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家臣・松永弾正に裏切られた悲運な武将・三好長慶は実は信長よりも先に天下を取った「最初の天下人」だった【イメチェン!シン・戦国武将像】 | 歴史人
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家臣・松永弾正に裏切られた悲運な武将・三好長慶は実は信長よりも先に天下を取った「最初の天下人」だった【イメチェン!シン・戦国武将像】 | 歴史人
“三好長慶”と聞いて、パッとイメージが浮かぶのは「歴史好き」な方くらいだろう。彼は実は一時期、将軍... “三好長慶”と聞いて、パッとイメージが浮かぶのは「歴史好き」な方くらいだろう。彼は実は一時期、将軍を上回るほどの権力をもち、戦国時代に名を馳せた武将であったが、その印象は薄い。ここでは悲運な武将というイメージをもたれる三好長慶の実像に迫る。 戦国時代の後期に、京・大坂など畿内に出現した阿波・三好一族の「三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)」の印象はかなり悪い。その後に出現した織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が大きな存在として(事実、後に天下人になるのだが)歴史に残ったから、なおのこと三好三人衆は矮小化されてしまっている。この三人衆は、家臣筋だった松永弾正久秀(まつながだんじょうひさひで)とともに、13代足利将軍・義輝(よしてる)の暗殺や東大寺の大仏殿放火、15代将軍・義昭(よしあき)への急襲など歴史上「悪業」とされることをやり過ぎた。 それでいながら、その最期は3人とも泡沫(水に浮くはか