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ブックマーク / diary.uedakeita.net (6)

  • キャッチーなメロディをすぐに口ずさんでしまう - 真顔日記

    aikoの『恋をしたのは』がずっと頭のなかを流れている。『聲の形』という映画の主題歌になっていた。これがずっと流れている。そして頭のなかを流れるメロディは口に出されることを求めるので、私は小部屋でずっと歌っている。もっとも、「あ~あ~あ~あ~恋をしたのは~」というところだけで、あとはホニャホニャ的ごまかしによってまだ歌詞を覚えていないことを隠蔽している(隠蔽できとらんが)。 aikoの曲で初聴から覚えられるものは意外と少ない。最近の曲だと『合図』は一発で持ってかれたが、基的にじわじわと良さが分かってくる曲が多い。去年出たアルバムに収録されている『蒼い日』なんか、最初のうちはなんとも思っていなかったのに、現在はイントロだけで感極まる状態になっている。 とくに注目していなかった曲に「これめちゃくちゃ良いじゃん!」と気づく。aikoを聴いているとひんぱんに起きることである。そして「俺はいままで

    キャッチーなメロディをすぐに口ずさんでしまう - 真顔日記
  • スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた - 真顔日記

    スタバでaikoを聴きながら文章を書いていた。これは単なる私の日常である。 隣の席には高校生カップルが座っていた。問題集をひらいて二人で勉強している。これもよくある光景だ。なので私はとくに気にせず、aikoを聴きながら文章を書き続けていた。 集中して三十分ほど、一息つこうとイヤホンを外した。隣には、まだ同じカップルがいた。会話が聞こえてきた。 「〇〇ちゃんとなんで別れたんよお」 「なんかちゃうかってんもん」 「あの子ええ子やん」 「あかんねん、なんか」 「ふうん」 「もうええねん、新しい恋したいわあ」 私は勝手にこの二人をカップルだと思っていたが、会話の内容からすると付き合っていないようだった。というか、男のほうは別に彼女がいたんだが、最近別れた。それを目の前の女友達に愚痴っているという状況のようだった。 しかし、である。女のほうは絶対に男のことが好きだった。それは声色や表情から判断された

    スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた - 真顔日記
    amanoiwato
    amanoiwato 2016/12/13
    筆者の文才は素晴らしいが、現実にはaiko似の女とaiko好きの男は恋愛市場においては地雷率が高い。
  • 飼いネコが増えるにつれて変化したこと - 真顔日記

    数年前は1匹だったネコが4匹まで増えている。同居人があちこちで拾ってくるからである。さすがネコ狂いである。だいたい年に1匹のペースで増えている。そのたびに微妙な心理変化がある。なので今日は、「ネコが増えることで飼い主の心理はどのように変化していくか?」を書いてみたい。 まずは1匹。 ネコのいない生活から、ネコのいる生活へ。結局は、この変化が一番大きかった。端的に言えば、笑顔が大幅にふえた。日常におけるスマイルの激増である。ネコを飼っていない頃、同居人の寝顔は不動明王のようだった。眉間にしわがより、口元は厳しく引き締められていた。私も家に転がりこんだ身として責任を感じたものだ。 しかしネコの登場以降、寝顔はおどろくほど晴れやかになった。これはマジである。基的にうっすら笑っている。たまに布団の横から実際にネコがチョコンと顔を出していることがあり、そんな時は熟睡しながら満面の笑みである。ネコの

    飼いネコが増えるにつれて変化したこと - 真顔日記
  • ネコの鳴き声は多様である - 真顔日記

    ネコの鳴き声は多様である。 ミケシは美だが、声はアホまるだしである。「ホワァ」という間のぬけた鳴きかたをする。アホの坂田と同じ発声法だ。しかも、ある状況において間のぬけた声を出すのではなく、あらゆる状況において間のぬけた声をだしている。人に甘える時は「ホワァ~~〜」である。基的にハヒフヘホで鳴いている。 気分が良いときは「ホワァ、ホワァ、ホワァ!」である。書いてみて気づいたが、文字にするとブルース・リーの発声法に似ている。耳で聴くとまったく似ていない。ブルース・リーの筋肉が萎みに萎んで、自己評価がハムスターと同等まで落ちた場合、こんな声を出すのかもしれない。 ミケシの変な鳴き声は他にもある。 この家に来た直後、めしをうときにミケシだけ声を出していた。「んまんまんま、んまんまんま」と言うのである。味に感動しているように見えたので我々は笑っていた。しかし慣れると何も言わなくなった。どうや

    ネコの鳴き声は多様である - 真顔日記
  • 家から5分の金閣寺について - 真顔日記

    京都というのは言わずと知れた観光都市である。私が住んでいる家など、歩いてすぐのところに金閣寺がある。あの金閣寺である。みなさんが想像されたとおりの金閣寺。足利義満の道楽の産物。あれが徒歩5分の距離にある。感覚としてはコンビニくらいの距離感。 しかしそれで嬉しいかと言えばそうでもない。よく言われることだが、京都在住の人間にとっちゃ京都は日常的な場所でしかなく、観光地でも何でもない。徒歩5分の金閣寺はもはや金閣寺としてのオーラを消失している。あれは近所にある金色の建造物である。水色の建造物(ローソン)のおともだちである。 私のウォーキングコースには紫式部の墓があって毎日のように前を通るが、これも普通に無視している。汗だくで腕を振りながら紫式部を完全シカト。源義経出立の地とかいうのもある。それも「フーン」で済ませている。怖るべき無関心ぶり。やはり、いちいち歴史に思いを馳せていると生活できたもんじ

    家から5分の金閣寺について - 真顔日記
    amanoiwato
    amanoiwato 2016/08/30
    確かに、何時でも観られると思うと行かないんだよなあ。全然横浜に詳しくない横浜出身者。
  • 「女と寝る」という島耕作の一発芸 - 真顔日記

    マンガを読んでいると、作者の意図しないところで笑ってしまうことがある。たとえば『課長島耕作』のシーンの飛びかた。これが私はツボである。むかし定屋で読んだだけだから細部は曖昧なんだが、島耕作が綺麗な女と知り合う。二人でバーに行き、しばらく話し込む。すると女がグラスを持ち上げて言う。 「残りのジャック・ダニエルは、もっと静かなところで飲みたくない?」 そして次のページではベッドに入っている。あの感じ。あれが笑ってしまう。完全にネタ振りとオチとして認識している。私はあのマンガをセックスというオチを楽しみに読んでいた。「そろそろ女と寝るぞ、女と寝るぞ、ホラ寝た!」という感じ。感覚としては吉新喜劇。定番ギャグとしてのセックス。女と寝るというのは島耕作の一発芸なのだ。 コマとコマのすきまで女を口説く、それが島耕作という男である。世界には数多のプレイボーイがいるが、こんな妙な場所で口説くのはこいつく

    「女と寝る」という島耕作の一発芸 - 真顔日記
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