思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
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神戸新聞の元日配達号に「中高生のために」一文を草して欲しいと頼まれた。 困難な時代を生きる君たちへというタイトルを頂いた。 神戸新聞購読者以外の方の眼には止まらなかったものなので、ここに再録する。 みなさんがこれから生きて行く時代はたいへんに困難なものとなります。 戦争に巻き込まれるとか、大災害に襲われるとかいうことではありません。そうではなくて、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないということです。 まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることがむずかしくなった。 ただし、「むずかしくなった」だけで、まるで不可能になったわけではありません。そこがむしろ問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も
文章を読むときのアタマの情報処理は、大きく分けると次の2つがある。 文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理と、頭の中の情報を本の情報と結びつける(アタマ→文章)処理だ。 すぐにわかるように、自分の中に、その本の内容と結びつけるものが少ないと、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理が優勢となる。 実は、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理だけの読書はつまずきやすい。 頼りになるのが文章から来る情報だけになるから、単語や語句に、文や段落のつながりに、文章のテーマや取り上げられるトピックに、そのどこかに分からないところがあると、途端に理解に支障が出るからだ。 逆に、自分のアタマから文章へ向かう情報が豊富だと、文章から来る情報に不明な点があっても、何とか進むことができる。 このことは、特に難しい本や外国語の本を読むときには、心にとめておいた方が良い。 アタリマエのことだけれど、
そういえば昔、小林よしのりが「公と私」をすっぱり切断して暴論を展開していた。たしかに公私を形式的に分離するのが近代の原則ではあるが、私とは集団的なものでありえるし、個人は公的存在たりえる。小林のいっていた公ってのは、実は集団的な私にすぎないしな。 http://twitter.com/#!/tikani_nemuru_M/status/74071909687492609 とツイッターで発言したら説明を求められましたにゃー。以前からさくっとまとめようと思っていた事柄なので、メモもかねてこちらにあげますにゃん。 まず訂正から。 小林よしのりが「戦争論」などで言っていたのは「公と私」ではなく、「公と個」の関係でしたにゃ。 この「公と個」という設定を見るだけで、小林が公共性も個人主義もまったく理解できておらず、その主張する「公」とやらが実は肥大化した「私」であることは明らかだと僕には思えますにゃ。
海外で反響のあった「無神論者のおばあちゃんが昨日亡くなった」という書き込み 人は死を間近に感じるほど、何かに頼りたくなるものです。 神だったり哲学だったりと、なにか心の支えが欲しくなるかもしれません。今は信仰がなくても、死を目前にしたときにないとは限らないのですから。 海外掲示板に投稿されたある文章が、話題を呼んでいました。 昨日、うちのばあちゃんが86歳で他界した。死に際に医者が、心の支えとして宗教上の付き添いが必要かを尋ねると、無神論者ばあちゃんは「自分の強さは『水』から来ている」と言った。いなくなったばあちゃんを恋しいと思う。 死ぬときに威厳を発揮するというのは素直にすごいと感心してしまいますが、無神論が珍しい欧米では関心の度合いもより大きいようです。 海外掲示板のコメントを抜粋してご紹介します。 ・それはすげぇー。 ・カッコいいばーさんてのは自動的に人気だ。 ・自分も年取ったらそう
2010/10/197:0 「消極的義務」の倫理 ――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 小山エミ ◇「トローリー(トロッコ)問題」という思考実験◇ 今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優位社会でもある哲学界において、二十世紀中盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復権に大きく貢献した哲学者の一人であり、前世紀を代表する女性哲学者の一人として記憶されることになるだろう。 「あなたは路面電車の運転手で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業
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