パソコンを初めて触るようになったころ、その初歩的な原理、仕組みを知って おきたいと本や雑誌をめくっていたころ、「アーキテクチャー」という言葉を 耳にしたことがあった。 「アーキテクチャー」についてはいろいろ説明されているようですが、 この本でも述べられていたように、「ナッジ」とよく似たところがあるらしい。 あえてそういうところだけを「ウィキペディア」より引用すれば 【引用】 人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、 あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。 ジョージ・リッツアは著書『マクドナルド化する社会』において、アーキテクチャの具体例として ファーストフード店の硬いイスをあげている。 客を長居させず、それによって回転率を上げるような設計になっている。 「マクドナルド」のイスは硬い。 硬いことを客がイヤに感じることなく、少しでも
先日、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」という小説を読んだ。原書が刊行されたのは1952年。邦訳は1964年のハヤカワ・SF・シリーズが最初で、その後も複数の版元から出版されてゐる。ぼくが読んだのは光文社古典新訳文庫の2007年刊行のものだ。タイトルは同じだが、1964年には「幼年期の終り」であり、2007年には「幼年期の終わり」というふうに、送り仮名の付け方が異なる。 なるほど1964年の時点ではまだ「終り」が支配的だったのだな、と思った。 敗戦直後の1946年に「国語改革」が行われた。これは漢字を全廃し、仮名文字かローマ字のどちらかにより日本語を表記することを目指した改革だった。それについては今年のはじめに「国語改革を問い直す。」と題する文章を本ブログに投稿した。 1946年の国語改革では「当用漢字」と「現代かなづかい」が公布されたのだったが、このとき送り仮名の付け方に関する指
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」2021 日本 原作・脚本・総監督:庵野秀明 こないだ新劇場版の「破」と「Q」を見直して、これをどうやって終らせるつもりだろう、大丈夫かいな、と心配してゐたのだけれど、どうしてどうして、堂々たる完結編だった。感激いたしました。いや~面白かった! これを見てようやく「エヴァンゲリオン」がどういう物語なのか、全体がすっきり理解できたように思う。この脚本はそうとう凄いのでは!? 上映時間が2時間半あるとはいえ、こんがらがったこれまでの展開をきれいに集束させ、さまざまなキャラクターの活躍と成長を十全に描き、かつ面白い映画にしてしまうとは。ことにアニメシリーズのラストと連関させていくあたりの演出には「お~!!」ってなった。 びっくりするくらいわかりやすく作られてゐた。「エヴァ=戦闘シーンはカッコイイけれどよくわからん」だったのだけれど、本作はまあ丁寧に解説してくれ
著者は、有名な魯迅の小説『阿Q正伝』の「阿Q精神」は現代の中国にも 活きているという。 (グーグル画像より) 「阿Q精神」とは、「阿Qの『精神勝利法』」と呼ばれる。 (注:ウィキペディアより『阿Q正伝』を引用させていただきました) 【引用】 「時代が清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中国のある小さな村に、本名すらはっきり しない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの阿Qという男がいた。 彼は、働き者との評判こそ持ってはいたが、家も金も女もなく、字も読めず容姿も不細工などと 閑人たちに馬鹿にされる、村の最下層の立場にあった。 そして内面では、「精神勝利法」と自称する独自の思考法を頼りに、閑人たちに罵られたり、 日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、 人一倍高いプライドを守る日々を送っていた。…」 阿Qの「精神勝利法」は
「爆買い」という言葉に惹かれて読んだ。 (すこしは中国の人々のことがわかれば…くらいの軽い気もちでしたが、いまは「爆買い」は不可能。 コロナ後の世界では「爆買い」は死語になるのでしょうか?) 本は、長く日本で暮らしている中国人著者の、とくに日本人と比較して思い、 考えた「中国人論」になっていた。 国籍や民族などの違いを越えた人間のあり方、生き方を考えさせてくれた。 (親しみやすく「爆」が似合わないステキな本だった) ---------- 前半に中国人(に「多く見られる」といった方がよい)の特徴を四点に絞り、 後半は(中国人だけではない)人間一般について、 強く印象に残ったことだけ書きます。 (きょうの記事は前半。後半は次回の記事) ① 「なぜ声が大きいのか?」 中国人は「大」を好むと述べられていた。 (「好きずき」の問題。「声」だけではなく、古い時代から女性も大柄、ふくよかであることが 好
1年前からのコロナ禍でインバウンドはすっかり影をひそめている。 いつになれば元のようになるのか? 「コロナ後」の世界では、インバウンドの姿も変わってくるのだろうか。 (まだまだマスク姿は続くのでしょうか。話し声が聞こえてやっと中国、台湾、韓国の人の区別がつく のでしょうか) 旅ずきなので、昨年も旅をした。 初めのは3月半ばで、まだ「緊急事態宣言」が発出(「発令」でなく「発出」というのだと 初めて知りました。長く生きていても「緊急事態」には遇うことがなかった)されていなかった。 次は解除された後。結果的に「GO TO…」の対象となり、旅費等の一部が還って 得した気分になったが、批判していた「GO TO…」を使っている矛盾を抱え、 旅のあいだ、ときどき思いだしては複雑な気分にもなった。 (けれど、旅先の小さな土産店で「「GO TO…」のおかげで…」という店の人の声を聞くことがあり、 いっそう複
「不要不急」の外出はしていない。 外に出るのは近所の散歩と買い物ぐらい、家にこもっている。 散歩ではメガネが曇るし煩わしいので、人がいないときはマスクを外す。 が、「マスク警察」にとやかく言われればサッと着けられるように、 「持ってます」の意思表示もあり、手にちゃんと提げている。 先日、だいぶん温かい日があり、宣言解除もまぢかだったので、「不要不急」 の禁をおかし、JR電車に3か月ぶりに乗り、植物園に行った。 後ろ姿もいいと思った マスクかけたり外したり、人間は面倒じゃのぅ… わしなんか目と鼻だけ出し ほかはぜんぶ覆っているのじゃよ 全身マスク! それはよかったネ 「ピース!」 おっと ごめんなすって… ちりとてちん
「ガンディー 平和を紡ぐ人」竹中千春 岩波新書 2018 ガンディーの評伝。読み終えて、世界は複雑だ、というどうしようもない凡庸な感想をもった。最近そういうことばかり考える。人間・歴史・宗教・国家などについて考えると、あまりに多面的かつ多層的で、さまざまな立場からさまざまなことが言える。その巨大な複雑さの前に立ちすくみ、何も判断できない、何も言えないという気持ちになる。 ガンディーは偉大だが、その強烈な個性は妻にとってたいへんな災難であったろうし、子にとっては解きがたい呪いとして機能した。長男ハリラールの不幸な経歴を知り、ううむと考え込んでしまった。 (孫のラージモーハン・ガンディーは)次のように述べる。「インド人がガンディーをそれほどに愛した理由は、彼が自分の子どもたちを贔屓しなかったからである。それこそが彼の強みだった。インドを奮い立たせるためには、自分自身の子どもさえネグレクトするよ
日が長くなりました。 ちょっとくらい寒さが戻ってきても、そんなものなんのその、であります。 天気もいいし、朝の光で目覚めるってのが本当に嬉しい。 3月に入ってそろそろ1週間、そういえばコロナ禍対策の一つとして市民に支給された国鉄の無料チケット、12月にモンスのガン専門医のところを訪ねた際に往復1回使ったのみ。 10月から3月まで、月に往復1回ずつ使えるものでしたが、もうこれ以上使わないだろうな。 昨日また政府のコロナ禍対策会議が開かれました。 今回は5月までの方針が知らされました。 段階的に、かつ慎重に、というもの。 パースペクティヴを示せ、と、ずいぶん言われてましたからね。 政府にとっても未体験の状況で、しかも目指す数値になかなか届かないところ、パースペクティヴを示すのは至難のわざだよね、と私は思っていましたが…。 最優先事項は学校の活動だ、と健康担当相が数日前に言ってましたが、やはりそ
「すばらしき世界」2021 日本 監督・脚本:西川美和 原作:佐木隆三「身分帳」 出演:役所広司、仲野太賀 見に行ってよかった。素晴らしい映画だった。役所広司さん、凄すぎです。 社会に適応した「ふつうの人」と社会に適応できない「おかしな人」が出て来るけれど、映画の視点はどちらの側にも与しない。フェアだ。 「ふつうの人」と「おかしな人」が出会い、どちらも変化する。どちらの側にもゆさぶって、お前はどう考えるかと突き付けてくる。 ぼくは、いまの社会ってやっぱりバランスが狂ってるよなと思った。この社会に適応して「ふつう」であるためには、捨てなくてはならないもの、我慢しなくてはならないことが多すぎる。「ふつうの人」になってもちっとも楽しくないんだ。かといって相当程度「ふつう」でないとこの社会では生きていけない。 捨てたくないものを捨て、我慢したくないことを我慢してゐる「ふつうの人」がつくる社会は息苦
時代錯誤な差別発言を平気でし、しかもそのどこが問題なのかも分からないおじさま世代と違い、若い人たちはどんどん新しい価値観で新しい世界を切り開いてくれる。こうしたニュースに出合うたび、とても嬉しく、希望が湧く思いがする。 www.huffingtonpost.jp 一定期間を過ぎるとリンクが切れてしまうだろうから、概要を記しておく。 「『新しく作って、売る』だけではないビジネスのモデルが広がれば、大量に作ってセールで売るというファッション業界の仕組みが変えられるかもしれない」2017年に創業した「10YC」の下田将太さんはこのように考え、『10年着続けられる服』をキーワードにした。 10円単位の工賃の交渉をしても、しばらくすれば店頭で1割、3割と値引きして売られてしまう。ならばと「生地4237円、裁断・縫製4431円、附属491円 製品コスト9165円 販売価格19095円」こんなふうに、1
お題「#この1年の変化 」 専業介護主婦の私は、もともと外出することが多くありません。 それがコロナ禍でますます家に籠ることが多くなりました。 今はまた緊急事態宣言の渦中でもあります。 ゲームをしない私がお籠り生活ですること、Amazonプライムで過去のドラマを見ることにちょっとハマっています。 初めて観るドラマではなく、昔観たドラマの再視聴が多いです。 今日はそんな私が2月に観たドラマを紹介します。 目次 JINー仁- カルテット 僕らは奇跡でできている 大草原の小さな家 知ってるワイフ~韓国バージョン~ まとめ JINー仁- 大評判だったTBS日曜劇場の『JIN-仁-』 コロナ禍、緒方洪庵についてNHKBSプレミアム『英雄たちの選択』で取り上げられてから、武田鉄矢さんが緒方洪庵役で出演された『JIN-仁-』をまた観たくなり、全話を観るのはさすがに時間的に無理がありますので、好きな部分だ
「愛するということ」エーリッヒ・フロム 鈴木晶=訳 紀伊國屋書店 2020 原著は1956年刊行の「The Art of Loving(愛の技術)」。 素晴らしい本だった。人間にとっていちばん大切なことが書かれてある。ときどき読み返して反芻する必要があるから、たくさんノートにとっておこう。 翻訳の見事さにも驚愕した。こんな綺麗な文章ってなかなかない、達意の名文で最高の翻訳だと思う。感激しました。 まづ、論理的で気持ちがいい。それはきっと文章の構造と長さ、接続詞の選択が適切であることからくる。それから音と視覚、両面におけるリズムの闊達さ。これは読点の間隔と位置、漢字と仮名文字のバランスが完璧であることによると思う。もちろん、論理性とリズムが生きてくる前提として、語彙の選択がいちいち適切であり、冗長に堕さない緊張度を有することがある。 さて、フロムによれば、愛は「自然に生まれてくるものであり、
今日は、20年まえに亡くなった母の誕生日。 生きていたら95歳だわ。 長女と私の歳の差が、母と私の歳の差と同じだと気づいてから、長女を見ながら「自分があの歳だった頃」を思い出すときは、その時の母の思いなども想像するようになったのである。 いつもは、ただ「誕生日だなあ」と思うだけなんだけど、ひきこもり生活でたっぷり時間もあるんで、思い出した記念にブログ更新することにした。 天気がいいのに籠っている自分への言い訳でもある。 帽子大好きニンゲンだった母の形見の帽子。 愛用してます。 って、母の話はこれでオシマイ。 コロナ禍対策のひとつとして、一緒に住んでいない人の場合、11月以来訪問はひとりしか許されていません。 昨日朝のラジオにゲストとして呼ばれていたエコロ党のトップの人が、そこで「最初の頃はそのキマリを守っていたが、今はカップルで訪ねてくることを許している」と言っちゃったのが、かなり大きな話
今日は気温は少し上がるらしいけれどまだ氷点下。 しかも時速50kmの風が吹くので、体感気温は日中-10℃~-12℃らしい。 (こちら、風速は時速で表されます) 今日はちょいと買い物にでないといけない。 昨日までのうちに行っておけばよかった…。 後期の大学の講義、水曜日が美術史で木曜日が文学なんですが、この木曜日の講義がものすごく難しい。 私の基礎知識とフランス語能力ではとてもついていけない。 あまりのショックに、昨日は聴講後ずっと頭真っ白状態でありました。 (一晩寝たらちょいと回復。苦笑) しかも聴講している学生が、私も含めて10名くらいしかおらず、先生は学生に発言をガンガン求めてくるので、もう私は「何も訊ねられませんませんように…」ハラハラビクビクする始末です。 悲しい。 それでもやっぱり、へええっと学ぶことはあるので、「何も発言しませんが聴講させてください」と、年寄りであることを盾にデ
最高気温が10℃近いような寒くない日が続いていたんですが、今日から寒さが戻ってきて、これから1週間は最高気温も0℃前後になるらしいです。 そういえばカーニヴァルの頃はいつもすごく寒かったんだった、と思い出しました。 一昨年は、2月に夏みたいな日もありましたが。 自由大学の講義もスタート。 後期は水曜日に16世紀末から17世紀までの美術史、木曜日が近代フランス文学を受講します。 金曜日にまた政府のコロナ対策会議が開かれ、美容院と床屋さんは、マスクをして換気をきちんと行う、という条件で13日から開いてもいいことになりました。 刺青屋さんやエステサロンなどはまだNGで、3月1日から、とのこと。 保健担当相が、カフェ・レストランについては、3月1日からでも難しい、と発言していました。 数値だけを見入ると、新規感染者はほんのちょっと増えているんですが、これはテストの件数が増えているためで、新規入院者
「完本 小林一茶」井上ひさし 中公文庫 2020 (初演は1979年) 面白い! 面白い! 面白い! 再演したら見に行きたい!!! 最高すぎた。ほんとうに、井上ひさしはバケモノだ。 いくらなんでも勉強しすぎだし、趣向をもりこみすぎだし、ことばが豊穣すぎですよ! けれどそういう異常性(そこが好き)が後景に退いてしまうくらい、圧倒的に面白い。グイグイ引き込まれて、大笑いして、あっと驚いて、ホロリとさせる。ああ、なんていい芝居を見たんだという気持ちになる。 井上は「後口上」で芝居の魅力について次のように語ってゐる。 つまりわたしたちの表情は鎧なのです。その下に本心を隠している。その鎧もよほど頑丈でないといけない。さもないと、だれかに本心を見抜かれてしまいますからね。外に出ると自分の本心がだれかに見破られてしまうと恐れる気持が広場恐怖症の原因だと、むかし精神科のお医者さんから聞いたことがあります。
昔、敬愛する職場の先輩が瓢箪をくれた。それがあんまり美しいので大事にかざってある。彼は自宅の庭で瓢箪をそだて、とり、かわかし、みがき、ぼくにくれたのである。 「林さん、これきれいでしょう。差し上げます」と。 内直くして外曲がる。荘子 天下は神器なり。為すべからず。老子 大きさの異なる二つの球が上下に並び、絶妙な均衡をみいだして、素直に立ってゐる。なにやら宇宙的な調和を感じさせるので、諸橋轍次の「中国古典名言辞典」を引っ張り出してきて、荘子と老子のキャプションをつけてみた。 内直(なお)くして外曲がる。は、 「心は道理にのっとり、まっすぐに屈することなく、外面は世間に合わせておだやかに、うやうやしい態度をとる。」 天下は神器なり。為すべからず。は、 「天下は一つの不可思議の器であって、人間の考えでことをなそうとしても、結局はどうすることもできないものである。」 という意味だそうだ。ぴったりぢ
先日、ある人と電話をしてゐて「年齢を重ねると、いろんなことを断言できなくなってくるよね」という話になった。「断言」ではなく「判断」だったかもしれない。とにかく、なんであれ、物事や自分や他人について、これはこうだ、こういう意味だ、こういう人だと断言/判定できなくなってくる。 もちろん、なにかを言ったりしたりするためには暫定的な意味付けをしてゐるのだけれど、年をとってくると、何事も多面的かつ多層的であって、時間が経てば意味が変わるし、自分に見えるものしか見てゐないのだということがわかってくるので、「ううむ、しかしそうではないかもしれんぞ」という逡巡が増える。そういう話だ。 たとえば、ぼくがある人を嫌いなのは、ぼくがその人にコンプレックスを感じて勝手に被害者意識をもって嫌ってゐるのかもしれない。逆に相手のほうがぼくのなにかにコンプレックスを感じて、攻撃的な態度をとってゐるのかもしれない。誰もがコ
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