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歴史と原爆に関するamanoiwatoのブックマーク (8)

  • 被爆の地獄を伝え続ける:日経ビジネスDigital

  • 「黒焦げの少年」身元判明か 長崎原爆 妹2人名乗り出て鑑定 「71年かかりやっと会えた」 - 西日本新聞

    谷崎昭治さん(左端)と西川美代子さん(右端)が写る、鑑定に使用された家族写真 写真を見る 長崎原爆資料館に展示されている写真「黒焦げとなった少年」=13日午前、長崎市の長崎原爆資料館 写真を見る 記者会見する(左から)谷崎昭治さんの妹、山口ケイさん、西川美代子さん、深堀好敏会長=13日午前、長崎市内 写真を見る 長崎原爆の写真調査を続ける長崎平和推進協会写真資料調査部会は13日、長崎原爆の投下翌日に爆心地近くで撮影された「黒焦げとなった少年」に写っている人物が、長崎市岡町の当時中学生の13歳、谷崎昭治さんの可能性があると発表した。昨夏、写真を見た谷崎さんの妹2人が「兄ではないか」と名乗り出たため、同会が専門家らに依頼し鑑定した。被爆から71年、原爆の悲惨さを世界に伝えてきた写真の少年が誰なのか、解明に近づいた。  写真は1945年8月10日、写真家の故山端庸介さんが撮影。故伊藤一長前長崎市

    「黒焦げの少年」身元判明か 長崎原爆 妹2人名乗り出て鑑定 「71年かかりやっと会えた」 - 西日本新聞
  • 長崎原爆の日(8.9)

    8月9日は長崎原爆の日です。昭和20年(1945)、アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第二の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。 広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれましたが、長崎の原爆はファット・マンと呼ばれます。広島の原爆はウラン爆弾でしたがこちらはプルトニウム爆弾で、広島より強力、TNT火薬21000トン分の威力とされます。しかし平地の広島に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。それでもこの原爆で数ヶ月以内に7万人が亡くなり、その後亡くなった人を入れると、やはり15万人ほどの人が命を落としたとされます。長崎にしても広島にしても、役所の記録が失われた上に、朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、当の被害者数というのは永遠に不明のままでしょう。 広島に原爆を落とした飛行機はエノラ・ゲイですが、長崎

  • 加藤春江 1945年8月6日

    加藤春江 1945年 夏 私は挺身隊の一員として被服廠に通っていた。 それも女学校4年生の終り、突然、多賀谷先生がコヨリの先に青や赤や黄色を先にぬり、 色とりどりのコヨリを束ねて、手に持ち、両手で上手によじった。 そして生徒皆んなの席に順番に来ては1づつ引かせた。 皆んなは赤や青のコヨリを手に持った。 先生は真剣な面持でチョークを持ち黒板に書きつづっていった。 赤―被服廠 青―兵器廠 黄―糧秣廠(りょうまつしょう)……… 皆んなは、赤は赤、青は青、と、ひとかたまりになり、わあーわあーきゃあーきゃあーさわいだ。 (皆んな静かにしなさい。皆んな仲良し同吋で行きたいでしょうが、それでは困る人があるんで 公平にする為めに、くじにしたのです) と云った。 私はいやだった。 被服廠10人と云われた時、仲良しは1人もいなかった。 でも決まった事だから我まんした。べるものがない時だったので母は喜んだ。

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  • トルーマンは何故原爆投下を決断したか?

    2005年の暮、ある目的があって広島平和記念資料館を訪ねた。といっても、広島市内の西区にある私の事務所から歩いて20分ほどの距離だ。もっと頻繁に訪れていいはずだが、そうもいかない。 ニューヨークに通算10年くらい住んでいて、エンパイア・ステートビルやツインタワーには仕事で行ったが、自由の女神はついに行かずじまいだった。手近にあるとそんなものだ。 確か資料館の回りは鳩でいっぱいだった筈だが、影も形もない。連れのものに聞いて見ると、糞害でもう餌をやらないことにし、鳩が寄りつかなくなったのだそうだ。頼み込むようにして鳩にどいてもらい車を動かしたのを思い出す。いいじゃないか糞害くらい、と思ってしまう。 入場料は大人50円。月曜日の午後だというのに結構人が入っている。外国人の人たちがざっと2-3割。詰まらなさそうに見ている女の子も居たが、うっすら涙を浮かべている外国人のひとも2-3人居る。ここの展示

  • 原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。 ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。 インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい

  • 30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される

    30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される 2012年8月8日 日に永遠に消えない傷跡を残した、第2次世界大戦中のアメリカによる広島・長崎への原爆投下。今もなお、多くの人の心に深い悲しみの影を落とすこの原爆投下は、人類が決して忘れてはいけない惨劇として世界中に知れ渡っている。 そしてこの度、1946年にアメリカ陸軍航空隊によって撮影されたと思われる、原爆被害者の体を映し出す映像が公開され、海外で大きな話題となっている。 「Suppressed U.S. Military Film on the Medical Effects of the U.S. Bombing of Hiroshima and Nagasaki」というタイトルでYouTubeにアップされたこの映像は、次のような文章で始まりを告げる。 「1946年、陸軍航

    30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される
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