ガリ版刷り資料・完全版はこちら 初代国鉄総裁・下山定則(当時47歳)が命を落とした、1949年の「下山事件」。発生の54年後に僕が取材を始めてから、すでに3年が経過していた。その間、米政府に情報公開請求して占領期の公文書を取り寄せてみたり、事件を捜査した元検事宅を訪ねて取材を試みたりしたが、これといった成果はなかった。2006年、僕は東京本社の「教育ルネサンス」取材班で仕事をしていた。教育ルネサンスは、ユニークな教育活動に励む学校や教師を取り上げる長期連載で、読売新聞の看板企画の一つだ。その「本業」に打ち込みながら、ひそかに下山事件を追っていた。 新資料との出会い、現場近くの展示会場で いつものように会社で新聞を走り読みしていたある日、見出しに目が吸い寄せられた。「下山事件 貴重な資料展示 遺族の証言、捜査報告書掲載誌」。2006年5月10日の読売新聞朝刊都民版だ。記事はこう始まる。 「占