エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
蒙古襲来750年(4):海底の元の軍船が物語る「弘安の役」、長崎・鷹島沖は「海のタイムカプセル」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
蒙古襲来750年(4):海底の元の軍船が物語る「弘安の役」、長崎・鷹島沖は「海のタイムカプセル」
激突!「鎌倉武士vs元の騎馬軍団」 蒙古襲来750年(4):海底の元の軍船が物語る「弘安の役」、長崎・鷹... 激突!「鎌倉武士vs元の騎馬軍団」 蒙古襲来750年(4):海底の元の軍船が物語る「弘安の役」、長崎・鷹島沖は「海のタイムカプセル」 歴史 社会 文化 2024.04.25 長崎・佐賀両県にまたがる伊万里湾に鷹島(たかしま)という小さな島がある。この付近の海底から、ここ15年近くにわたり、蒙古襲来の跡である元の軍船など遺物が数多く見つかっている。2回目の侵攻「弘安の役」当時のモノだ。海底遺物が物語る戦いのありさまとは──。 東路軍と江南軍の合流失敗 「文永の役」(1274=文永11=年)から7年後。皇帝フビライ・ハンの号令の下、元軍は再び日本に襲いかかってきた。1281(弘安4)年のことで、「弘安の役」と呼ばれる。 前回の侵攻で日本を攻めきれなかった元は、戦力強化に向け2方面から船団を進軍させてきた。一つは、元の属国である朝鮮半島の高麗から出発した「東路」軍。もう一つは、元が滅ぼした中国大