと巨像」(以下,ワンダ)。足かけ16年間にわたるゲーム業界での生活の中で,わずかにその2作品しか世に送り出していないにも関わらず,掛け値なしに世界的な評価を受ける日本のゲームデザイナーが,上田文人氏である。 ソニー・コンピュータエンタテインメント ゲームデザイナー 上田文人
「プログラマーのスキルはある一定のラインを超えたところで急激に伸びるんです。そのラインは早く超えるには、OSSの開発に参加していろんな人が書いたソースコードをたくさん読むというのは有効な手段の一つだと思います」――こう語るのはLinuxカーネルおよびRubyの現役コミッターである小崎資広氏だ。 小崎氏には前回、LinuxカーネルやRubyの開発に関わった経緯や、コミュニティ活動を円滑にするポイントをうかがった。今回は、これからOSSコミュニティに参加しようと考えている若手エンジニアに向けたアドバイスをお願いしよう。 関連インタビュー 【インタビュー】コミュニケーション力向上に役立ったOSS活動 - Linux/Ruby 小崎資広氏 【インタビュー】言語は思考にも影響を及ぼす、だからRuby開発を選んだ--まつもとゆきひろ氏 【インタビュー】Rubyが大きくなれたのは、私に隙があるからかな
“俺たちのセガ”がやってくれた! 男子トイレで遊べるゲーム「トイレッツ」はセガの社内トイレで開発が進められた。男子の聖域で熱き男のバトルが楽しめるゲームの裏には、構想から足かけ5年、苦闘の物語があった…… 今年の夏、セガ(東京都大田区)の男子トイレでは、かつてないゲームの開発が佳境を迎えていた。店舗用電子POP「トイレッツ」。男性用小便器に取り付け、スピードセンサーで計測された尿の勢いや量で遊ぶゲームで、広告表示ができるというもの。10月に居酒屋「養老乃瀧」チェーン40店で先行導入されると、Twitterやブログで「セガの本気」「俺たちのセガ」と話題を呼び、プレーする男性が続出。しかし、構想から5年、11月21日の正式発売までには、ゲームの老舗セガが経験したことのない数々の困難が待ち受けていた。 「女性には理解されないかもしれませんが……」と切り出したのは、トイレッツを発案者で開発チームチ
現在の場所:ホーム / News / 日本の異能 猪子寿之氏「茶道からマリオブラザーズへ。文化+テクノロジーこそ日本の歩むべき道」 【湯川】 [読了時間:3分] チームラボの猪子寿之さんとじっくり話する機会を得た。最後に彼とゆっくり話をしたのは、もう数年も前になる。そのときに比べると彼の主張はずいぶん進化したように感じた。以前は漠然としていた抽象概念が、理論的にも明確になってきたように思う。「手を動かしているからですよ。実際に手を動かさないと考えは進化しないから」と言う。 その「手を動かして」作った最近のプロジェクトを幾つか見せてもらった。 大衆演劇の人気俳優、早乙女太一さんの舞台を昨年から支援しているのだそうだ。動画は今年の新春公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-だ。 ・ チームラボといえば、こうした文化的なプロジェクトが話題になることが多いが、実際には東京と上海のオフィスに勤める約300人の
福田尚久さんインタビュー 「スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける」 福田尚久さん,93年アップルコンピュータ入社,97年同社事業推進本部長,99年同社マーケティング本部長,01年米国本社副社長,02年退社 現在は日本通信株式会社専務 10月12日の放送「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」では、97年から2002年までジョブズさんとともに仕事をした福田尚久さんにインタビュー取材をさせていただきました。ジョブズさんの人物像に迫るあまりにも貴重なインタビューのため、放送で紹介できなかった部分も含めて、福田さんの許可を得て特別に掲載させていただきます。 理想と現実がちがうことを悔いていたジョブズさん 2人で話しているときに、彼が「自分には1つだけ悔いの残ることがある」と言ったことがありました。それは「85年にアップルを辞めてしまったことだ」と。「もしあのときに自分が辞
約100万PVのモンスターサービス、ザ・インタビューズの中の人にインタビューしてみました! 2011年9月6日 in Web もう既にご存知の方もたくさんいらっしゃるんじゃないかと思いますが、ここ最近急激な伸びをみせているWebサービスがあります。知っている誰か、知らない誰かにインタビューを投げかける。答える。ザ・インタビューズです。 ソーシャルで繋がることが当たり前になった今だからこそ、さらに深いコミュニケーションを求め、もっと自分のことを知ってほしい、知りたいというユーザーが増えている、という背景があるように見えます。 驚くべきことに、このサービスは、約5日で作ったサービスであり、なんと1ヶ月で約100万PV/日ユーザーに利用されている。そんなモンスターサービスを生み出した株式会社paperboy&co.(ペパボ)の福ちゃんズ代表 福田さんにお話を聞いてみました。 福田さん:株式会社p
昨年夏、『ニコニコ生放送』で為替取引の様子を放送し一躍旋風を巻き起こした人物がいる。彼の名はGFF(通称“グフフ”)。GFFさんは10万円を元手に為替取引を始め、わずか2か月弱の間で最大6億円もの利益をたたきだした。他人のトレードの様子を垣間見ることすら新鮮に感じられた当時、リアルタイムに100万円単位のお金が増減するGFFさんの人並外れたトレード放送は、我々視聴者にとってあまりにも刺激が強すぎた。その負け知らずの華麗なトレードはのちに数多くのフォロワーを生み出し、また彼の放送がきっかけで為替取引の世界に足を踏み入れたという人も少なくない。 今回そのGFFさんとコンタクトが取れたので当時の心境や今後の展望について伺ってみた。 GFFさんの手法が確立されるまで -GFFさんが為替取引を始めたのはいつ頃ですか? 2008年の10月頃です。ちょうどリーマンショック(米国の投資銀行リーマンブラザー
「自分が使いたいものを、ピュアな気持ちで」 家計簿アプリ「Zaim」を開発した閑歳さん(1/2 ページ) ソーシャル機能を持つ家計簿アプリ「Zaim」を個人として開発した閑歳孝子さんは、MacBook Proを駆使して通勤電車内でもコードを書く。「プログラミングは編み物に似ているので、女性に向いている」という。 TwitterやFacebookと連動するソーシャル家計簿アプリ「Zaim」(ザイム)がヒットしている。7月19日にiOS版がリリースされた直後にAppStoreのファイナンス部門で1位にランクイン、4日間で1万DLを突破した。開発したのは、気鋭のエンジニアとして注目を集める閑歳孝子さん(32)。アクセス解析ツールを手がけるユーザーローカルの社員だが、今回は個人としてサービスを立ち上げた。「ピュアな気持ちで作りました」という閑歳さんに、開発の舞台裏を聞いた。 Zaimの特徴は、「簡
「チェルノブイリの住人は被曝していると言われても、他に知っている土地はないし、その場で暮らし続けて、この芋は汚染されてるんだよって、笑いながらそれを食べるという生活をしていた。あれが我々の未来図」 これは、ずいぶん前に、宮崎駿が言っていたこと。 現在の日本と近いんじゃないでしょうか。 原発事故による、避難区域の総面積は、約3000平方kmだそうです。神奈川よりも広い空間が、この先20年から30年住めなくなることは確実で、日本の国土の1%近くが失われたことになります。 宮崎駿といえば、風の谷のナウシカで環境汚染について問題提起してきましたが、もうひとつ、汚染された地球を舞台にした作品が、チャゲ&飛鳥のPVとして作られた「On Your Mark」です。 この作品について、15年ほど前にアニメージュに掲載されたインタビュー記事があるのですが、いま読むと、まるで現在の状況が来ることを想定して言っ
ジブリは決して続編を作らない有名ゲームスタジオのようなもの――スタジオジブリに入社したドワンゴの川上量生氏が見た,国内最高峰のコンテンツ制作の現場とは 副編集長:TAITAI カメラマン:田井中純平 1234→ 川上量生氏といえば,あのニコニコ動画を運営するドワンゴ(正確には,運営は子会社のニワンゴ)の代表取締役会長として知られる人物である。 スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが書いた川上量生氏の似顔絵 以前,4Gamerでもインタビューをしたことがある同氏だが,その明瞭かつ論理的な思考力と,どこか捉えどころのない考え方は非常にユニーク。「なるほど。この人にして,ニコニコ動画あり」と思わせるほど,その発想は独創的だ。 そんな川上氏だが,なんとドワンゴの代表取締役会長という肩書きを持ちながらも,あの宮崎 駿&鈴木敏夫らが率いるスタジオジブリに“カバン持ち”として入社したのだという。 着メ
安全ちゃんは、「革命的オリーブ少女主義者同盟演説」や「共産主義的煮込みをつくろう!!」など、ファッションや料理に政治思想を融合した奇抜すぎるタイトルのコンテンツで注目を集めているブロガー(自称「貧困ガール」)だ。 単にネーミングセンスがユニークなだけでなく、豊富な知識と考察に裏打ちされた硬派なテキストを散りばめながらキャッチーな素材をテンポよく紹介するという、難易度の高い仕事をハイレベルに仕上げる腕が彼女の神髄といえる。 徹底的に練り込んだ個性的な文章から、ブログ「安全ちゃんオルグ日記」は、年間10本に満たない年もあるほど更新頻度が低いが、記事がアップされるたびに話題を呼ぶようになった。更新頻度の高さが重要なカギとなるブログメディアとしては、人気の保ち方が異例といえる。 顔の見えるインターネット 第94回は、そんな安全ちゃんの思考回路とその奥にある狙いを探ってみたい。 安全ちゃんオルグ日記
声優で歌手の水樹奈々さん(31)は、声優出身者として初めて音楽チャートの1位に輝くなど、めざましい活躍を続けています。幾度の苦難を乗り越え、つかんだ夢。あえて“二兎を追った”ことが、自身を成功に導く大きな力となりました。(小野田雄一)■5歳から歌い始め 亡き父の姿を思い出すと、どうしてもその光景がよみがえってくる。歯科技工士だった父、信光さんのもとで、歌の練習をする自分の幼い姿。父は自らも演歌歌手を目指した時期があった。果たせなかった思いを娘に託したのだ。 最初の手ほどきを受けたのは5歳の時。以来、生活は歌を中心に回り始めた。必然、子供の楽しみは“お預け”の状態に。家でテレビを見ることはもちろん、放課後に友達と遊ぶことさえ禁じられたという。歯科用ドリルの音が伝わってくる自宅脇の作業場で、騒音に負けない声量をひたすら磨いた。それが今の歌唱力を支える根っこになった。 結果からいえば、父の願いは
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