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空海「風信帖」を学ぶ | 酔中夢書2021
日本書道の最高峰として知られる「風信帖(ふうしんじょう)」。 最澄に宛てた空海の手紙です。 日本仏... 日本書道の最高峰として知られる「風信帖(ふうしんじょう)」。 最澄に宛てた空海の手紙です。 日本仏教の根幹を築き上げた二人の間に、どんなドラマがあったのでしょう。 804年7月、四隻の遣唐使船が出港しました。 第二船には最澄が、第一船には7歳年下の空海が乗っていました。 最澄は767年、近江国(現在の滋賀県)に生まれました。 14歳で得度(とくど)、19歳で具足戒を受けて比叡山に入り、25歳で修行入位という僧位を受けます。 36歳のとき、高雄山寺で数ヶ月にわたり、体系的な中国仏教の天台教学の講義をしましたが、これが桓武天皇の知るところとなり、遣唐使となることに決まりました。 空海は774年に讃岐国(現在の香川県)に生まれました。 18歳頃に京都に出て大学に入り、20歳の頃、山岳宗教の行者となったと言われていますが、遣唐使船に乗るまでの経緯も不明で、正式な僧侶になったのは、乗船の三ヶ月前とい