エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
日本100名城「大分府内城」 - オババのトラベルジャーナル
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日本100名城「大分府内城」 - オババのトラベルジャーナル
9月に入りましたね。 まだまだ残暑が続くと言われていますが、酷暑の中にも、そろそろ次の季節に移ろう... 9月に入りましたね。 まだまだ残暑が続くと言われていますが、酷暑の中にも、そろそろ次の季節に移ろうとしているような気配が、空や空気に感じられます。 8月初旬の別府旅行の最後の記事になります。 別府から帰路につく前に、大分市街の中心部にある「大分府内城跡」に立ち寄りました。 「大分府内城」は、1597年、石田三成の妹の夫にあたる福原直高によって、秀吉の命で築城されました。 その時は、望楼型の三重の天守が築かれたそうです。 関ヶ原の戦いの後、竹中重利によって、天守を四重の層塔型にするなどの大改修が行われ、現在の形になったそうです。 その後何人か城主が入れ替わりましたが、1658年から廃藩置県までの200年間、(大給)松平家が支配したようです。 府内城の玄関口である「多聞櫓門(大手門)」。 空襲で消失し、昭和41年に復元されたものだそう。 現在、府内城址は長期間にわたる整備中のようで、 敷地内に