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GNUに関するelfのブックマーク (4)

  • OSSとの出会い、そして2007年 | gihyo.jp

    私とオープンソースの出会い 私とオープンソースの出会いは高校生のころに購入したX68000にgccをはじめ各種GNU Toolsが移植されたことがきっかけでした。今から17年くらい前になるんですかね。 当時その各種GNU Toolsを移植された方、またオープンソースではありませんでしたがfish.xというシェル[1]をフリーウェアとして公開された板垣さんがいらっしゃらなければVGMをやってたりゲームの解析をしているタダのヲタだったと思います。感謝。 関係ないですけど昨年引越をしたときに関連資料[2]を発掘してしまいました(苦笑⁠)⁠。 ちなみにその前後でSoftware Designが発刊(誌名変更というか確かリニューアルですよね)があったみたいです[3]⁠。 初めてさわったUNIX 初めてUNIXにさわったのは20歳のころに就職したカプコンでスーパーファミコンの開発用機材のSony Ne

    OSSとの出会い、そして2007年 | gihyo.jp
    elf
    elf 2021/09/12
    何か懐かしい記事を発見,読み始めるまで何を書いていたのか全然覚えてなかった.確かgihyo.jpができたときの著者群インタビュー的なもののひとつ
  • 自由ソフトウェア財団が技術的な指導力を失いつつある

    GNU sed 4.2.2 released, and a rant from the maintainer GNU sed 4.2.2のリリースに合わせて、メンテナーであるPaolo Bonziniが、GNU sedを含むGNUプロジェクトのメンテナーをやめると発言している。さらに、その理由について書き立てている。 私はGNU sed 4.2.2を喜ばしく発表する。 喜ばしからぬ発表として、私はGNU sed(8年間)とGNU grep(3年)のメンテナーから降りる。私はさらに、Autoconf, Automake, Libtool, gnulib, libsigsegv, Bsionのコミットアクセス権も放棄する。 GNUメンテナーと外部の者に告ぐ。この発表や、Nikos Mavrogiannopoulosの発表、gnutlsの移行は、驚くにあたらない。 gnutls is movin

    elf
    elf 2012/12/30
  • The Single Most Important Open Source Project : 404 Blog Not Found

    2007年06月04日05:30 カテゴリOpen SourceCode The Single Most Important Open Source Project しかしバザールを可能にしたのは何なのか? ユメのチカラ: オープンソースの破壊力 Richard Stallmanの功績は、GPLというライセンスを発明した事にあるが、80年代から90年代中頃まで、Richardとごく一部の周辺の人達くらいしかGNUの開発に参加していなかった。実際、Richardはインターネットの向う側のプログラマを信用していなかったので、パッチや改良を貰うときにFSFに著作権を譲渡するような書類にサインさせていた。彼の人柄かもしれないが、当時バザールは発生したとは言えないと思う。 gcc、ではないのか? LAMPの各文字には、それぞれ代替がある。Linuxの代わりに*BSD、Apacheの代わりにlight

    The Single Most Important Open Source Project : 404 Blog Not Found
  • http://pcweb.mycom.co.jp/articles/2004/12/22/gcc/

    elf
    elf 2005/11/28
    gcc 4.0について
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