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コミュニティを問いなおす つながり・都市・日本社会の未来/広井良典|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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コミュニティを問いなおす つながり・都市・日本社会の未来/広井良典|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
コミュニティは、社会と個人のあいだにあって、外である社会と個人をつなぎ、内で個人同士のつながりを... コミュニティは、社会と個人のあいだにあって、外である社会と個人をつなぎ、内で個人同士のつながりをつくる。 昔であれば小学校の学区レベルでコミュニティが機能していたり、商店街を中心にコミュニティができていた時代もあった。時代が下っても、すこし前までは、カイシャやイエがこの資本主義の世の中においてもコミュニティとして機能していた。 生産のコミュニティと生活のコミュニティについては、都市化・産業化が進む以前の農村社会においては、両者はほとんど一致していた。すなわち、稲作等を中心とする農村の地域コミュニティが、そのまま「生産のコミュニティ」でありかつ「生活のコミュニティ」でもあったのである。やがて高度成長期を中心とする急速な都市化・産業化の時代において、両者は急速に"分離"していくとともに。「生産コミュニティ」としてのカイシャが圧倒的に優位を占めるようになっていった。現役のサラリーマンに”あなたの