「時は金なり」ということわざがあります。 「時間はお金と同じくらい貴重で大切である」という意味ですが、これに対し、堀江貴文さんは異を唱えています。 ぼくに言わせれば、こんなバカな考え方はない。 この言葉は、時間とお金を「同等に価値があるもの」だとしているからだ。 人間にとって、何より尊いのは「時間」である。 お金など比べものにならない。 ぼくが長野刑務所で入れられた独房には、時計がなかった。 いつから次の食事なのか、いつから作業がはじまるのか、外から呼びかけられないとわからない。これもまた、受刑者から「自分時間」を奪うための巧妙な仕掛けである。 こうなると、何やらとても「退屈」なのだが、かといって、自分で何かをする気にもなれないという中途半端な状態になる。 このとき確信したのが、「暇=悪」ということだ。 暇を感じているとき、あなたは時間資産をドブに捨て続けているのに等しい。また、退屈な時間