タグ

人生に関するezmi4のブックマーク (18)

  • 竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura

    2000年、バブルがはじけ切って就職氷河期が始まった頃。 ぼくは大学生をやっていた。 就職協定というものがあって、学生は就職活動するのは4年生、関西では4回生と呼んだけど、になってからね、と言われていたのが突然、ぼくが3回生になった途端、はい今から就職活動です!と叫ばれて、何かその真似ごとみたいなのはしたけれど、そもそも求人は少ないし、その少ない求人の中でたいしてやる気のない学生を採用するような会社はもちろんないし、結果ぼくはスムーズにニートになることに。 しかし、大学卒業直後のニートとは大学時代のゴロゴロした生活から大学を抜いたものでしかなくて、ぼくの大学生活とは漫画麻雀とバンドとバイトと単位でできていたから、バンドもバイトも辞めたぼくは、仕事もないんだからバイトは続けろよとはすごく思うのだけれど上手いことできているのかどうか卒業を控えて家族経営だったバイト先が家族ごと夜逃げして潰

    竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura
    ezmi4
    ezmi4 2020/10/01
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
  • 懲役13年で服役中のある性犯罪者の告白(創) - Yahoo!ニュース

    〈はじめに〉 ここに掲載するのは、性犯罪で懲役13年の刑を受け、服役中の受刑者が書いた手記だ。周知のように性犯罪をめぐっては2017年に刑法が改正され、厳罰化がなされたと言われている。ただ、その一方で、薬物依存と並んで性犯罪についても、処罰だけでなく治療を行う必要があるという声も多い。実際、刑務所でも様々な取り組みが始まっている。しかし、具体的にどんな取り組みがなされているかについては、ほとんど知られていない。 今回の手記を書いた受刑者が受講している「R3」というプログラムは2006年から刑務所に導入されたものだ。この取り組みは、2004年の奈良女児殺害事件がきっかけになったもので、その事件を起こした小林薫死刑囚(既に執行)はちょうどその2006年に『創』に手記を連載していた。その点でも性犯罪へのこの取り組みは誌と関わりがある。 読者にとってはやや専門的だと思える部分もあるかもしれないが

    懲役13年で服役中のある性犯罪者の告白(創) - Yahoo!ニュース
  • JKが考える

    私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである。 キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。 そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事を粛々とこなすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったり

    JKが考える
  • 『バッタを倒しにアフリカへ』ストイックすぎる狂気の博士エッセイ - HONZ

    書店内でいやでも目を引く、虫取り網をかまえこちらを凝視する全身緑色のバッタ男の表紙。キワモノ臭全開の書だが、この著者はれっきとした博士、それも、世界の第一線で活躍する「バッタ博士」である。書はバッタ博士こと前野ウルド浩太郎博士が人生を賭けてバッタのアフリカに乗り込み、そこで繰り広げた死闘を余すことなく綴った渾身の一冊だ。 「死闘」と書くと「また大袈裟な」と思われるかもしれない。だが著者が経験したのは、まぎれもない死闘だ。あやうく地雷の埋まった地帯に足を踏み入れそうになったり、夜中に砂漠の真ん中で迷子になったり、「刺されると死ぬことのある」サソリに実際に刺されたりと、デンジャーのオンパレードである。 なぜ、そこまでの危険を冒さねばならなかったのか。油田を掘り当てるためでも、埋蔵金を発掘するためでもない。そう。すべては「バッタのため」である。 昆虫学者に対する世間のイメージは「虫が好き

    『バッタを倒しにアフリカへ』ストイックすぎる狂気の博士エッセイ - HONZ
  • 男の人にガンガン言われても、私は私よ 黒柳徹子さん:朝日新聞デジタル

    3月8日は国際女性デー。60年以上にわたりテレビや舞台で活躍し続けてきた黒柳徹子さんは「自分は自分、人は人。人と自分を比べないで」と語ります。 ◇ 25歳から30歳ごろは一番嫌だったわね。 テレビ放送が始まった1953年、NHK専属のテレビ女優1期生になりました。とても自由な家庭と学校で育ちましたし、女優という仕事は女性にしかできないので、あまり「女だから」と制約を感じることなく生きてきましたけど、20代後半はちょっと違った。 「そういうの知ってる」と言うと、「知ったかぶり」とか「生意気」とか言われる。「知らない」って言えば「かまとと」って言われる。ほんと嫌になっちゃう。30を過ぎたら言われなくなるだろうと思って、30歳になった時は「あー、せいせいする」って思いましたね。 「男の世界だなー」 40歳になる少し前、ニュースショーの司会を頼まれました。それまでニュースショーの司会といえば男性。

    男の人にガンガン言われても、私は私よ 黒柳徹子さん:朝日新聞デジタル
  • 我が家の自家用 Slack に後輩ふたりが居候している話

    概要 2015年の年末から、後輩ふたりが我が家の自家用 Slack に居候してくれています。もとは奥さんとぼく、それに何体かのボットだけで暮らしていた Slack に、家族以外の人間を招き入れて過ごすようになってから丸1年以上が経ったので、ぼくらの身にどんなことが起きたのか共有してみようという試みです。我が家以外でそういった事例は聞いたことがないので、率先して発信してみるのがよさそうと思いまして。 招待した経緯 当時、後輩がいろんなことで悩んでいて、2015年の忘年会的な飲み会のときにも、ちょっと元気がない様子だったんですよね。たまにいっしょにごはんをべたりして、とってもいいやつなのはわかっていたので、なんとかこの子が元気な毎日を過ごせるようになるといいな〜と思っていました。幸い、数年長く生きている身としてぼくの立場からでも助言できることはありそうだったので、まずは交流の機会を増やしてど

    我が家の自家用 Slack に後輩ふたりが居候している話
  • 親がクビにされて進学できなくなった。今時普通科の高卒で就職なんてできないし高二で人生詰んだ : 鬼女速

    親がクビにされて進学できなくなった。今時普通科の高卒で就職なんてできないし高二で人生詰んだ 【悪夢】最悪の出来事を語るスレ【修羅場】5人目 151: 名無しさん@HOME 2015/09/13(日) 01:00:39.56 0.net 明日も部活の朝練があるから書き逃げ。 親がクビにされて進学できなくなったorz ふざけんなよ、チクショー! こちとら親父が事故であぼーんしてから十年以上、 母一人子一人で頑張ってきたんだよ! なのにこのタイミングで親が無職とかありえねぇorz まだ来年分の学費はなんとかなりそうだけど、 今時普通科の高卒で就職なんてできねぇだろ… 奨学金がとれるほどの成績でもないし、高二で人生詰んだわ 153: 名無しさん@HOME 2015/09/13(日) 01:48:32.21 0.net 死ぬ気で頑張れば、色んな道が有るよ? それこそ、新聞奨学生ってのも有るし それよ

    親がクビにされて進学できなくなった。今時普通科の高卒で就職なんてできないし高二で人生詰んだ : 鬼女速
  • 脳動脈瘤の治療をした

    私は26歳男性である. 1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった. 医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった. 結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った. ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MRの検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ. そ

    脳動脈瘤の治療をした
  • 42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで(鈴木 大介) @gendai_biz

    病後も続く人生 もちろんすんなりと受容できない障害もあったが、一方で病後の変わってしまった自分だからやれる仕事や、そんな自分を肯定できる部分もでてきた。 なるほど、これが受容の質だ。受容には2種類ある。リハビリの現場などで忌避される受容は、「諦観を伴う受容」。自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。もう一方の受容とは、自らの障害を認識して見つめ、それによって周囲の環境調整を企図するものである。 そもそも立脚点として受容がなければ、僕はこうした自己観察もできず、周囲にそれをカミングアウトして理解と協力をお願いすることはできなかったろう。病前の自分のパフォーマンスに拘泥して「やれるはず」と意固地になっていれば、その闘病はずっとずっと苦しいものになっていたに違いない。 自身が脳梗塞に倒れて、同様に脳梗塞後に高次脳を抱えて家族や職場とうまく行かずに苦しんでいる人たちがいることを知

    42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで(鈴木 大介) @gendai_biz
    ezmi4
    ezmi4 2016/12/01
  • さようなら – sociologbook

    みんなが雨宮まみさんの文章で救われました。 救われる、ということは、どういうことでしょうか。誰が、何から救われるのでしょうか。 私たち読者は、雨宮さんの文章を読むことで、自分自身から救われるのかもしれません。自分の憎悪や不安や恐怖から解放されるんです。 そういう負の感情を解毒する力を持った文章だったと思います。あなたは悪くない、ということと、でも正面から努力することも必要、ということを、誰も傷つけない形で書くことはほんとうに難しいことです。しかしそれをやってのける力を持ったひとでした。 みんなが雨宮さんのいろんな文章で、ネガティブな感情から解放される経験をしました。そうやって私たちは雨宮さんに頼ってきました。でももう、この世界からいなくなってしまいました。私たちのそういう感情の爆発を押しとどめてくれるような文章を書ける書き手がひとり、いなくなってしまったのです。 ついこのあいだの、『早稲田

    さようなら – sociologbook
    ezmi4
    ezmi4 2016/11/19
    亡くなった人にどうかとは思うけど、雨宮さんが羨ましくなる文
  • ブスが美人に憧れた話

    マイナスループからの脱出が一番難しいと思います。良いきっかけを得られたのも縁なのでしょう。

    ブスが美人に憧れた話
    ezmi4
    ezmi4 2016/09/14
    ひとにやさしく
  • 私のために祈らないで - 急がば回りこんでドロップキック

    てきおう‐しょうがい〔‐シヤウガイ〕【適応障害】 ある特定の状況や出来事がストレスとなって情緒面や行動面で症状が引き起こされ、社会生活に支障をきたしている状態。精神疾患の一つ。 小学館「大辞泉」編集部編『デジタル大辞泉』小学館 適応障害と診断されて、1年半が経たんとしている。 苦しかったかと聞かれれば苦しかったと言えるけど、生まれてこのかた、苦しくなかったことなどないと、思い返せばそうも思う。 適応障害の原因とされた「仕事」は、休職、退職したことで払拭されるはずだった。しかし、休職と退職、つまり発症の原因から逃げ出したことで気持ちがカラリと晴れるかというとそういうものでもなくて、睡眠薬を飲んだのに一睡もできなかったり、寝れたと思えば夕方まで布団から出られなかったり、好きだったヒロシのネタを見ても笑えなかったり、突然涙腺が決壊したり、たまに電車に乗れば吐き気をもよおして途中下車したりした。今

    私のために祈らないで - 急がば回りこんでドロップキック
    ezmi4
    ezmi4 2016/09/13
    自分がこうなるかもしれないと頭に入れておく。意味があるかは分からないけど。
  • 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

    ときどき、 「会社は社員から搾り取ることばかりで、社員のことを何も考えてない」とか「従業員をサービス残業させて搾取している」とか、 つまるところ「自分たちは苦労してるのに、重役達は楽して良い思いしている。むかつく!」みたいなエントリーを読むと、 だったら自分で会社作って、社長になったらいいんちゃう?と素で思うんですが、そういうもんじゃないのかなぁ。 文句を言うな、とかそういうことじゃないんです。 文句を言っている暇があったら行動を起こして、状況変えちゃった方が早くないっすか?と思うのです。 自分たちだけ良い思いをする社長がうらやましい(憎たらしい)なら、自分も社長になって同じことをすればいいし、 会社にいたいなら縦横のつながり作って、自分自身も売り上げあげて、発言力持って、会社を変えちゃえばいいんじゃん?と。 なんしか、方法はたくさんあって、気にくわないところがあればやればいいと思うんだけ

    要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
    ezmi4
    ezmi4 2016/09/08
    同意したいけど同意できない感じ
  • 「東大に入ったら妹作ってやる」と言われたので入ったらいつの間にか妹ができていた話 - えいちゃーろぐ!

    前回のハムbotに引き続き、「そろそろ時効だろう」シリーズ第2弾です。 妹ほしいって騒ぎ続けた結果、母に「東大入ったら妹の1人ぐらい作ってやるよw」って言われたからちょっと東大入るわ!! — えいちゃー (@EICEAR) 2014年3月6日 東京大学 文科三類、無事に現役合格しました — えいちゃー (@EICEAR) 2016年3月10日 半年前に、こんなツイートが話題になったかと思います。 「妹がほしい」……ひとりっこ男子が高確率で抱く願望。 「東大に行きたい」……これもまた多くの人が抱く願望。 こんな2つの願望を漠然と抱え、日々悶々としていた私は、高2に進級する直前、強欲にも「どちらもいっぺんに叶えよう」と考え、母にこのような頼みごとをしたのでした。 当時の私は成績も低迷しており、このくらいの対価がないと勉強を始められる気がしなかったので、自分を奮い立たせる意味もありました。母も

    「東大に入ったら妹作ってやる」と言われたので入ったらいつの間にか妹ができていた話 - えいちゃーろぐ!
  • はてな

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    はてな
    ezmi4
    ezmi4 2016/09/06
  • 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。

    いろいろと窮屈そうに生きているあの人のために、 今は少し気楽に生きている自分のロジックを思いつくままにアウトプットしてみようと思った。 偉そうに見えても、笑って許して。 「ちょっと」を毎日。 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。 とにかく結果を焦らない。落ち着けって。 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。 ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。 ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。 だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。

    1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
    ezmi4
    ezmi4 2016/08/26
  • 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録

    Redditで話題になっていたポストを訳してみた。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかったという高校生の独白にたいしてつけられたこのちょっと長めの返信がとても的確で示唆に富んでおり、多くの人のこころをつかんでいました。私自身、勇気づけられるというか身につまされるところがあり、忘れないために翻訳をしてみました。 まずは高校生の独白から。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった 僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。 総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。 また僕は、自分

    僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録
  • 1