景観、風致政策に関するYOWのブックマーク (5)

  • 情緒的な「里山」概念の危うさ - 空飛ぶ教授のエコロジー日記  (Y日記)(研究業務用)

    GFBさんのツイート(https://twitter.com/MC_sashiba/status/918463407363260416)で、トキやコウノトリの野生復帰をめざす事業が行政の後押しも受けてやや前のめりになっていることを知りました。ツイートにリンクされている行政文書を斜め読みして、とりあえず以下のツイートを書いておきました。 「関東でトキやコウノトリの野生復帰を目標にする計画は、「自然再生事業指針」にまとめた原則(下記)に照らして、再検討が必要だと思います。まず、「基認識の明確化」が不十分。」 この手の野生復帰事業は、植物の移植と一緒で、復帰先(移植先)の環境を整えずに、放鳥(移植)をやろうとしています。復帰先(移植先)の環境を整えて、自然に分布を広げてくれるようにするのが基です。復帰先(移植先)の環境を整えずに放鳥(移植)しても、うまくいきません。これは生態学的な復元事業の

    情緒的な「里山」概念の危うさ - 空飛ぶ教授のエコロジー日記  (Y日記)(研究業務用)
    YOW
    YOW 2019/05/22
    「上記の『環境史とは何か』は、「昔の日本人は自然と調和した暮らしをしていた」というような情緒的な見方を、根拠にもとづいて批判的に検討することを意図して編集された本です」だが、ジャレド・ダイアモンド
  •  「環境史とは何か」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    環境史とは何か (シリーズ日列島の三万五千年―人と自然の環境史) 作者: 湯貴和,矢原徹一,松田裕之出版社/メーカー: 文一総合出版発売日: 2011/01/29メディア: 単行購入: 4人 クリック: 47回この商品を含むブログ (5件) を見る 書はシリーズ「日列島の三万五千年ー人と自然の環境史」の第一巻である.このシリーズは日列島へのホモ・サピエンス渡来以降,つまり後期旧石器時代以降どのような自然環境の変化があったのかが主題であるが,特に「近代化以前には「賢明な利用」があったとされることが多いがそれは当か」という問題を事実に即して見ていこう,そしてその中で今後の教訓となるものは何かという問題意識に沿って編集されている.第一巻である書では総説的な問題が取り上げられている. 序章では「生物文化多様性」「賢明な利用」「伝統的生態知識」「コモンズ」「ガバナンス」などの基礎概念

     「環境史とは何か」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
    YOW
    YOW 2019/05/22
    『環境史とは何か』についての書評だが、「第4章ではよりグローバルな環境利用史が解説されている.ジャレド・ダイアモンドの著作を紹介しつつ」
  • 「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) - 日本経済新聞

    米ボストン美術館には大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)出土とされる古代の鏡や大刀などが収蔵されている。「1872(明治5)年、堺県(現堺市)の県令(知事)が立場を悪用して仁徳陵を発掘した際に持ち出した品」。こんな説が小説などを通じて広まっている。確かにこの年、堺県が「墳丘を清掃して石を取り払ったら穴が開き、石室を見つけた」との文書を国に提出している。これが意図的な発掘だったというのだ。出土した

    「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) - 日本経済新聞
    YOW
    YOW 2019/05/18
    「ボストン収蔵品は岡倉天心が買い付けたものだった。当時の記録で唯一残る会計報告書には古代の墓とのみ記され、仁徳陵の名は無かった」が、仁徳陵出土となってると
  • 五色塚古墳 - Wikipedia

    五色塚古墳(ごしきづかこふん、千壺古墳<せんつぼこふん>)は、兵庫県神戸市垂水区五色山にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財・神戸市指定有形文化財に指定されている。 兵庫県では最大規模の古墳で[注 1]、4世紀末-5世紀初頭(古墳時代中期)頃の築造と推定される。日で最初に復元整備が行われた古墳として知られる。 項では、五色塚古墳の西側にある小壺古墳(五色塚古墳と合わせて国の史跡)についても併せて解説する。 概要[編集] 兵庫県南部、神戸市西部の垂水丘陵南端部において、眼下に明石海峡を、対岸に淡路島を望む位置に築造された巨大前方後円墳である。古墳名の「五色塚」や「千壺」は江戸時代から見られる呼称で、「五色塚」の由来には諸説があり詳らかでないが[注 2]、「千壺」の由来は墳丘上の埴輪群によるという[1]。古墳域は戦前には松林として保護されていたが、戦中に松

    五色塚古墳 - Wikipedia
    YOW
    YOW 2019/05/18
    復元工事したのはいつか、書かれてないな
  • 近世から近代の日本で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない

    ブラスコウ/秋友克也 @sjxqr393 文芸翻訳家(主にアメコミ)で模型作例ライター。大阪市在住。著書『リビングで塗れるプラモ 水溶きアクリル筆塗りテクニック』(新紀元社)発売中! フォロー、解除ご自由に。ブログ始めました。お仕事のご相談はメッセージでお願いします。 modelograd.blog.fc2.com ブラスコウ/秋友克也 @sjxqr393 近世から近代の日で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない。燃料を薪に依存していたためであり、大規模火災が多くて定期的に建築ラッシュが起こったためでもある。当然ながら山の保水力は低く、激甚な水害を招いた。 pic.twitter.com/jD9VsPnyV4 2019-03-22 04:43:48

    近世から近代の日本で、都市近郊の山岳がほとんど禿げ山だったことはあまり知られていない
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