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増田と哲学に関するYoshiCivのブックマーク (2)

  • http://anond.hatelabo.jp/20130722020017

    自分は哲学を専攻していたわけじゃないので、思想史的な詳細とか厳密なあれこれはすっ飛ばす。こちら( http://anond.hatelabo.jp/20130724000643 )の人が既に仰っているけど、そもそもこれが「初歩的な勘違い」という認識(=現在の「常識」)は、100年前くらいになると常識でもなんでもなかったのよ。たとえば「理性」の問題。中世のキリスト教神学全盛期ならともかくとして、近代でもカントくらいまでは理性によって様々な哲学的問題が解決できると信じられていた。だから「理性とは何か」という理性の質が近代哲学(ただし大陸系)の中心的な問いになっていたけど、それを解体したのが、厨二厨二と揶揄されることもあるニーチェ、理性ではどうにもならない「無意識」の領域を研究したフロイトだったりする。100-150年前。たとえば「経済」の問題。経済学がちゃんとした一分野になったのはここ2-3

    YoshiCiv
    YoshiCiv 2013/07/24
    はてな大学哲学討論会
  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
    YoshiCiv
    YoshiCiv 2013/07/24
    はてな大学哲学講義
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