chigau-mikataのブックマーク (5,369)

  • 動機の形成はマンガやアニメから -  違う見方

    いつの頃からか変な髪型と思う人が増えた、ジェネレーションギャップと言われればその通りだろうが、そもそもその髪型の由来はどこと思った時にふと思い出した。 昔だってマンガの登場人物や芸能人のスタイルを真似ようとしていたなと。 似合うかどうかよりも、真似したいという衝動に突き動かされていたなと。 Wikipediaの日漫画歴史を見てると、日人のメンタリティにマンガが影響するようになったのは1950年代からだと感じられる。 つまり、自覚の有無に関係なく現在生きてる大勢の人がマンガから何らかの影響を受けているはず。 車の発達普及はモータリゼーションの発展の当然の帰結だと思われてるが、実際にはマンガの世界が与えた影響の方が大きいように感じる。 1975年から少年ジャンプで連載が始まった『サーキットの狼』がスーパーカーブームを生んだ。 カッコいい車やお気に入りの車で演出する生活に魅了される人が増

    動機の形成はマンガやアニメから -  違う見方
  • 一般名詞化した『推し』 -  違う見方

    初対面にはカジュアルな場とフォーマルな場がある。 初対面の場では自己紹介や簡単な質疑応答が付きもの。 カジュアルな場でもフォーマルな場でも共通して使える問いに『趣味は何ですか?』があるが、この質問は今やフォーマル化している。 万能過ぎるがゆえに真意を伝えきれない。 カジュアルな場では、『推しは何(誰)ですか?』の方が一般的になりつつあるようだ、年齢等の壁や境界はあるだろうが。 よくよく考えると、『推し』に相当する名詞化された表現は長らく無かったような気がする。 『趣味』では表現しきれないニュアンスが『推し』には感じられる。 わたしは〇〇のファンです、わたしの趣味は△△です、のように文で表現していたはず。 ごく一部では名詞化した表現としてオタク撮り鉄のようなものがあり、わたしはオタクです、趣味オタクです、わたしは撮り鉄です、趣味撮り鉄です、と言えばほぼ間違いなく伝わるというものは以前か

    一般名詞化した『推し』 -  違う見方
  • おまけにそそられる心理 -  違う見方

    カーブスを抜いてフィットネスの店舗数No. 1はチョコザップらしい。 カーブスはそれなりにヒットしてもおかしくないなと感じていた、それはターゲットが元々運動習慣が無い人をそれも女性に限って展開していたから、さらにCMを見るとおまけとして井戸端会議の楽しみもありそうだし。 男性ややる気満々の人が来ないことが大きな安心につながると思ったから。 一方で、チョコザップはというとジムとしては小規模だから格的なことをやりたい人には不向きだが、すべてのニーズを受け容れるというスタンスでありかつおまけの要素も多いのだ、ホームページには次のような画像が載っている。 絵だけ見ると女性がターゲットにも思えるし、そういう意味ではカーブスをライバルに想定していたと思える。 昔、知人で自宅近くのスポーツジムに行ってる人が、ジムで毎日シャワーを使うので自宅の水道光熱費の節約になるからコスパは悪くないなんて言っていた。

    おまけにそそられる心理 -  違う見方
  • 詐欺の被害者になることはあっても詐欺の加害者になるなんて思ってない人がなんと多いことか -  違う見方

    守れなかった約束や果たせなかった誓いの一つや二つは誰でも持ってるかもしれないが、その約束や誓いに相手がいた場合に相手はどう思ったか、あるいは自分自身がその相手側の体験をした場合にどう思ったか、最近の出来事でなければどちらにしても忘れてしまってるかもしれない。 しかし、どちらの体験であっても、そして実害は大したことなくても、忘れられない場合は、喉に刺さったままの魚の小骨のような後味の悪さをずっと伴っているはず。 そんな守れなかった約束や果たせなかった誓いには以下のようなものもある。 営業トークやプレゼンテーションや口説きやプロポーズで、はたまた演説や宣言の際についつい言ってしまったこと。 ウソを吐く気も無ければ悪意なども無い、あくまでも熱意の表れとして言ってしまったようなこと。 しかし、その熱意に打たれてその言葉を信じた人はきっとこう思うだろう、『奴に騙されたよ』と。 しかし、警察に被害を届

    詐欺の被害者になることはあっても詐欺の加害者になるなんて思ってない人がなんと多いことか -  違う見方
  • 浅い関係性という底なし沼 -  違う見方

    さっそく4月入社の新人の退職の話題が記事になっていた。 理由の一つとして飲み会がイヤだというのが挙げられていた。 いまだに一発芸を要求するという文化もあるようだ。 そこで飲み会に限らずざっくばらんな集まりの場で流れる空気について考えてみた。 一緒の時間を過ごす以上有意義な時間にしたいとは誰しも思うだろう。 悩みや近況を含めて聞いてほしい話や言いたいことがある人にとっては悪くない時間になるはずだ。 そうではない場合はどういう時間を過ごすことになるだろうか? 共通のテーマや話題がある場合も悪くない時間が過ごせるだろう。 共通のテーマや話題が無いのにざっくばらんな時間を共に過ごそうとするのは改めて考えるとおかしな話だ。 しかし、日には昔から多い、いや昔の方がはるかに多かったはず。 共通のテーマや話題が無いのに話題を探そうとすると、その場にいない人の人事情報や個人情報やウワサだったりという共通ネ

    浅い関係性という底なし沼 -  違う見方
  • 『コト』の次は? -  違う見方

    インバウンド客で盛り上がる次のGWの話題、事の是非を語りたいわけではない。 「富士山ローソン」黒幕設置 対面歯科が長文声明「考えられないマナーモラル違反」「残念」 撮影スポットとしての口コミが、外国人観光客やタイの俳優らによって拡散。観光客が殺到した結果、ローソンや車道をはさんだ同医院の近隣で、交通の危険やごみの問題などが発生し、店舗営業や住民生活に悪影響が出ていた。 ~~引用ここまで~~ コロナ前からずっと世界的にモノ消費からコト消費へ関心は移っていると言われていたが、記事のような行動はモノ消費なのかコト消費なのか。 直接の動機が富士山を直接見て写真に撮りたいという意味ではコト消費に感じられるが、近隣への迷惑としてゴミの散乱があることからはモノ消費のようにも感じられるからだ。 コト消費やモノ消費と区別する必要などないし実際にはどちらの要素もあるのだろうが、少し突っ込んで考えてみたくなった

    『コト』の次は? -  違う見方
  • 『風呂キャンセル界隈』で思い出した話 -  違う見方

    Twitterで『風呂キャンセル界隈』が話題になっていた。 いろいろ目を通すと反応には幾つかのパターンがあることが分かる。 や適応障害があると風呂に入るという行為には付きまとう作業が多くてとてもストレスフルでそのため風呂に入るのが億劫になる、決して不潔で構わないとは思ってない 単純に面倒、それが不潔と言われるならそれはそれで構わない 単純に面倒、もっと楽に済ませたい 風呂に入って身体をきれいにしたら風呂が汚れる 来の意味はなどの症状を持つ人のことを指すようだが、どうやら広い意味で心(感じ方や考え方)の問題なのだ。 これらのツイートを読みながら、20年くらい前の講演会で聞いたある成功してる経営者の話を思い出した。 大手上場企業の社員を辞め独立し事業が軌道に乗るまでの間に廃人になりかけたことがあったと話していた。 何もする気がしなくてゴロゴロしてるばかり、風呂に入らないなんて当たり前だっ

    『風呂キャンセル界隈』で思い出した話 -  違う見方
  • 最短ルートという遠回り、遠回りという最短ルート -  違う見方

    目標や目的が明確な人はモチベーションが高くなる。 モチベーションが高くなると、結果を得るための最短ルートを求める。 そういう場合に最短ルートに感じる方法や手段には大勢の人が集まる。 そんなこと考えてるのは自分だけだろうと思っているような人が大勢集まるのだ。 そういう人が得ている情報がほぼ同じだからだ。 最短ルートを求めるとは、最短時間で結果を得ることを求めるということ。 ここから先は、最短ルートに関する抽象論。 ごく日常的な通学や通勤のルートはほとんどの人が想像し得る最短距離もしくは最短時間のルートに固定化されてるはず、徒歩だろうと自転車だろうと車だろうと。 最初は複数の選択肢があったかもしれないが、やがて一つに固定化される場合が多いはず、そして一旦固定化されると違うルートに対しては違和感しかなくなる。 違うルートを選択するには強いモチベーションが必要になるが、このモチベーションが習慣化さ

    最短ルートという遠回り、遠回りという最短ルート -  違う見方
  • 信じる者は救われるのか、それとも騙されるのか -  違う見方

    知るから始めるということがある。 当然知らなければ始められない。 問われるのは、何を知るかだ。 良いこともあれば悪いこともある。 有名人を装った詐欺広告を、詐欺と気付かずに知ったことで始まる悪夢もあれば、名著との出会いでそれまで知らなかった考えや価値観に目覚めその後人生が好転するということもある。 知ることから始まることが悪いことであっても良いことであっても、知るの次に理解するが来てから始まる。 つまり、第一段階として何を知るかが大事で、第二段階として知った何かをどのように理解したかに進む。 どのように理解したかがその後の行動に大きく影響する。 しかし、どんな良いことでも知ることだけ、あるいは理解するまでで終わり、そこから先には進まないというケースも少なくはない。 それがリスクヘッジだと知ってるからだ。 時代は確実に進歩進化してるように見えるが、進歩進化するのは良いことだけでなく悪いことも

    信じる者は救われるのか、それとも騙されるのか -  違う見方
  • スローも悪くない -  違う見方

    最近の大谷翔平さんの打球を伝える際に飛距離に加えて打球速度が話題になることが増えた。 昨日は、ピッチャーの山由伸さんが打球速度169kmのピッチャーライナーを神業のごとくキャッチしたと話題になっていた。 速度というのは単純に人を熱狂させるのだ。 20世紀のテクノロジー競争はスピードアップによる時間短縮が大きなテーマだった。 飛行機や鉄道のようにほとんどの人にとっては自ら操縦するわけではない物のスピードアップに熱狂する人は多かったし、ましてや自ら操縦運転する乗り物に関しては言うまでも無い。 スピードには魅力がある。 スピードという基準は単純明快で比較がしやすいという特徴も備えている。 つまり、速いことは偉いし立派なのだという暗黙の前提が成立しやすいのだ。 しかし、速度の速さは度が過ぎると興醒めでもあるということももう一方の現実なのだ。 余談めいた話だが、スピードの延長線上の価値観にファスト

    スローも悪くない -  違う見方
  • パラダイムシフトで消せる怒りやムカつき -  違う見方

    最初に覚えたことに振り回されることは多い。 最初に覚えたこと、あるいは最初に目覚めた価値観はなかなか変えられない。 世代間ギャップは最初に覚えたことの違いから起きる、かもしれない。 覚えたことが影響することの違いは男女にもあると言われる。 男のフォルダー保存に対して女の上書き保存などと。 フォルダー保存しがちな人は最初の頃の記憶に縛られがちだろう、自覚がなくても。 一方、上書き保存ができる人は最初の頃のことは記憶していてもそれに縛られにくい。 新しい価値観に瞬時に対応できるのはきっと上書き保存派の人だろう。 新しい価値観が生まれることはパラダイムシフトとも呼ばれる。 Wikipediaではパラダイムシフトを次のように定義している。 パラダイムシフト(英語: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが、革命的に、もし

    パラダイムシフトで消せる怒りやムカつき -  違う見方
  • ダンサーじゃないのに踊りたがる人々 -  違う見方

    阿波踊りで有名な『踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損損』は実は人間心理(日人心理かも)の深さというか浅さを示しているのかもしれない。 Wikipediaよると、 阿呆(日語: あほう、あほ・英語: Idiot・中国語: 白痴)は、愚かであることを指摘する罵倒語・侮蔑語・俗語。近畿地方を中心とした地域でみられる表現で、関東地方などの「馬鹿」、愛知県などの「タワケ」、石川県・富山県・島根県出雲地方などの「ダラ」に相当する。行動の愚かさだけでなく、学のなさなどもさす。また、そういう人のことを指す。「馬鹿」と同じ意味を持つ。 毎度毎思うんだけどさ。 「来週からリッター当たり3円値上げです!」 って値上げの告知で、ガソスタ並んでまで給油する御仁の皆様。 この写真で例えたらさ、レギュラーが156円から159円だろ? 仮にレギュラーガソリンを20リッター入れるとして、 1リットル@156円(税

    ダンサーじゃないのに踊りたがる人々 -  違う見方
  • わらしべ長者に学ぶこと -  違う見方

    わらしべ長者という昔話を知ってる人は多いだろうが、きちんと理解してる人はどれくらいいるだろうか? わたしは中途半端な理解をしていた一人だ。 わたしが理解していたわらしべ長者とは、自分が持ってるモノを物々交換で価値を上げ続け最後は大金持ちになるというものだった。 現代で言うところの転売サーフィンの繰り返しのようなものだ。 しかし、実際のわらしべ長者の物語は、自分が持ってるよりももっと役に立つ人がいるから自分の持ってるものを上げその際に相手から感謝されそのお礼に相手が持ってるものを受け取る、あるいは相手からあなたの持ってる〇〇とわたしが持ってる△△を交換してくださいと持ちかけられるということを繰り返していたという物語で、やってることは転売風でも気持ちも状況もまるで違っていたのだ。 鹿野の昔話「わらしべ長者」 昔々、鹿野の山深い里に、信心深い男がひとりで住んでいました。 朝から晩まで、顔を真っ黒

    わらしべ長者に学ぶこと -  違う見方
  • 自分探しというライフワーク -  違う見方

    あんなに好きだったのに今は何とも思ってない、場合によっては嫌いにすらなっている、そんなことは誰にでもあるかもしれない。 思い当たる人はすでに具体的な何かを思い出してるはず。 該当するのは人間関係だけではない、趣味や遊びなど極めて個人的なものまである。 きっかけは何だったのか? 脳裏をよぎる一般的なことばは飽きただ。 飽きたを広く解釈すると、必要が無くなったも含められるし、優先順位が下がって割り当てる時間が無くなったも含まれるし、予定調和ばかりで新鮮な感動が無くなったとも言える。 大事なのは飽きた理由だが、それは人それぞれだから単純化は難しい、だから飽きもせず続けてるものを考えたい。 誰にでも当てはまるのが自分自身だ。 自分自身に飽きないために続けてることがあるから人は生き続けてるのだ。 いろいろな理由や理屈や大義名分をつけるから生き続けられるのだ。 しかしそんな理由の数々は実は真の理由では

    自分探しというライフワーク -  違う見方
  • デジタルファブリケーション -  違う見方

    グローバル化で加速した、グローバル化が加速させたのが大量生産&大量消費。 生産される商品には一定の寿命があることと、新しい商品の方がスペックやデザインが向上するので大量生産&大量消費は繰り返される運命にある。 しかし、この繰り返されるサイクルには意識されにくい負の側面がある。 大量の廃棄物が出ること、またスペックやデザインが継続的に進化することで欲望の飽和のようなそれ以上を望む気持ちが薄らぐようになる。 それによって大量消費の一角が崩れ始める。 そうすると、一部の市場で評価が高い商品の単価の上昇が起きる。 評価が高いわけではない商品は単価の下落もしくは在庫の増加が起きる、これをどう捌くかが重要になる、捌けなければ新品にして廃棄の運命だ。 捌くためには騙す必要がある、騙すという表現以外だと錯覚させるが相応しいはず。 最近の世の風潮の根底には大量生産の行き詰まりがあるのだ。 大量生産を支えてき

    デジタルファブリケーション -  違う見方
  • 最上級表現のリスク -  違う見方

    すっかり日語として定着したベスト(best)という概念は言語明瞭だが意味不明でもある。 goodの比較級がbetterで最上級がbest、昔は英語の授業で教わったことだが、今では幼稚園児でも意味を理解せずに使うことがあっても不思議ではない。 日語だとベストは『尽くす』ものとされ、暗黙のうちに何か条件がつくことが多い、『現時点の』や『自分なりの』などと。 つまり、よくよく考えるとそれってベストではなく、あまたあるbetterの一つなのだ。 ベストは深く厳密に考えると概念上だけの存在でしかないのに、中途半端な人が使いたがるので巷には多種多様なベストが溢れている。 何事にも真摯に向き合う人だときっとベストという表現を用いることに抵抗があるはず。 しかし、日人の多くに馴染みがあるのはベスト10などというベストと数字の組み合わせでの順位表現、誤用といえば誤用だがそのおかげでベストの大安売りが定

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  • 勝負の世界 -  違う見方

    勝負に関することわざや慣用表現は以下のようにさまざまある。 勝てば官軍負ければ賊軍 勝負は時の運 勝負は下駄を履くまで分からない(下駄を履くとは帰り支度をするという意味) 勝負は戦う前に決まってる(ついている) 負けて勝つ 負けるが勝ち どれもが同時に成立することはないが、そのいずれもが状況次第では、いつ、どこで、誰が(に)、何に関して、どのように、起きてもちっとも不思議ではないことを私たちは知っているし感じている。 要になるのは5W1Hの残された一つであるなぜだ。 なぜに関して番狂せや想定外が起きる場合には、広い意味での盲点が隠れている。 このなぜに答えがありその答えに再現性があると期待すればこそ、そのなぜの答えは秘訣やノウハウとして珍重される。 しかし、その秘訣やノウハウはテクニックのようでもあり心理学の駆使のようでもある。 いろんなことが分かれば分かるほど状況の説明や解説はできても再

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  • 純と鈍 -  違う見方

    紙と向かい合ってきちんと字を書くことが極端に減ったので、『あの漢字はどう書くんだったっけ?』と思うことがしばしばある。 今日も突然わたしの脳内で鈍器や愚鈍の『鈍』と純粋の『純』がごちゃ混ぜになってることに気付いた。 ゲシュタルト崩壊の一種なのか、老化なのか、それよりも昔から何事も中途半端だったからかもしれないとも感じる。 使われ方から鈍にはにぶいという意味や角が丸いという意味があることはよく分かるが、純もピュアの意味合いで騙されやすいというニュアンスを感じると愚鈍に通じるなと思えることから、わたしの脳内ではこの二つの漢字はごっちゃになってしまったのだろう。 今さらながら純の意味を調べると、混じり気がないと出る、まさにピュアだ。 由来としては、蚕の繭から糸を作る作業が糸の純粋さを高める作業でありかつ糸をより合わせる作業だからで、屯にたむろするという意味があることとの合わせ技のようだ。 では鈍

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  • 後悔は百害あって一利なし -  違う見方

    のプロ野球の名選手であり名監督だった故野村克也監督は数々の名言を残している。 その中でもわたしが一番好きなのが、 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし この名言にひと際味わい深さを感じたのが水原一平事件だ。 今更事件の内容には触れないが、この事件はリスクマネジメントや危機管理のプロの目を掻い潜って起きていた。 事件が起きた、事件を起こせたという意味では、全てが発覚するまでの間は水原一平さんにとっては不思議な勝ちが続いていたのだ、勝ちと書いたがそれは掻い潜ってすり抜けたという意味で、肝心なギャンブルでは負けていたのは皮肉だ。 一方で、この件で負けたのは大谷翔平さんではないと感じてる、失われた24億円は彼の屋台骨にはなんら影響してないからだ、せいぜいぐっすり眠れば忘れられる程度の疲労だったはず。 この件で不思議ではない負けを思い知らされているのは、大谷翔平さんの脇を固めていたはず

    後悔は百害あって一利なし -  違う見方
  • 時間差の美学 -  違う見方

    デフレが続いた日でも物価が上昇している。 つまり売ってるモノの値段が上がっている。 それに引き続いて上場企業や業績好調企業では賃上げや初任給アップが実現され始めた。 これだけを活字にして見ると日にも好景気の波が来てるかに感じられる。 しかし、時間が経たないとわからないこともある。 皮算用では値段を上げても従来通りに売れるつもりだろうけど、収入や給料が上がるのはごく一部でしかも実質手取りとなると上がった人はどのくらいいるのか、そしていったいいくら上がったのか。 値段を上げた結果の業績がどのような結果に至るのか、真の評価はそれが分かるまでお預けだ。 真の評価には時間差が発生するのだ。 長年に渡るデフレという経験があったことでコスパの意味もデフレを前提にしたものになってれば、ただ単にコスパが悪いものだらけになる。 一方で、それを補って余りある魅力がプラスされようとしている印象はない。 どちら

    時間差の美学 -  違う見方