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人生と戦争に関するamanoiwatoのブックマーク (11)

  • 【感想・批評】中沢啓治『黒い雨に打たれて』 —怨念と情熱の「黒」— | 天の古井戸

    ※作品のネタバレを含みます。 毎年、八月が巡ってくるたびに日では原爆祈念日、終戦祈念日などを迎えてさまざまな行事、特集などが組まれておのずと感慨を興させるのだが、さすがに戦中生まれの世代が少なくなり、それほど大々的に取り扱われることはなくなっているような気がする。それでも、幾多ものいまだに戦後生まれの中年以降の世代にも少なからぬ衝撃を与え、読まれ語り継がれ続けているのが中沢啓治・作『はだしのゲン』であろう。 原爆の惨状を中心に、戦中戦後の数多の混乱や困難に真っ向から立ち向かいひたむきに逞しく生き抜く少年・ゲンとその仲間、家族たちの生き様は現在に至るまで多くの読者にインパクトを与え続けている。それは時に、やや古くさい絵柄と大仰でベタ過ぎるストーリーと演出がパロディとしてネット上でしばしば取り上げられ定番になっているネタもある、という形でもあったりするのだが、作者の中沢氏としては「とにかくど

    【感想・批評】中沢啓治『黒い雨に打たれて』 —怨念と情熱の「黒」— | 天の古井戸
    amanoiwato
    amanoiwato 2016/08/17
    中沢啓治『黒い雨に打たれて』『はだしのゲン』などの書評。すでに大半の読者には周知のことですが、中沢啓治の戦争や原爆を題材にした作品は決して「反戦マンガ」ではない、ということです。
  • 僕は、戦争を知らない - カメントツのブログ

    2016 - 01 - 07 僕は、戦争を知らない こんにちはカメントツです。 今回は、諸事情で原稿にならなかった「ネーム」を公開します。 なぜ原稿にならなかったかと言いますと企画が立ち上がりが2015年の終戦70年に「何か戦争に関わる企画ってできませんか?」と某出版社の方からお話があり 「でしたら戦争を体験をした人の話を聞いて漫画にするプロジェクトを立ち上げたいのですが、どうでしょう?」という提案と一緒に以下のネームを添付したのですが色々と折り合いがつかず企画が頓挫してしまいました。 もともと書籍のプロローグとして使うエピソードだったのですが、このまま眠らせておくのももったいないと思い思い切って公開します。 ほぼ1年前のネームなので読みにくい箇所恥ずかしい箇所多々ありますが…よければどうぞ! ↑追記:後に調べたところ焼夷弾って絵のような長いものではないそうです。 何か、昔見たの映画で槍の

    僕は、戦争を知らない - カメントツのブログ
  • 町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー『不屈の男 アンブロークン』を語る

    町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、アンジェリーナ・ジョリー監督の映画『アンブロークン』を紹介していました。 (赤江珠緒)では、今日の題に行きましょう。 (町山智浩)今日はね、アンジェリーナ・ジョリーって女優さんが監督した映画で『アンブロークン』っていう映画についてお話します。 (赤江・山里)はい。 (町山智浩)これ、アメリカでクリスマスに公開されたばっかりなんですけど。だから2週間ぐらいしかたってないですけど。これね、日では公開される見込みがないんですよ。 (赤江珠緒)らしいですね。 (山里亮太)話題になってますよね。いま、日で。それで。 (町山智浩)はい。これ、去年の6月ごろにアンジェリーナ・ジョリーが来日した時にですね、いわゆるインターネットとか、産経新聞とか、週刊文春などのいわゆる保守系メディアがですね、『アンジェリーナ・ジョリーが反日的な映画を監督している』って

    町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー『不屈の男 アンブロークン』を語る
  • Women World 2005-Japanese

  • あなたが人を殺す可能性について - 誰かが言わねば

    私が小学校一年生の時の話です。担任の男性教諭は静かな口調で話していました。 その時彼は還暦間近でしたが、六歳児達を前に涙を流していました。 彼にはきっと年端の行かない子供たちが無垢な天使のように思えたのでしょう。実際には私たちはずるくて自分勝手な単なる大人のミニチュアにすぎませんでしたが、彼にはそんなことは関係ありませんでした。今になって思うと、彼は自分の罪を懺悔したくても神父の役割を果たしてくれる人を生涯見つけることが出来ず、私達にその役割を負わせたのでしょう。しかし私は神父たる資格のない自分を愛するばかりの小さな人間ですから、彼の罪を墓場まで持っていくことはしません。 彼は第二次大戦中の大半を大学生として過ごしました。当時の日では情け容赦なく召集令状を送りつけられたという印象を持っている人が多いかもしれませんが、実際のところ学生に対しては甘く、学徒出陣は戦争のかなり末期の話でした。で

    あなたが人を殺す可能性について - 誰かが言わねば
  • 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』というで明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書

  • カラシニコフ氏「懺悔の書簡」 昨年、露正教会に「痛み耐え難い」 - MSN産経ニュース

    【モスクワ=遠藤良介】ロシアの有力紙イズベスチヤは13日、旧ソ連製カラシニコフ自動小銃(AK)の設計者で昨年12月に死去したミハイル・カラシニコフ氏が同年4月、露正教会のトップであるキリル総主教に「懺悔(ざんげ)の書簡」を送っていたと伝えた。 書簡を入手した同紙によると、カラシニコフ氏は自らの開発した小銃で多数の人命が奪われたことについて、「心の痛みは耐え難い」と告白。「私には、たとえ敵のものであっても、人々の死に罪があるのか」「神は光と影、善と悪を不可分のものとして創りたまったのか」と問うている。 正教会関係者は「祖国防衛を目的とした武器の開発や使用は支持される」との立場を同紙に説明し、「カラシニコフ氏は愛国主義の模範だ」とする返信をキリル総主教が出したことを明らかにした。 カラシニコフ氏が第二次大戦での経験から開発したAKは信頼性と使いやすさから普及し、模造品も含めて世界に1億丁が存在

    カラシニコフ氏「懺悔の書簡」 昨年、露正教会に「痛み耐え難い」 - MSN産経ニュース
  • 余録:「あんぱんが飛ぶようなくだらぬ絵本は描くな」。…- 毎日jp(毎日新聞)

  • 朝日新聞デジタル:慰安所行った、でも話せない 元兵士「妻や子にも迷惑」 - 社会

    慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内  【武田肇】旧日軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。  「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。  太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」  月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にす

    amanoiwato
    amanoiwato 2013/07/02
    『「(当時)慰安婦は必要なのは誰だってわかる」と語った橋下氏に憤りが募った。「戦場を見てきたかのように軽々しく言ってほしくない」』
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 子どもは見ていた:東京大空襲65年/上 孤児になって - 毎日jp(毎日新聞)

    大切な家族も、ささやかな毎日も、一夜にして焼き尽くされた。東京大空襲から10日で65年。空襲は幼い子らまで戦禍に巻き込み、その後の人生も大きく変えてしまった。70代となった今も心や体に深い傷を抱えたままの、当時の子どもたちを訪ねた。 ◇親亡くし「戦争」始まった 親類の家で働きづめ/燃える母、今も夢に 10歳だった元木キサ子さん(75)の防空ずきんは、2人の弟とおそろいの桃色だった。 弁護士だった父は留学経験があり、敬虔(けいけん)なクリスチャン。戦争が始まる前には、所区(現在の墨田区)の自宅に近所の子どもたちを集めてクリスマス会を開いた。そのお芝居で使った衣装をほどき、母が縫ってくれた防空ずきん。「桃色は目立つでしょ? 迷子になっても分かりやすいからね」と言われたけれど、弟たちには少し恥ずかしかったかもしれない。 やがて土空襲が始まり、1944年6月に学童疎開促進要綱が閣議決定された。

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