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平成アニメ史、生存術だった『製作委員会』の功罪 「このままでは中国と韓国にパワー負けする」
「スタジオぴえろ」を創業したアニメ界のレジェンド・布川ゆうじ氏 本日30日、平成が終わる。この激動の... 「スタジオぴえろ」を創業したアニメ界のレジェンド・布川ゆうじ氏 本日30日、平成が終わる。この激動の31年間を振り返ったとき、日本のポップカルチャーをけん引する「アニメ史」においてもエポックな出来事が数多くあった。なかでも、低迷した平成初期のアニメ業界を救った「製作委員会方式」の誕生は大きな転換期であろう。そこで、「虫プロ」や「タツノコプロダクション」などでアニメーター・演出家として数多くの作品を手がけ、アニメ制作会社「スタジオぴえろ」を創業したアニメ界のレジェンド・布川ゆうじ氏にインタビューを実施。平成アニメ史と“地続き”である昭和の時代を駆け抜けた手塚治虫、高畑勲、宮崎駿、富野由悠季らアニメクリエイターたちの苦闘。そして、令和においてアニメ業界が変わるべき点について聞いた。 アニメ黎明期、漫画家的な発想から“日本のアニメーション”の形は生まれた 布川ゆうじ僕は「スタジオぴえろ」(アニメ
2019/04/30 リンク